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第36話 迎え
――愛人でいいのか。
皇太子の問いは、その夜になっても俺の頭から離れなかった。
寝台へ横になっても眠気は訪れない。
窓から差し込む月明かりを眺めながら、何度も同じことを考えてしまう。
ヴィルユーグは王だ。
一国を背負う王。
戦で命を懸けるだけではない。
国を未来へ繋ぐ責務もある。
世継ぎ。
その言葉を、今まで深く考えたことはなかった。
互いの想いが通じ合い、一緒にいられることが嬉しかった。
それだけで十分だと思っていた。
けれど……。
(もし、ヴィルユーグが妃を迎えることになったら……)
想像だけで、胸がギュッと締め付けられる。
知らない女性がヴィルユーグの隣に立つ姿。
その人との間に生まれた子を抱く姿。
そして……その時。
「……俺は」
ぽつりと零す。
こんなにも独占したいと思っていたのか。
戦場で無事を願い、抱き締められて安堵し、離れている数日さえ長く感じる。
それが恋なのだと、ようやく理解した。
「好きなんだな……」
俺は小さく自嘲する。
少し前の自分なら、こんな言葉は絶対に口にしなかった。
それでも今は、素直に認められる。
ヴィルユーグを失いたくない。
誰にも譲りたくない。
だからこそ、王太子の言葉が怖かった。
(……ヴィルユーグは、どう考えているんだろう)
自分たちの未来を。
世継ぎを。
俺たちのこの先を。
聞かなければならない。
けれども、その勇気が出ない。
もし、自分の望まない答えだったら……。
せっかく手に入れた幸せが壊れてしまうような気がして、問いかけることすらためらわれた。
結局、その夜はほとんど眠れなかった。
翌朝。
うとうとしているところ、城の廊下がどこか慌ただしくて俺はベッドから起き上がった。
侍従たちが忙しなく行き交い、何事かと窓の外を見る。
一台の豪奢な馬車。
その周囲を護衛騎士たちが囲んでいた。
見覚えのある黒い旗。
「まさか……」
嫌な予感というより、呆れにも似た感情だ。
俺は部屋を飛び出し、玄関ホールへ向かう。
案の定、そこには黒い外套を纏った男が立っていた。
「ヴィル……」
王や王太子と談笑していた彼は、リヨンの姿を見つけると、ふっと表情を和らげた。
「迎えに来た」
あまりにも自然な一言だった。
俺は思わず額を押さえる。
「……昨日別れたばかりだぞ」
「長かった」
「一日だ」
「一日でも長い」
真顔で返され、俺はため息をついた。まるで待てのできない大型犬のようだ。
王太子も呆れたように肩をすくめる。
「早く会いたかったんだ」
ヴィルユーグは悪びれもしない。
その姿に俺は苦笑した。だが、会いたかったと言われ、胸はときめいてしまう。
迎えに来ると言って、本当に翌日に来る人間がどこにいる。
この男くらいだ。
「では、リヨンは返してもらおう」
ヴィルユーグは王へ軽く一礼する。
王はもはや、どうぞどうぞ好きにやってください状態だ。
俺とヴィルユーグは馬車へ向かう。
乗り込む直前、リヨンは一度だけ城を振り返った。
イリーナが窓辺からこちらを見ていることに気づく。
そして、目が合う。
彼女は少し寂しそうに笑い、それでも静かに手を振ってくれた。そこには1人の女性ではなく、妹のような家族としてのイリーナがいた。
俺も微笑み返し、小さく手を振る。
これで、本当に一区切りだった。
アルヴェリア城を出発した馬車は、ゆっくりとグラディウスへ向けて街道を進み始めた。
窓の外へ目を向ければ、戦の傷跡がまだ残る大地が広がっている。それでも、行き交う人々の表情はどこか明るかった。戦は終わり、平和が戻ってきたのだと実感する。
車内にはヴィルユーグと二人きり。
