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第8話

「――――今日は母に会いに来たんです」  ケイティは警官にそう話した。  俺は少し離れてそれを聞いていた。  あたりはだいぶ薄暗くなってきたが、街灯(がいとう)がつくには早い。だからパトカーの青いランプが一番明るい。 「母はこの近くの介護施設(かいごしせつ)入所(にゅうしょ)していて……私はクリスマスに休みが取れなかったので、帰省(きせい)()ねて息子を連れてきたんです」 「お住まいは?」 「…………、です」  俺は内心おののいた。車で半日はかかる距離だ。  話はこうだ。  ケイティたちは施設のテラスで母親と面会していた。  だが息子が飽きて、庭で遊びたいと言い始めた。  庭はテラスの目の前だ。  目の届く場所で遊ばせていたつもりが、少し目を離したスキに、息子がいなくなっていた。  マジシャンも驚きの大脱出だ。いや、怪盗か?  職員総出で探したが息子は見つからない。  施設は警察に通報した。そのあたりで俺からの電話が入った。 「しかしお子さんが無事でよかった。今後は必ず大人が付き添うようにしてください」  警官はケイティとの会話をそう締めくくり、 「職員の方に話を聞くので、しばらくお待ちください」  と言ってマシューの方へ行った。  あとには俺とケイティと気まずい空気が残った。  俺は横目でケイティを見た。 「……名字、変わったんだな」 「ええ。前の夫の(せい)よ」  聞くんじゃなかった。 「あなたはどう?」 「ああ……まあ、元気にやってるよ」  カウンセリングセンターの駐車場で言うセリフじゃない。 「ママ、おなかすいた」  少年がケイティの服を引っ張った。 「そうね。今日のご飯は何がいい?」 「やさいスープ!」 「またぁ?」  ケイティは少年を撫でて笑った。昔と変わらない優しい笑顔で、昔よりずっと健康的な余裕の宿(やど)った笑顔だった。  俺は少しほっとした。 「野菜が好きなのか。いい子だな」 「あなたが教えてくれたレシピよ。よく作るの」 「……ああ」  俺はどう答えるのが正解か分からなかった。  ケイティは少年を抱き上げて俺を見た。 「フードプロセッサーだけで作れるから、すごく助かってるの。妊娠中(にんしんちゅう)もよく飲んだわ」  ケイティはパトカーを背にしてほほえんだ。言葉を探すような困ったような笑顔だった。 「ではベイカーさん、戻りましょう」  警官がケイティを|手招《てまね》いた。 「行かなきゃ」 「待ってくれ」  ケイティは振り返った。  俺は彼女の美しい目を見た。声は震えそうだったが、舌はどうにかマシに動いた。 「……あの頃のこと、本当にすまない。もっときみと話をすればよかった。俺のエゴできみを苦しめてたことを、あの時謝るべきだった」 「やめて」  俺は胃のあたりがひやっと冷えた。  しかし、ケイティは俺に近づいてきた。 「私、嬉しかったのよ。あなたに愛されてると思って、あなたと一緒なら自分をコントロールできるって信じてた。でも実際に体重が増えてるのを見たら、自分がすごくみにくく感じて。あなたに――――」  ケイティはぐっと目元を歪めた。 「あなたに『ちょっと食べただけでこんなに太るのか』って、軽蔑(けいべつ)される気がして」 「言うわけないだろ!」  ケイティは目を細めた。 「知ってたわ。……知ってたのに、ね」  ふ、と短い吐息がこぼれた。  点滅するライトが彼女の瞳に反射して、水気のある光を返した。 「ベイカーさーん!」  警官がパトカーの後部座席のドアを開けて手招きする。  それに(まぎ)れるように彼女が言った。 「……ごめんね。愛してたわ」 「俺もだよ」 「それじゃ、……さよなら」 「ああ。……さよなら」  ケイティは息子と一緒にパトカーに乗った。  パトカーはワゴンを先導(せんどう)して走り出した。  俺は日の落ちた駐車場でそれを見送った。

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