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2-1 覚束ない二人三脚
中間テストの順位発表の熱気が冷めやらぬまま、紫苑学園は次なるビッグイベントに向けて走り出していた。
十一月後半に行われる、学園最大の行事──紫苑祭。
文化祭と体育祭を合同で行う、三日間ぶっ通しのお祭りだ。
去年、学校見学も兼ねて紫苑祭を訪れた時のあの熱狂。
「高校って、こんなに自由で楽しそうな場所なんだ」と受験を決意した日が、昨日のことのように思い出される。
その熱狂に自分自身が身を投じられるという事実に、僕はとてもワクワクしていた。
「はい! というわけで。四組の文化祭の出し物と、体育祭の出場種目を決めるよ」
六限目のホームルーム。
紫苑祭実行委員が教卓の前に立ち、場を取り仕切る。
僕は書記として黒板の前に立ち、チョークを握っていた。
教室の空気は、テストからの解放感も相まって、異常なほどフワフワと浮き足立っている。
「文化祭は、やっぱり飲食系がいいと思う人!」
「はいはーい! カフェとかやりたい!」
「女装してメイド喫茶とかどうよ!?」
「却下。普通に執事喫茶か、屋台にしようぜ」
クラスメイトたちが自由に意見を飛ばし合う中、僕はカツカツと黒板に意見をまとめていく。
「じゃあ、飲食系でまとめるとして……問題は体育祭の種目だね。全員リレーは決定事項として、他に騎馬戦、障害物競走、二人三脚があるけど……」
実行委員がリストを読み上げた、その時だった。
「俺、二人三脚出たい!」
今朝の順位発表でクラスをざわつかせた渦中の人物、兵藤くんだ。
彼は窓際の最後尾でピンと手を挙げたまま、教卓にいる僕を真っ直ぐに見つめて、ふにゃりと微笑んだ。
「転校してきたばっかりだし、クラスの人と協力する種目に出たいな。……ね、間宮くん。俺と一緒に、二人三脚出てくれない?」
教室中から「おぉー!」と冷やかしの歓声が上がる。
「いいじゃん兵藤! 中間のトップと三位の頭脳派コンビなら、優勝確実だな!」
「確かに! 転校生のお世話係、間宮に異論なしだわ!」
ドッ、と沸き立つクラスメイトたち。
兵藤くんのことは大切な友達だと思っているし、嫌悪感など微塵もない。
それなのに、なぜか心臓の奥がざわついて、落ち着かない気持ちになる。
(……二人三脚って、足、縛るんだよね。肩も、組むし)
彼と密着して走る光景を想像した途端、今朝、彼の背中を叩いた時の、予想以上に広くて硬い感触がフラッシュバックして、なぜか息苦しくなった。
「間宮、いいよな?」
実行委員が後ろを振り返り、僕に確認する。
「ぼ、僕でよければ……」
ハッとしたのと同時に口からこぼれた回答は、イエス。
兵藤くんは「やった!」と無邪気に両手を挙げて喜んでいる。
僕は黒板に向き直り、白いチョークを滑らせた。
『二人三脚 : 兵藤・間宮』
黒板に並んだ、彼と僕の名前。
なぜか見られてはいけない秘密を書き記してしまったような気がして、顔に熱が集まっていくのがわかった。
(……やっぱり僕、どうかしてる……)
今朝、特設掲示板の前で、彼から放たれた言葉が何度も脳内を反芻する。
「……俺もずっと、間宮くんの隣で頑張るね」
夏休みに出会ったグリーンの香りをまとう彼のように、息を呑むほどの色気を漂わせながら、甘く微笑んでいた兵藤くん。
その表情が、声のトーンが、脳裏に焼きついて離れない。
これからも隣の席で、お互い切磋琢磨して頑張ろう。
きっと、ただ、純粋にそれだけなのに。
どうしてこんなにも、頭の中や心臓がうるさいのだろうか。
