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2-3 君のことを知りたくて

「……あのね。兵藤くんのこと、もっと知りたくて」 僕はマグカップを両手で包み、自分を奮い立たせるように言葉を紡いだ。 「本当の意味で心から友達になれそうだな……って、この学園に来てからそんなふうに思ったの、兵藤くんが初めてなんだ。こうしてクラスメイトの部屋に遊びに来るのも初めてで、実は、ちょっと緊張してて……」 ぽろぽろと言葉がこぼれ落ちるたび、迷惑だと思われたらとか、嫌がられたらどうしようとか、あらぬ不安に駆られて語尾が小さくなっていく。 言い終えるころにはすっかりうつむいてしまい、視界に映るのはマグカップの中のコーヒーに頼りなく反射した自分の輪郭だけだった。 「友達……か」 いつもより低く、けれど柔らかな声が頭上に落ちる。 すると、ベッドから立ち上がった彼の大きな両手が僕の頬を包み込み、うつむいていた顔を優しく上に向かせた。 「話してくれてありがとう。すごく嬉しい。俺も、間宮くんのことは特別だって思ってる。だから……そんな不安そうな顔しないで」 その「特別」が、彰那の言ったそれとは全く違う響きを持って鼓膜を震わせる。 至近距離で見上げる彼の顔は、今まで見てきた中でいちばん優しくて。 親指の腹でそっと頬を撫でられると、なぜか無性に心が安らいでいくのを感じた。 「……迷惑じゃ、ないかな? 兵藤くんのこと、もっと知りたい。もっと仲良くなれたら、嬉しいな」 「迷惑なんかじゃない。何でも聞いてほしいし、何でも話してほしい。俺は間宮くんのこと嫌いになんかならないし、俺も間宮くんのこと、もっと知りたいと思ってる」 「……はぁ。よかったぁ……」 安堵の溜息を漏らし、たまらず表情を緩めたその時だった。 緊張の糸が解けたことを察知したかのように、僕のポケットの中でスマホが震えた。 表示されているのは、見慣れた彰那の名前。 「ごめんね、兵藤くん。彰那が待ってるから、そろそろ──」 椅子から腰を上げようとした、その瞬間。 僕の手の中で震えていたスマホが、音もなく奪われる。 「えっ……!?」 見上げると、いつの間にか僕のすぐ隣に迫っていた兵藤くんが、奪い取ったスマホをひょいと高く掲げていた。 黒縁メガネの奥、西日に照らされた瞳が、いたずらっ子のような──それでいて、鋭い光を放つ。 「ちょっと、兵藤くん! 返して!」 「しーっ。……もしもし? 高槻?」 僕の制止も聞かず、彼は勝手に応答ボタンを押し、耳にスマホを当てた。 スピーカーから漏れる彰那の「……あ? 誰だお前」という困惑した声。 兵藤くんは僕を片腕で軽く制しながら、驚くほど爽やかで、けれど有無を言わさないトーンで口を開いた。 「俺、四組の兵藤。……間宮くん、今日体調悪そうにしてたからさ。今、俺の部屋で休ませてるんだ」 「体調なんて……」と言いかけた僕の唇に、兵藤くんが自分の人差し指をそっと当てた。 しなやかで長い指。 そこから微かに香る、苦いコーヒーの匂いに、心臓が大きく跳ねる。 「……そう。メシ食わせて、大丈夫そうだったらそっちに帰すから。高槻はたまには食堂でメシ食ってきなよ。……あ、俺の部屋、一階の奥の108。なんかあったら来ていいから。じゃあね」 プツリ、と一方的に通話を終了させ、兵藤くんは僕のスマホを机に置いた。 「……僕、そんなに顔色悪かった?」 「真っ赤だったよ。さっき、俺が……可愛いって言いそうになった時も。今も」 彼は背後のベッドに深々と腰掛けると、そのまま僕の腕を引き、ぐいっと自分の方へ引き寄せた。 あっという間に、僕の膝が、彼の長い脚の間にすっぽりと閉じ込められる。 「高槻には、ちゃんと許可もらったでしょ? 