向かい合うのではなく、自然と隣へエスコートされ俺はそれに従った。
以前なら緊張した距離だが、今は不思議と落ち着く。
ヴィルユーグはそっとリヨンの手に自分の手を重ねた。
「疲れているだろう」
「多少は……」
「今日は何も考えなくていい」
優しい声音だった。
その言葉に甘えそうになる。
ヴィルユーグが俺の頭を撫でる。
沈黙が流れても、不思議と居心地は悪くなかった。
馬車の揺れに身を任せながら、ぼんやりと景色を眺める。
昨夜はほとんど眠れなかった。
王子に言われた言葉が頭から離れず、何度も寝返りを打った。
――愛人でいいのか。
考えないようにしても、その言葉だけが胸の奥へ引っ掛かり続けている。
「リヨン」
「……はい」
「眠そうだな」
はっとして顔を上げる。
「そんなことは……」
否定しようとしたが、大きな欠伸が込み上げてきて慌てて口を押さえた。
ヴィルユーグは小さく笑う。
「昨夜は眠れなかったか」
「少し、考え事をしてしまって」
曖昧に答える。
さすがに王子との会話をそのまま話す気にはなれなかった。
ヴィルユーグは追及せず、静かに頷く。
「そうか」
それだけ言うと、窓の外へ目を向けた。
「グラディウスまではまだ距離がある」
俺もつられて外を見る。
確かに、あと半日は掛かるだろう。
「しばらく寝ていていい」
「え?ですが……」
「遠慮はいらない」
ヴィルユーグは柔らかな声で続けた。
「今は休むことも仕事だ」
そう言われると反論できない。
俺は苦笑しながら窓にもたれようと身体を動かした。
その時だった。
「そこで寝ると首を痛める」
腕を軽く引かれる。
気付けば身体が自然とヴィルユーグの方へ寄っていた。
「ここを使え」
差し出されたのは、広い肩だった。
「い、いや……」
「眠れと言ったのは私だ」
「ですが……」
「命令だ」
真顔で言われると弱い。美形というのは真顔の方が迫力がある。
「……ずるいですよ、その言い方」
思わず笑ってしまう。
ヴィルユーグも口元だけで笑った。
「そうかもしれんな」
観念して肩へ身を預ける。
最初は緊張していた。
だが、規則正しい馬車の揺れと、伝わる体温が不思議なくらい心地いい。
「少しだけ、寝ます。」
「ああ。……着いたら起こす」
その言葉を最後に、俺の意識はゆっくりと沈んでいった。
目を覚ますと、馬車は変わらぬ速さで進んでいた。
「……ん」
俺はぼんやりと顔を上げる。
肩を借りたまま眠ってしまっていたらしい。体温が心地よくて、無意識に頬を擦り付けてしまう。
「起きたか」
ヴィルユーグの落ち着いた声が聞こえる。
俺はハッとした。
「す、すみません!」
慌てて身体を起こす。
「どれくらい寝てしまいましたか?」
「いや、少しだけだ。寝顔を堪能できて役得だった」
そう言ってヴィルユーグは微笑む。
その表情を見て、少しだけ恥ずかしくなった。恋人になってからのヴィルユーグは甘い。
窓の外へ視線を向ける。
「……あれ?」
思わず声が漏れた。
見える景色が、来た時とは違う。
街道は石畳ではなく土の道へ変わり、両脇には深い森が広がっている。
「ここは……?」
「グラディウス領内だが、少し寄り道をしている」
「寄り道?」
「お前に、会わせたい人がいるんだ」
短い言葉だった。
だが、その声音はどこか楽しそうだった。
「会わせたい……人?」
誰だろう。
家臣か。
それとも、戦で世話になった誰かだろうか。
首を傾げる俺を見て、ヴィルユーグは意味深に微笑むだけだった。
「着けば分かる」
そう言って再び窓の外へ目を向ける。
俺も釣られるように外を見つめた。
馬車は木々に囲まれた静かな道を抜け、さらに奥へと進んでいく。
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