「……みや! 間宮! どうしたの、ぼーっとして。体調悪い? 顔、すっごく赤いぞ」
「えっ!? ご、ごめん! 全然大丈夫。……で、なんだっけ?」
実行委員に名前を呼ばれ、弾かれたように我に返る。
書記という役割を放棄してまで考え込んでしまうなんて、本当に僕らしくない。
「全員リレーの順番決めるんだけど……」
「間宮くん、本当に体調悪そうだよ? 俺、部屋まで送るから、早退して休んだ方がいいんじゃないかな」
「……えっ!?」
不意に、すぐ横から声がした。
驚いて横を向くと、いつの間にか席を立っていた兵藤くんが、僕の鞄と自分の鞄を両手に提げ、大股で教卓までやってきていた。
「俺と間宮くんは出場種目決まったし。リレーの順番は、トップバッターとアンカー以外ならどこでも大丈夫だから。……さ、間宮くん。二人三脚の練習にもなるし、一緒に帰ろう。みんなごめんね、あとは任せた!」
「えっ、ちょ、兵藤くん!?」
矢継ぎ早にそう言い放つと。
彼は、僕の肩をガッチリと抱き寄せ、有無を言わさぬ力で押し出すように教室から歩き出した。
「お大事になー!」と言うクラスメイトの呑気な声と、背中に刺さる視線。
でも、そんなものよりも。
僕の肩を抱き寄せる兵藤くんの予想外に高い体温と、否応なしに突き刺さるグリーンの香りのせいで。
僕の足元は、二人三脚の練習どころか、まともに歩くことすら覚束なくなっていた。
***
教室の喧騒が遠ざかり、人の気配が少ない下駄箱に出ても、兵藤くんは僕の肩を抱き寄せたまま歩き続けていた。
「ちょっと兵藤くん。もう大丈夫だよ。自分で歩けるから……」
「ダメ。間宮くん、まだ顔が赤いよ。それに、フラフラしてる」
体をよじって逃げようとしても、彼の長い腕はホールドしたまま離してくれない。
(フラフラしているのは、君の体温と匂いのせいなんだけど……!)
そんなことを言えるはずもなく、僕は抵抗するのを諦めてうつむいた。
「……別に、熱があるわけじゃないよ。ただ、みんなに冷やかされて、少し恥ずかしくなって……」
「知ってる。だから、連れ出した」
「えっ?」
予想外の返答に顔を上げると、兵藤くんは前を向いたまま、ぽつりと呟いた。
「間宮くんがすっごくかわ……困ってたから、守ってあげたくなった」
「……っ!?」
心臓が、今日一番の大きな音で跳ね上がった。
(僕が可愛いって言いかけた……!? どうして、男なのに……)
からかわれているだけ、頭ではそうわかっていても。
肩から伝わってくる彼の体温以上に、僕の顔がすごい速さで熱くなっていく。
「また赤くなってる。俺も間宮くんのこと困らせちゃったね、ごめん」
言葉とは裏腹に兵藤くんは意地悪く笑い、僕の肩を抱く手にキュッと力を込めた。
密着したまま歩く僕たちの歩幅は、当たり前に合わない。
けれど、彼は決して急かすことなく、僕の歩調に合わせて、ゆっくりと長い足を運んでくれている。
「……二人三脚、本当に僕でよかったの?」
「うん。間宮くんじゃなきゃ、嫌だった。断られたらどうしようかと思ったよ……。ありがとう」
そう言うと、兵藤くんは少し屈んで僕の顔を覗き込み、ふわりといつもの優しい笑みを浮かべた。
どうかしていた僕を教室から連れ出してくれて、お礼を言いたいのはこっちなのに。
僕の肩を抱く彼の体温と、秋の少し冷たい風。
彼に逃げ場を奪われたまま歩く、寮へと続くこの道のりは、本当に二人三脚の練習のようで。
僕はどうしようもなく、彼という存在の引力を全身で感じていた。
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