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1-3 特別な幼馴染

「……で、ここが図書室。校内でよく使いそうな場所は、だいたいこんなところかな」 「本当に広いんだね。教えてもらったはいいけど、しばらくは間宮くんに泣きつくことになりそうだよ」 頭をかきながら困ったように笑う兵藤(ひょうどう)くん。 食堂で昼食を共にしたあと、そのまま校内を案内して回っていたら、いつの間にか夕方になっていた。 西陽が容赦なく僕たちを照らし、廊下には二人の長い影が並んで伸びている。 (……不思議だな。全然、疲れてない) 彰那(あきな)以外の誰かと長時間過ごせば大抵気疲れするのに、兵藤くんのまとう空気はどこまでも柔らかくて、僕の強張った心をゆっくりとほどいてくれる気がした。 彼となら、本当の意味で親友になれるかもしれない。 そんな予感にも似た期待が胸を膨らませる。 「僕の部屋は2階の203号室なんだけど、兵藤くんは?」 「俺は1階の1番奥の108号室」 エントランスに着く頃には、制服の背中にじんわりと汗が広がっていた。 「そっか。今日は僕、このあと部屋にいるから。何か困ったら、いつでも声掛けて」 「ありがとう。……そうだ。それよりも、もし良かったら、連絡先……」 兵藤くんが、少し照れたようにスマホを取り出そうとした、その時。 「咲都じゃん。珍しくお友達と一緒か?」 聞き慣れた、少しガサツで明るい声が僕を呼んだ。 彰那と、そして隣には神宮(かみや)くんが立っていた。 「彰那も帰るとこだったんだ。神宮くんも一緒なんだね」 「間宮くん、久しぶり」 「……俺たちと同じ四組の人?」 兵藤くんが、僕の制服の裾を指先で軽く掴む。 「ううん。こっちのアホそうなのが幼馴染の彰那。こちらは神宮くん。二人とも二組だよ。……彰那、神宮くん。彼は転校生の兵藤くん。案内を兼ねて校内を回ってきた帰りなんだ」 「兵藤です、よろしく」 はにかむ兵藤くんに、彰那も「おう」と笑う。 神宮くんは表情を変えずに軽く会釈で返した。 *** 僕が誰かといるのが嬉しかったのか。 彰那の提案で、僕たちは四人で203号室へと向かうことになった。 部屋に入ると、これまた珍しく彰那が率先してキッチンへ向かい、神宮くんは慣れた様子で共有リビングにあるソファの右端を確保する。 「お邪魔します……!」 兵藤くんはどこか落ち着かない様子で、ローテーブルの左端にある座布団にちょこんと腰を下ろした。 「ほら、アイス。咲都がジャンケンで負けて買ってきたやつだぞ」 「あ、まだ残ってたんだ。ちょうど人数分あってよかったね」 「彰那くん、ありがとう」 彰那に差し出されたアイスを受け取り、兵藤くんが人懐っこく嬉しそうに笑った。 ……が、その瞬間。 彰那の顔に影が落ちて表情が曇った。 (……そうだ、彰那は下の名前で呼ばれるの、好きじゃないんだった) 僕がハッとしたのと同時に。 「……高槻(たかつき)」 ピリッとした空気を察したのか、神宮くんが低く、静かな声で彰那を呼んだ。 「……おう。兵藤、だっけ? 俺、下の名前で呼ばれるの好きじゃねぇんだ。呼ぶなら高槻で頼む」 「えっ、ごめん……! 間宮くんがそう紹介していたから、てっきり……」 申し訳なさそうに眉を下げる兵藤くん。 その表情を見て、彰那も「仕方ねぇよな。わりぃ」と、気まずそうにうつむきながら頭をかいた。 (……僕のせいだ。僕がちゃんと彰那のことを『高槻』って紹介すればよかったんだ) 急に居心地が悪くなり、僕は慌ててフォローに入った。 「彰那ったら、またそんなこと言って。もう子供じゃないんだし、きれいな名前なんだから」 「でも、女みてーじゃん。