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2-4 初めてのお泊まり

「……美味しい! 兵藤くんのご飯食べると、どうしても笑顔になっちゃう」 「そんなこと言われたら、毎日ご馳走してあげたくなるなー」 野菜たっぷりの豚汁と、キャベツやきのこが敷き詰められた鮭のちゃんちゃん焼き。 温かくて優しい味わいが喉を通過するたび、体が喜んでいる。 「でも、兵藤くんがそう言う気持ち、僕にもわかるな」 「どういうこと?」 「喜ばれると、ご飯用意するのも全然苦じゃない感じ」 いつも口いっぱいに頬張りながら「美味い!」と言って、白米をかきこむ無邪気な彰那の姿が脳をよぎる。 「あー、高槻か。そういえば、どうして二人は自炊で済ませることが多いの?」 「最初は、僕なりに彰那を支えたくて始めたことなんだ。怪我で辞めちゃったんだけど、彰那は夏まで高跳びの選手だったんだよ。僕より先に、紫苑にスポーツ推薦で入学が決まってて」 隣の兵藤くんが食事の手を止め、体を僕の方に向き直したのを確認して、今に至るまでのことをゆっくりと話し始めた。 彰那の推薦が決まって、紫苑学園を知ったこと。 自立した寮生活に憧れて紫苑祭の見学に行けば、自由でキラキラした雰囲気に猛烈に胸を打たれて受験を決意したこと。 偶然彰那と同室になり、高跳びに専念できるようにと栄養バランスを考えた料理を振る舞うようになったこと。 宙を舞う彰那がきれいで、かっこよかったこと。 「高跳びにのめり込むようになってからは少し怖い時もあったから、昔みたいに伸び伸びした彰那に戻ってくれて、それはそれで良かったのかもって今は思ってる」 ぽつりとこぼした僕の言葉に、ふと、部屋に静寂が落ちる。 「……そっか」 相槌を打つ兵藤くんの声が、さっきまでより少しだけ低くなった気がして彼の方を見ると、いつものようにふにゃりとした笑顔を浮かべていた。 けれど、黒縁メガネの奥の瞳だけは、なぜかじっと僕の顔を観察するように据わっていて。 「高槻のこと、本当に大事に思ってるんだね」 「そうかも。ご飯を作る理由は無くなったけど、彰那が喜んでくれるのが嬉しくて、今も続けちゃってるのかなーって、兵藤くんのご飯食べたら思ったよ」 照れ隠しで笑うと、兵藤くんは少しだけ身を乗り出して僕の顔を覗き込んできた。 「……まぁ、高槻もガキじゃないし。間宮くんがずっと世話を焼かなくても大丈夫だよ。だからたまにはこうして、俺のメシで息抜きするのもいいんじゃないかな?」 そう言って小さく首を傾げる彼は、ずるいくらいに優しくて。 僕の心の一番柔らかくて少しだけ疲れていた部分を、見透かされたような気がした。 「……うん。ありがとう」 温かい豚汁をもう一口飲むと、胃の奥からじんわりと熱が広がっていく。 それは彼が作ってくれたご飯のせいなのか、それとも彼自身から放たれる引力のせいなのか。 僕はまた一つ、彼という存在の心地よい甘さに溺れていくのを感じていた。 *** 「……ふぁ」 食後にと出してくれた温かいお茶を飲んでいると、ふいに小さなあくびが漏れた。 満腹感と、この部屋の居心地の良さにすっかり緊張が解けてしまって、急激な眠気が襲ってくる。 「ごめん、なんだか急に……眠くなっちゃって」 「ふふ、いいよ。間宮くん、今日はいろいろあって疲れちゃったでしょ」 こすった目を細めて見ると、テーブルに頬杖をついた兵藤くんがやわらかな表情でこちらを見つめていた。 「さっき高槻には大丈夫そうだったら帰すって言ったけどさ。……このまま仮病使って、今日は俺の部屋でゆっくり寝ていかない?」 「えっ……でも、彰那に悪いよ。嘘つくなんて」 「いいじゃん、たまには。それに、俺がもう少し間宮くんと一緒にいたいんだ」 甘く穏やかな声でそんなことを言われたら、もう断る理由なんて見つからない。 「それなら……今日は泊まらせてもらってもいいかな?」 「もちろん」 兵藤くんは満足そうに目を細めて頷くと、おもむろに立ち上がった。 「部屋着貸すから、先にシャワー浴びてきなよ。湯船は浸かる?」 「なんだか悪いな……。ありがとう。湯船浸かったらそのまま寝ちゃいそうだから、シャワーだけ借りるね」 彼から手渡されたふかふかのタオルとスウェットを抱えて、案内されたバスルームへ向かう。 僕の部屋とまったく同じ間取りなのに、脱衣所もお風呂場も違う空気が漂っていて、彼の生活の奥深くに足を踏み入れているのだと実感して少しドキドキした。 温かいシャワーで一日の心地よい疲労を洗い流し、火照った体に渡された服を通す。 けれど、洗面台の鏡に映った自分の姿を見て、僕は思わず目を見開いてしまった。 「お風呂ありがとう。部屋着貸してくれたのに悪いんだけど、やっぱり大きくて……。変じゃないかな?」 借りたスウェットの袖を何度も捲り上げながら、僕は恐る恐るリビングへ戻った。 厚手の生地は僕の肩幅を易々と越え、首元はだらしなく鎖骨まで覗いている。 裾も長すぎて、歩くたびに足の甲に触れる感覚が、なんだかひどく落ち着かない。 「……全然変じゃないよ。似合ってる」 ソファに座って本を読んでいた兵藤くんが、顔を上げた。 黒縁メガネの奥の瞳が、じっと僕の足元から首元までを舐めるようになぞっていく。 その視線に、お風呂上がりの体温がさらに数度上がった気がした。 「そうかな……? 兵藤くんの匂いがして、なんだか変な感じ」 「嫌だった?」 「ううん、嫌じゃないよ。……ただ、その、照れ臭くて」 うつむく僕に、彼は「そっか」と短く笑うと、寝室の扉を開けた。 「……湯冷めする前に、今日はこっちのベッド使って。俺は趣味部屋で寝るから」 「えっ、そんなの悪いよ! 僕が床で……」 「ダメ。お客様を床で寝かせるわけにはいかないでしょ。俺はまだ起きてるから、何かあったら呼んで。おやすみ」 有無を言わさぬ優しさに押し切られ、僕は彼のベッドに潜り込んだ。 シーツからも、枕からも、彼と同じグリーンの香りが濃密に漂ってくる。 自分の肌が彼の持ち物に直接触れているという事実に少しだけ心臓が跳ねたが、それ以上に、彼の匂いに包まれているとたまらなく安心した。 (こんなに楽しい一日、高校生になってから初めてだったな……) 朝、中間テストの順位発表で兵藤くんが一位を取ったことに誇らしさを感じたかと思えば、六限を二人で抜け出して、初めて友達の部屋に来て。 いろんな話をして、兵藤くんのいろんな表情を見て。 どこか浮ついた気持ちで一日を振り返りながら、まぶたがどんどん重くなっていく。 彰那のことばかり考えていた僕に、新しい居場所ができたみたいで。 こんなふうにまた遊びに来て、ご飯を食べて、夜更けまで一緒に過ごせたらどんなに幸せだろうか。 (また、お泊まりしたいな……) そんなささやかな願いを胸に抱きながら。 僕は深く、甘い眠りの底へと落ちていった。

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