6 / 12
第6話
『♪』『♪』『♪』
俺はスマホの電子音で目を覚ました。
保険にかけておいたアラームだ。
ウソだろ、11時だと?
俺はベッドから起きだして周りを見渡した。
ベッドの上にマシューの姿はない。だが床に蹴り落としたわけじゃなさそうだ。
俺は寝室を出た。廊下もキッチンも静まり返っている。
リビングのテーブルに書き置きがあった。
『おはよう。少し実家に用ができたので、早めに出るね。カギは郵便受けに入れておきます』
俺は紙を指でなぞった。美しいサインの見本で見るような、のびやかで綺麗な文字だ。
スマホで済むのに、と思うか?
10時間寝た俺にはわかる。音が鳴るんだ。
俺は絵画を見るように彼のメモを眺めて、長いため息とともに額を押さえた。
「なにやってるんだ」
俺はどうにか苦笑いした。すっきりした頭で考えてみると、昨日の俺は自分でもどうかと思う。これ以上周りに被害を出す前に、本格的に自分を見つめなおしたほうが良さそうだ。
スマホの通知が鳴った。本日1時のカウンセリングを知らせるメールが来ていた。
一か月は長かったな。
◆
「よくいらっしゃいましたね」
カウンセラーは人のよさそうな老紳士 だった。
年はシェフと同じか、少し上だろう。撫でつけたグレイヘアといい、上品なイントネーションといい、ステッキとシルクハットが似合いそうだ。
机の上では問診 時間を測 るタイマーが動いている。
「今日はどうされました?」
「……少し前にちょっとした事件に巻き込まれて。主治医が言うにはPTSDだと」
カウンセラーはメガネの奥の目をちょっと見開いた。しかしすぐに穏やかな顔に戻った。
「そうでしたか。さしつかえなければ、その事件についてお聞きしても?」
俺はこれまでのことをかいつまんで話した。
家に強盗が入ったこと、そいつを誤って殺してしまったこと、ここ最近の自分がどうかしていること。
普段のカウンセリングは役所の紹介だが、ここは自費診療 だ。だから診るほうも余裕があるのかもしれない。
カウンセラーは神妙 に俺の話を聞き、タブレットの操作をやめた。
いいのか。知らないが電子カルテだろう。
「よく受診 を決められましたね」
カウンセラーは俺に向き合って言った。
「こういう症状はみなさんガマンしがちなんです。ですが限界を超えてから治療するより、早めに対処したほうが回復が早い」
「はあ」
俺はあいづちを打った。
カウンセラーは続けた。
「これまでに同じ経験をされたことはありますか。気分の落ち込みとか、食欲不振 とか」
「いえ、」
と答えてから、俺はかぶりを振った。
「……似た症状の知人がいたので」
「その方とは今も?」
「いいえ。昔の恋人です」
それから? とは言わなかったが、カウンセラーは聞く姿勢を見せた。
俺は口を閉じて逃げ切ろうとしたが、彼のほほえみの圧 に負けた。
「……学生時代の話です」
◆
ケイティとは大学で出会った。
彼女は美人で、明るくて、頭が良くて優しい女性だった。
だからみんなに好かれていたし、俺も彼女を好きになった。
彼女がどういう理由で俺に応 えてくれたかは定 かじゃないが、俺たちは恋人になった。
ケイティはモデル顔負けのプロポーションだった。
しかし、当時の俺からは少しだけやせすぎに見えた。実際彼女は貧血 や体調不良で休むことも多かった。
俺はケイティのために何かしたいと思った。幸か不幸か、当時から料理は好きだった。
もうわかるな。俺は自分の料理でケイティを健康にしようとした。
彼女の顔色があと少し良くなって、ほんの少しだけ肉が増えたら、きっと今以上に美しいだろうと思った。その体を安心して抱きしめたい下心もあった。
ケイティは俺の料理をとても喜んでくれた。
『お店みたいね。あなたってすごいわ』
と、褒めてくれた。――――ああくそ、顔から火が出そうだ。
当時の俺は幸せだった。
少しでも体に良いレシピを調べたり、彼女にリクエストを聞いたりした。
『フードプロセッサーだけで作れるスープを考えたんだ』
なんて、手製 のレシピを渡したこともあったかな。勘弁 しろ。
だがケイティの体調は良くならなかった。それどころか以前より頬 の肉が落ちて、顔色も悪くなっていた。
俺は病院をすすめた。
ケイティは首を横に振った。
今ならもっとうまく伝える。少なくとも手料理を出した席でする話じゃない。
俺があまりにしつこいので彼女は怒った。
『お手洗いに行かせて』
と言って席を立った。
だが彼女は歩けなかった。その場に崩れるようにうずくまり、胃の中のものを全て吐いた。
俺は青くなって救急車を呼んだ。
察 しのいい奴は気づいただろう。
ケイティは摂食障害 を患 っていた。
実際の体重にかかわらず、太ることが怖くて食事ができなくなってしまうあれだ。
俺は病室でケイティに別れを切り出された。
ケイティはひどくうつろな顔で言った。
『あなたの料理をあんなことにしてごめんなさい』
『私、こんなだから、もうあなたと付き合えない』
『別れましょう』
どれから先に言われたかはあいまいだ。
俺はショックだったし、テンパっていた。
料理がどうなったなんて話はいい。俺のしてきたことが彼女にとってはどういう意味を持つのか、考えるのが恐ろしかった。
俺はケイティに言葉をかけなければ、とあせった。
『そんな……気にすることないさ』
瞬間、何かが俺の顔の横を飛んで行った。プラスチック製のカップが壁に当たって跳ね返った。
ケイティは叫んだ。
『あなたはよくても、私はもう限界なの!』
『あなたと食事した後、一人で体重計に乗る私の気持ちがわかるの!?』
『自分でもおかしいってわかってる、あなたが善意でやってくれてることも知ってる、でもそれも含めてつらいの―――――もう放っておいて!!』
こうして俺とケイティの関係は終わった。
あとで知ったことだが、ケイティは俺の料理を食べるために、普段の食事を抜いていたらしい。
それは一番太るやり方だ。
ケイティだって知っていた。だが空腹と恐怖が判断力を狂わせた。体重は増える一方なのに、無知 な恋人は会うたび何か食わせてくる。
そこに悪魔がささやいた。『吐けば太らないんじゃないか?』とな。
それが彼女の体調が急激に悪化した理由だ。
だが、吐くって行為は思いのほか内臓を痛めつける。
弱った内臓は食べ物を消化する力を失い、ついには彼女の意思に関係なく、胃に入ったものを反射的にもどすクセがついてしまった。そしてああなった。
俺は若かった。ケイティが心底好きだった。
だが当時の俺がきちんと恋人を見つめていたかと聞かれれば、おそらくNOだ。
ケイティだって好きで吐いてたわけはない。彼女はひとりで、うす寒いトイレの個室で、何を考えただろう。
俺は未熟なガキだった。
ひょっとしたら今もな。
ともだちにシェアしよう!