今夜はもう、邪魔は入らない」 ふにゃりと笑う、いつもの兵藤くん。 けれど、僕を閉じ込める彼の腕の力は、心なしか友達のそれとは思えないほど強固で。 「……じゃあ、間宮くんのことを知りたい、俺からの質問」 膝の間に僕を閉じ込めたまま、兵藤くんが低い声で囁いた。 瞬間、ふにゃりとした笑顔は影を潜め、黒縁メガネの奥の瞳が、じっと僕の奥底を覗き込んでいる。 「俺の、どんなところにそんなに惹かれてくれたの? ……ただの転校生に、ここまで親切にしてくれる理由、詳しく知りたいな」 問い詰めるようなその口調に、逃げ場を失った僕の心臓がうるさく跳ねた。 嘘をつけない性分の僕は、熱くなった頬を隠すこともできず、本当のことをこぼし始めた。 「……最初はね、香りに驚いたんだ。夏休みに出会った、名前も知らない人がいて……」 膝の間に閉じ込められたまま、僕はぽつりぽつりと告白を始めた。 あの日、熱帯夜の中でアイスを一緒に食べた、圧倒的な色気をまとう上の学年の転校生。 その人と、目の前の兵藤くんから漂うグリーンの香りがあまりにも似ていたこと。 「恥ずかしいんだけど、最初は、その人と重ねちゃったのがきっかけで……。でも、実際に兵藤くんと話すと、全然別人だってわかってるのに、すごく楽しくて。彰那以外の人といて、こんなに気疲れしないなんて、本当に久しぶりなんだ。すごく、嬉しかったんだよ」 膝の上で、ギュッと両手を握りしめる。 こんな不純な動機を知られたら、きっと嫌われてしまう。 呆れられてしまうかもしれない。 それでも、今の兵藤くんには正直でいたくて、僕は震える声で言葉を紡ぎ続けた。 「……今日、教室から連れ出してくれたのも。悪いことしてるみたいでドキドキしたけど、僕のためを思ってしてくれたんだと知って、本当に嬉しかった」 言い終えてうつむく僕の頭上で、兵藤くんが短く息を呑む気配がした。 僕を挟み込んでいる彼の長い脚が、ほんの少しだけビクッと震えたのが伝わってくる。 束の間の沈黙。 やがて、兵藤くんはゆっくりと手を伸ばし、僕の熱くなった頬にそっと触れた。 長く骨ばった親指の腹で、目元を擦るように優しく撫でられる。 (変なこと、言っちゃったわけではなさそう……) そう安堵した、次の瞬間。 彼は弾かれたようにその手を引っ込めると、大きな手のひらで自身の顔を覆うようにして、深くうつむいてしまった。 「……そっか。その転校生の先輩に、俺は感謝しないとな」 指の隙間から漏れたその声は、ひどく低く、抑えきれない感情に震えているようで。 怒っているわけでも、悲しんでいるわけでもない。 どこか苦しそうで、けれど火傷しそうなほどの恐ろしい熱を帯びた、僕の知らない彼の声だった。 「……質問の答えに、なってるかな?」 僕を閉じ込めている彼の脚にそっと手を置き、うつむく彼を下から覗き込むように見上げる。 一瞬、顔を覆った手の隙間から、困ったように揺れる瞳と視線がぶつかった気がした。 けれど、兵藤くんが顔を覆っていた手をゆっくりと下ろした時には、いつもの優しい笑顔が貼り付いていた。 「うん。……夜メシさ、俺の作り置きでよければ一緒に食べよう? 高槻にはもう飯は済ませるって伝えてあるし」 「いいの!? 僕も準備手伝うよ」 この部屋で兵藤くんに伝えた言葉の数々は、夏休みからずっと、僕の心の中でつっかえていた正体不明の熱そのものだったのかもしれない。 少し冷え始めた室内の空気も、今は心地いい。 すっかり西日が傾き、薄暗闇へと沈んでいく部屋と、彼の黒縁メガネの奥で揺れる底知れない瞳とは裏腹に。 僕の気持ちは、不思議なほどに晴れやかだった。

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