かっこわりぃよ」 「……間宮くんは、幼馴染だから高槻の下の名前を呼んでるってこと?」 ポツリと。 何気ない問いかけのはずだった。 なのに、兵藤くんから発せられたその声が、今日一日見てきた彼の柔和さからは想像できないくらいに冷たく、ひどく重く感じたのは気のせいだろうか。 「う、うん。物心つく前……幼稚園の時から一緒にいたから。今さら呼び方も変えられなくって」 「まぁ、そうだな。なんつーか……咲都はあれだ、特別」 彰那が、アイスの棒を咥えながらぶっきらぼうにそう言った、瞬間。 ──急に、部屋の温度が数度下がったような気がした。 兵藤くんが「彰那くん」と呼んだ時よりも、はるかに息苦しい、ヒリヒリとした沈黙。 (……え? どうして急にみんな黙ったの?) 彰那の言い方が偉そうだったから? それとも、幼馴染の身内ノリが寒かった? 心もとなくなった僕が、ふと助けを求めるように神宮くんに視線をやると。 いつも無表情な彼が、鋭いナイフのような、見たこともないほど冷ややかな視線を彰那に向けていた。 (……どうして神宮くんは、彰那を睨んでるの? 彰那、何か神宮くんの機嫌を損ねること言ったっけ……?) まったく読めない空気の重さに、僕の思考がショートしかけた時。 その張り詰めた糸を断ち切ったのは、兵藤くんの力の抜けた笑顔だった。 「いいなぁ、幼馴染! そういうの、俺にはもう手に入らないじゃん。すっごく憧れるわぁ」 ふにゃりと笑いながらそう言う兵藤くんに、僕は心底ホッと胸を撫で下ろした。 だが、手に握っていたアイスバーはすっかり溶け始めていて。 甘くてベタつく嫌な感触が、僕の右手を伝い落ちていた。 「……じゃあ、俺はそろそろ行くね。高槻に神宮くん、ありがと。アイス美味しかった」 「待って、玄関まで送るよ!」 なんだかこれ以上、この奇妙な空気の部屋にいてはいけない気がして、僕は逃げるように兵藤くんのあとを追いかけた。 玄関の扉が閉まり、二人きりになった廊下。 兵藤くんはおもむろに立ち止まると、僕にスマホを差し出した。 「……間宮くん。さっきの続き……いい?」 「あ、連絡先? もちろんいいよ」 差し出された二次元コードを読み取る。 「おっ、追加された。スタンプ送るね」 嬉しそうに画面を見つめる兵藤くんから送られてきたのは、メッセージアプリに最初から入っている、笑顔で親指を立てた無難なキャラクターだった。 「今日は転校初日で疲れたよね。引き止めちゃってごめん。部屋でゆっくり休んでね」 僕が「お疲れ様」と右手を上げかけた、その時だった。 兵藤くんは突然振り返り、一歩踏み込んで、僕の耳元に顔を寄せた。 ふわり、ではなく。 あの夜の記憶を強制的に呼び起こすような、むせ返るほど濃密なグリーンの香りが鼻腔まで突き刺さる。 「……あんまり誰にでも、『特別』って言われちゃダメだよ。……おやすみ、咲都」 「えっ……それって、どういう……」 「また明日!」 僕が問い返す前に、兵藤くんは無邪気な声でそう言い残し、右手をひらりと上げながら廊下の奥へと消えていった。 初めて呼ばれた、下の名前。 耳元に吹きかけられた、低くて甘い声の感触。 心がざわついて、うるさい。 こんなにも形容しがたい胸の高鳴りを覚えたのは、兵藤くんと似た香りの彼と出会った夏休みぶり。 特別がダメ……? さっき、幼馴染を羨ましそうにしていたのに……? 兵藤くんの言葉の意味も、自分のこのどうしようもない感情の正体もわからなくなって。 僕は力が抜けたように、背後にある自分の部屋の扉に、ズルリと体を預けた。

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