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第3話
「PTSD ですね」
と医者は言った。
カゼですね、みたいに言うな。
あとで知ったがまともなプロほどそういう断言は避 けるらしい。患者 が震えあがるからだ。俺みたいに。
「ど、どうすれば?」
「しばらく包丁を使うのは控えましょう」
「仕事で料理をするんです」
「休めませんか」
「戻って半月も経ってないんです。ただでさえ勤務時間を調整してもらっていて、これ以上は……」
「ふーむ……」
医者は電子カルテに目を落とした。
「一応、薬も処方できますが」
一応ってなんだ、おい。
「……考えさせてください」
俺は診察室をあとにした。
役所が紹介する医院だけあって、いつ来ても混みあっている。
俺は精算を待つ間に別のカウンセリング先を検索した。
くそ、どれも一か月近く待つじゃねえか。
俺は歯噛 みしたが、とりあえず一番評価のいい施設へ予約を入れた。
◆
安心しろ、ここからはダイジェストだ。
俺は医者の指示に従い、家ではなるべく包丁を使わずに料理をした。手でちぎるとか、フードプロセッサーを使うとかだ。便利なようでなかなか不便 だな。
どうしても切る必要がある時はペティナイフを使った。柄が小さくて軽い分、嫌な感触を思い出すまでの時間が稼げる。
職場で肉を切るときだけはじっとりした汗が出そうになったが、その程度だ。この時ばかりはピークタイムのせわしなさに感謝した。
そうやって二、三週間はどうにか過ごした。
だが俺が思う以上に、俺はこの難易度の高い日常にまいっていた。
特に食事が人間に与える影響はデカい。グルメを気取るつもりはないが、俺は多少手をかけたもののほうが好きだ。食感や舌触りも地味に気になる。
あとペティナイフで全部の食材を切るのはやめておけ。刃そのものが小さいし、余分な力がいるし、変なところに変な疲れが蓄積 されていく。
そのせいかはわからないが、最近やけに腕が重い。肉を1ブロック切るだけで肩まで鉛 が詰まったように感じる。
原因は包丁か、俺のほうか。わかるのは明らかに切り口がにぶってるってことだ。
おかしいな。こんなはずじゃなかったんだが。
「――――あとどのくらいかかるっすか」
俺は我に返った。
アルバイトくんがじっとこっちを見ていた。
ディナータイムの厨房はとてもあわただしい。好きな表現じゃないが、戦場だなんていうヤツもいる。
ただそういうのは言ってるやつが余計な戦火を起こしてる場合も多い。
「できたぜ。頼む」
俺はアルバイトくんに皿を渡した。
「21時のお客様、魚から肉に変更だそうっす」
「わかった」
「食材こちらに置くっす」
「ん、ありがとう」
ああクソ、腕が重い。
刃の軌道 がゆがんで繊維 がつぶれる。
「あと1番テーブル、メインディッシュお待ちで――――」
「わかってる!!」
アルバイトくんが息をのんだ。シェフがぎょっとして振り返った。
俺はやっちまったと思った。頭の血がすっと下がった。
「……悪かった。すぐにやる」
「っす」
やがてピークは過ぎた。
俺は時計の針が22時を指す前にロッカールームをノックした。
「オリバー、さっきはすまなかった」
紹介が遅れた。
彼がオリバー。コック見習いのアルバイトだ。
髪用ネットを取ったばかりだから、くせの強い巻き毛が頭のあちこちから飛び出している。
「きみにあたる場面じゃなかった。俺が手間取ってただけだ」
「気にしてないっす。ライアンさんがあせるなんて珍しいですね」
と言ってから、オリバーがこてんと首をかしげる。
「……手間取ってたんすか?」
「かなりな」
俺はあいまいにうなずいた。
オリバーと話していると複雑な気分になる。
『俺もティーンのときこうだったんだろうな』という気持ちと、『このタイプではなかったな』という気持ちだ。
ヘンに斜 に構えているわけじゃないが、会話がワンテンポずれるというか、表情が読みづらい。
『♪』
聞きなれない通知音が鳴った。
オリバーがスマホを出した。
「通知来たんで写真撮りましょう」
と、厨房が入るように手をかざす。
「ライアンさんも」
「ん? ああ」
画面には厨房の床と二人分の片手が写った。オリバーは撮影ボタンを押した。
「いいのかそんなので」
「こういうSNSなんです」
オリバーは俺を見た。スマホをしまって、言葉を探すように天井を見る。
「ここしばらくシェフと二人きりだったんすけど、すげぇしぼられました」
「覚えがあるよ」
俺は分からないまま応じた。
「だから、戻ってきてくれてホッとしてます」
「…………すまん」
前言撤回 、最近のティーンは大人だな。
俺はこんないい子に大声を出した自己嫌悪でいっぱいだ。
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