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第6話

『♪』『♪』『♪』  俺はスマホの電子音で目を覚ました。  保険にかけておいたアラームだ。  ウソだろ、11時だと?  俺はベッドから起きだして周りを見渡した。  ベッドの上にマシューの姿はない。だが床に蹴り落としたわけじゃなさそうだ。  俺は寝室を出た。廊下もキッチンも静まり返っている。  リビングのテーブルに書き置きがあった。 『おはよう。少し実家に用ができたので、早めに出るね。カギは郵便受けに入れておきます』  俺は紙を指でなぞった。美しいサインの見本で見るような、のびやかで綺麗な文字だ。  スマホで済むのに、と思うか?  10時間寝た俺にはわかる。音が鳴るんだ。  俺は絵画を見るように彼のメモを眺めて、長いため息とともに額を押さえた。 「なにやってるんだ」  俺はどうにか苦笑いした。すっきりした頭で考えてみると、昨日の俺は自分でもどうかと思う。これ以上周りに被害を出す前に、本格的に自分を見つめなおしたほうが良さそうだ。  スマホの通知が鳴った。本日1時のカウンセリングを知らせるメールが来ていた。  一か月は長かったな。 ◆ 「よくいらっしゃいましたね」  カウンセラーは人のよさそうな老紳士(ろうしんし)だった。  年はシェフと同じか、少し上だろう。撫でつけたグレイヘアといい、上品なイントネーションといい、ステッキとシルクハットが似合いそうだ。  机の上では問診(もんしん)時間を(はか)るタイマーが動いている。 「今日はどうされました?」 「……少し前にちょっとした事件に巻き込まれて。主治医が言うにはPTSDだと」  カウンセラーはメガネの奥の目をちょっと見開いた。しかしすぐに穏やかな顔に戻った。 「そうでしたか。さしつかえなければ、その事件についてお聞きしても?」  俺はこれまでのことをかいつまんで話した。  家に強盗が入ったこと、そいつを誤って殺してしまったこと、ここ最近の自分がどうかしていること。  普段のカウンセリングは役所の紹介だが、ここは自費診療(じひしんりょう)だ。だから診るほうも余裕があるのかもしれない。  カウンセラーは神妙(しんみょう)に俺の話を聞き、タブレットの操作をやめた。  いいのか。知らないが電子カルテだろう。 「よく受診(じゅしん)を決められましたね」  カウンセラーは俺に向き合って言った。 「こういう症状はみなさんガマンしがちなんです。ですが限界を超えてから治療するより、早めに対処したほうが回復が早い」 「はあ」  俺はあいづちを打った。  カウンセラーは続けた。 「これまでに同じ経験をされたことはありますか。気分の落ち込みとか、食欲不振(しょくよくふしん)とか」 「いえ、」 と答えてから、俺はかぶりを振った。 「……似た症状の知人がいたので」 「その方とは今も?」 「いいえ。昔の恋人です」  それから? とは言わなかったが、カウンセラーは聞く姿勢を見せた。  俺は口を閉じて逃げ切ろうとしたが、彼のほほえみの(あつ)に負けた。 「……学生時代の話です」 ◆  ケイティとは大学で出会った。  彼女は美人で、明るくて、頭が良くて優しい女性だった。  だからみんなに好かれていたし、俺も彼女を好きになった。  彼女がどういう理由で俺に(こた)えてくれたかは(さだ)かじゃないが、俺たちは恋人になった。  ケイティはモデル顔負けのプロポーションだった。  しかし、当時の俺からは少しだけやせすぎに見えた。実際彼女は貧血(ひんけつ)や体調不良で休むことも多かった。  俺はケイティのために何かしたいと思った。幸か不幸か、当時から料理は好きだった。  もうわかるな。俺は自分の料理でケイティを健康にしようとした。  彼女の顔色があと少し良くなって、ほんの少しだけ肉が増えたら、きっと今以上に美しいだろうと思った。その体を安心して抱きしめたい下心もあった。  ケイティは俺の料理をとても喜んでくれた。 『お店みたいね。あなたってすごいわ』 と、褒めてくれた。――――ああくそ、顔から火が出そうだ。  当時の俺は幸せだった。  少しでも体に良いレシピを調べたり、彼女にリクエストを聞いたりした。 『フードプロセッサーだけで作れるスープを考えたんだ』 なんて、手製(てせい)のレシピを渡したこともあったかな。勘弁(かんべん)しろ。  だがケイティの体調は良くならなかった。それどころか以前より(ほお)の肉が落ちて、顔色も悪くなっていた。  俺は病院をすすめた。  ケイティは首を横に振った。  今ならもっとうまく伝える。少なくとも手料理を出した席でする話じゃない。  俺があまりにしつこいので彼女は怒った。 『お手洗いに行かせて』  と言って席を立った。  だが彼女は歩けなかった。その場に崩れるようにうずくまり、胃の中のものを全て吐いた。  俺は青くなって救急車を呼んだ。  (さっ)しのいい奴は気づいただろう。  ケイティは摂食障害(せっしょくしょうがい)(わずら)っていた。  実際の体重にかかわらず、太ることが怖くて食事ができなくなってしまうあれだ。  俺は病室でケイティに別れを切り出された。  ケイティはひどくうつろな顔で言った。 『あなたの料理をあんなことにしてごめんなさい』 『私、こんなだから、もうあなたと付き合えない』 『別れましょう』  どれから先に言われたかはあいまいだ。  俺はショックだったし、テンパっていた。  料理がどうなったなんて話はいい。俺のしてきたことが彼女にとってはどういう意味を持つのか、考えるのが恐ろしかった。  俺はケイティに言葉をかけなければ、とあせった。 『そんな……気にすることないさ』  瞬間、何かが俺の顔の横を飛んで行った。プラスチック製のカップが壁に当たって跳ね返った。  ケイティは叫んだ。 『あなたはよくても、私はもう限界なの!』 『あなたと食事した後、一人で体重計に乗る私の気持ちがわかるの!?』 『自分でもおかしいってわかってる、あなたが善意でやってくれてることも知ってる、でもそれも含めてつらいの―――――もう放っておいて!!』  こうして俺とケイティの関係は終わった。  あとで知ったことだが、ケイティは俺の料理を食べるために、普段の食事を抜いていたらしい。  それは一番太るやり方だ。  ケイティだって知っていた。だが空腹と恐怖が判断力を狂わせた。体重は増える一方なのに、無知(むち)な恋人は会うたび何か食わせてくる。  そこに悪魔がささやいた。『吐けば太らないんじゃないか?』とな。  それが彼女の体調が急激に悪化した理由だ。  だが、吐くって行為は思いのほか内臓を痛めつける。  弱った内臓は食べ物を消化する力を失い、ついには彼女の意思に関係なく、胃に入ったものを反射的にもどすクセがついてしまった。そしてああなった。  俺は若かった。ケイティが心底好きだった。  だが当時の俺がきちんと恋人を見つめていたかと聞かれれば、おそらくNOだ。  ケイティだって好きで吐いてたわけはない。彼女はひとりで、うす寒いトイレの個室で、何を考えただろう。  俺は未熟なガキだった。  ひょっとしたら今もな。

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