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第7話
「そうでしたか。あなたも彼女さんもおつらかったですね」
カウンセラーは穏やかに言った。
俺は返事に困ってあいまいにうなずいた。
「食べないとこたえますからね。だからと言って他の人にあたっていいわけではない。あなたが職場で後輩の方にきちんと謝れたのはとても良いことです」
「はあ、ありがとうございます」
大丈夫か。ずいぶんと甘やかされちゃいないか。
「それから包丁についてですね」
と、カウンセラーはタブレットを手に取った。何度かスワイプして脳のイラストを出す。
「このあたりに扁桃体 というものがあります。外からの危険に反応して、体にさまざまな信号を出すんです」
「はあ」
俺は理科の授業を受けている気分になった。
「子供のころ犬に噛まれた人が、『犬』すべてを怖がることがありますね。世界中の犬の中で、その人を噛んだのはたった一匹なのに」
「ええ……はい」
「あれは脳が『犬に近づいたらひどい目にあった』と記録していて、同じ目にあわないために過去を思い出させているんです」
「俺の脳もそうだと?」
「はい。『包丁を持っている時にトラブルにあった。覚えてるだろう? 包丁は持たないほうがいいんだ』とね」
俺は苦笑いした。
その理屈だと、俺の脳は『包丁を持っていたせいで強盗に襲われた』って考えてることになる。
実際は俺が何を持ってようが関係なく、あの日不運が訪 れちまっただけだ。
「なんていうか……ずいぶん極端ですね」
「本能ですからね。因果関係 が正しいかはともかく、脳はあなたを守ろうとしているんです」
カウンセラーはタブレットを置いた。
「きちんと治療をすればこうした反応は落ち着きます。ですので、今無理に包丁を使うのはおすすめできません」
「……はい」
もっともだ。
「ですが、リハビリをしないのも問題ですからね。体調に合わせて、一日数分程度ならいいでしょう」
俺は顔を上げた。
「包丁を使ってもいいんですか」
「禁止はしません」
カウンセラーはにこやかなまま言った。
「気分が悪くなりそうだと感じたらストップです。大丈夫。気長にやりましょう」
そこでタイマーが鳴った。
俺はカウンセラーに礼を言って診察室を出た。
肩の荷が下りた気がした。
◆
俺は支払いを済ませて外へ出た。
緑豊かな郊外だ。広い道沿いに観光地や娯楽施設はなく、このあたりに住む人たちの家がまばらに立っている。
山沿いにいくつか見える大きな建物は病院だろうか。
日が沈むまでにはまだ数時間あるが、ランチタイムはとっくに終わっている。
俺は駐車場の入口を抜けようとした。なんとはなしにフェンスを見た。知らない子供がじっと俺を見ていた。
俺はぎょっとした。
自分の頭が本格的にどうにかなって、幻覚が見えている可能性を考えた。子供の声を聴いたとか見たとか、フィクションにはよくある話だ。
幸い子供は現実の子供だった。
俺がビクッと跳ねたのを見て、あっちもビクッと後ずさりした。子供の背がフェンスにぶつかってガシャンと音を立てた。
「っ、どうした坊主、ひとりか?」
俺はその子供に話しかけた。
5才くらいの少年だ。見た目にケガはなく、こぎれいな厚手のパーカーとボトムを着ている。
「パパやママとはぐれたのか?」
「…………」
少年は黙って地面を見た。
俺は周りを見渡した。
駐車場はがらんとしていて、利用客の姿もない。職員用の区画 に数台の車があるだけだ。
「ええと、名前は?」
「……しらないひとにおしえちゃダメだって、ママが」
「えらいな。じゃあ、どこから来たかは教えてくれるか?」
「…………」
よし、警察だ。
俺はスマホを出した。あまり常連 にはなりたくないが市民の義務だ。待てよ、先にこの子をカウンセリングセンターに預けたほうがいいのか?
「えゔぁーぐぃーんれじぜんず」
「なんだって?」
俺はスマホから顔を上げた。
「おばあちゃんがいるんだ。ぼく、ママといっしょにきたんだ」
俺はしばらく面食らって、さっきの質問の返事だと気が付いた。
どこから来た? エヴァーグリーンレジデンス。
試しに名前を検索した。
1.7キロ先の介護施設がヒットした。住所はウッドヒルズノースストリート1038番。
ん? どこかで聞いたな。
「ちょっと待ってな、かけてみるから」
俺は表示された番号に電話をした。
『――――はい、エヴァーグリーンレジデンスです』
俺の母親くらいの年代の女性の声がした。
「あー、突然すみません。今ホープズカウンセリングセンターの駐車場で、5才くらいの男の子を見つけたんですが」
「6才」
少年が言った。
「6才だそうです。その子がこちらの施設の名前を言ったんですが、なにかご存じですか?」
『……しょ、少々お待ちください』
電話口の声はあわてた様子で言った。
保留を押し忘れたらしい。通話越しにドタバタと音が聞こえる。
『いたって! カウンセリングセンターの駐車場!』
『なんでそんなところに!?』
『もう警察呼んだわよ!?』
俺は待った。さっきとは別の職員の声がした。
『お電話代わりました。お名前をお聞きしても?』
「ライアン・オルセンです」
俺はフェンスでボルダリングを楽しもうとしている少年を地面に下ろした。
『職員と保護者の方が向かいますので、その場でお待ちください』
「ええ」
『警察の方が少し事情を聞くと思いますが、かまいませんか?』
「いいですよ」
俺は通話を切って、誘拐犯に間違われないことを祈った。
10分が経った。
道の向こうからエンジン音が聞こえた。
多分施設の車だろう、ロゴ入りのワゴンがパトカーを連れてやってくる。
減速 したワゴンが停まりきらないうちに、助手席のドアが勢いよく開いた。
一人の女性が転がるように車から飛び出す。
「ロバート!!」
「ママ!」
「ベイカーさん、危ない!」
最後のセリフは運転席の職員だろう。強いブレーキでワゴンが跳ねる。
俺が見ている前で少年は女性に駆け寄り、女性はひざをついて少年を抱きしめた。親子が再会できて何よりだ。
俺が若干身の置き場に困っていると、運転席から職員の制服を着た青年が下りてきた。
彼はひかえめに俺に片手を上げた。
俺は固まった。
マシューだった。
「な……」
そういえば職場がウッドヒルズになったって話をしてたな。してたよな? なんでここに?
あぜんとする俺に、マシューは困ったように笑って、『あとでね』ってしぐさをした。そして親子に声をかけた。
「ベイカーさん。発見者のライアン・オルセンさんです」
そうだな、今はこの親子のケアが大事だ。
女性が顔を上げた。
「っ、ありがとうございます……! 息子を見つけていただいて、なんてお礼をしたら、」
そこで止まった。彼女は少年を抱きしめたまま、俺の顔をまじまじと見た。まるで数秒前の俺だ。
「………………ライアン?」
名前を呼ばれて、俺は彼女の顔をよく見た。
俺の知る彼女よりずっと顔色が良くて、やわらかい輪郭 だったから、すぐにはそうと分からなかった。
「ケイティ、なのか?」
なんてこった。子供の幻覚を見ていたほうがマシだった。
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