7 / 12

第6話

 また、この夢かと既視感を憶えた。  晃の意志に反して景色が動いている。  からんからんと木靴を鳴す音が次第に舗装されていない土道に差しかかると静かになる。ただぬめりとした土は水けを含んで歩きづらい。  しばらくすると湖が見えた。  雪が降ったのか湖を取り囲む草木は薄っすらと白く積もっている。  湖の水面に満月が反射していた。空気が澄んでいるお陰で夜空には降り注ぎそうなほどの星が瞬いている。  湖に近づくと男はようやく足を止めた。  周辺を見渡していると木陰から人が現れた。雪と同じように白いマントを頭から被っているのでおばけかと驚いたが、足はしっかり地面を踏みしめている。  なぜか男の胸がぽっと温かくなり、それが晃にも伝わってきた。  「ーー」  名前を呼ばれた人物はマントを取ると、晃はあまりの美しさに息を呑んだ。  長い睫毛を伏せて目元に影をつくると妙な大人っぽさがあるのに寒さで赤くなった頬は熟した桃のような色で可愛らしさもある。  月夜に輝く金色の髪は夜風に揺れ、男はうっとうしそうに掻き上げた。その手つきがうっとりするほど様になっている。  年齢は二十歳前後だろうか。  着ている服は光沢のある銀色のおかげで光っているように見える。素人目で見ても上質な布地だとわかる。かなり高貴な人物かもしれない。  「ーー」  また名前を呼ばれた。晃の意志に反して身体が勝手に動き出す。男に駆け寄ると抱きしめられた。男の厚い胸板に頭を寄せ、寒さを忘れるくらいひたひたと幸せに浸かれる。  晃が見ている人物の感情が川のせせらぎのように流れてきた。嬉しい、幸せと幸福感がある一方で暗い感情がじわりと染み出してきている。  『遅くなって申し訳ございません』  『村からここは遠いから無理もない。すまない、こんな寒い夜に』  『大丈夫です』  金髪の男は花が咲くように鮮やかな笑顔を浮かべた。その表情はただの友人に見せるものではない特別な気持ちを秘めている。  (もしかしてこの二人は恋人?)  どこか身近にいたような気がするのに記憶が蜘蛛の糸にぐるぐる巻きにされてしまったようで思い出せない。  『さっそく始めようか』  金髪の男が胸ポケットから取り出したのは白い花だった。だが時間が経つと淡いピンク色に染まり始めている。  二人は湖のそばに向かい合って座った。花の茎をそれぞれ持ち、千切れないように慎重に結んでいる。  そして出来上がったものを湖に浮かべ、ゆらゆらと満月を映した水面へと流れていった。  『これでずっと一緒だな』  『本当に?』  男の胸が締めつけられるように苦しくなり、晃の息が詰まった。  二人は祝福されない関係なのが伝わってくる。  きっとこの二人に未来は、ない。  『大丈夫。どんなことがあっても想っているよ』  『……俺も』  金髪の男にしだれかかり水面を浮かぶ花を眺めていた。  「ダーリン、おなかすいた」  大きな目をくりっとさせた葵に肩を揺すられて目を覚ました。葵はすでにピンクのドレスに着替え、不器用ながらハーフアップに結んでいる。小さくても女としての矜持があるらしい。  床で寝ていたせいで腰が痛い。身体を起こして背伸びするとぼきぼきっと関節が鳴った。  窓から差し込むはずの朝日はなく、外はどんよりとした空模様だ。  「ごめん、寝坊した」  「いいの。ダーリンのねがおいっぱいみれたし」  葵は頰を赤らめて笑った。裏表のない、純度百パーセントの好意に自然と頬が下がる。  「朝ごはんなにがいい?」  「ホットケーキ!」  「いいよ。材料まだ残ってるし」  ホットケーキを焼いている間、葵は大人しく子ども向け番組を観ている。テレビから懐かしいメロディが流れてきて、ハミングしていると葵も楽しそうに歌ってくれた。  「あら、おうじさま」  匂いに釣られたのか寝起きで不機嫌な表情のまま圭吾がリビングに現れた。葵を見て、眉間に小山をつくる。  「……葵、いんのかよ」  「きのうのぶとーかいはすばらしかったわね。きょうはそとでおちゃかいでもどうかしら?」  「は?」  さっそくプリンセスごっこが始まったが、圭吾は渋面を深くさせた。  「ちょっと待っててね」  圭吾を引っ張って自分の部屋に引き入れた。状況を理解できない圭吾はあからさまに機嫌が悪い。  事情を説明すると圭吾は段々と表情を曇らせた。  「で、俺が王子様やれと」  「できそう?」  顔に嫌だと書いてある。  でも葵の置かれた状況に同情している節もあり、その二つの狭間で揺れているようだ。  「……王子ってガラじゃねぇけど」  「トーマはすごく王子様だったよ!」  「あいつは本物の王子だろ」  はぁと溜息を吐いて後頭部をごりごりと掻いた。どうやら腹を決めたらしい。  「やりたくねぇけどしょうがないな」  「ありがとう!」  「ねぇ、はやくおでかけしましょうよ」  待ち切れなかったらしく葵が扉を開けた。すでにリュックも背負い、準備万端だ。   「プリンセス、準備を致しますので少々お持ちいただけますか?」  恭しく頭を下げて笑みを浮かべる圭吾に見惚れてしまう。似合っているなんてものじゃない。トーマに引けを取らないくらい立派な王子様だ。  そういえば圭吾は初めて会ったときも王子様然としていた。一人称は「わたし」だったし、言動に気品があって母親が驚いていた。  そのころの血が騒いだのだろう。  「いつまでまてばいいのかしら」  「じゃあ待っている間に髪をきれいにしようか」  「ダーリン、できるの?」  「動画見ながらならいけるかな」  簡単なヘアアレンジを動画で探した。  サイドを編み込み、ハーフアップをくるりんぱさせただけだが葵は鏡を見てご満悦だ。  「まぁすてき! ほんもののプリンセスみたい」  「おまえ、昔っから器用だよな」  「初めてやったけどうまくできてよかったよ」  「その調子で王子様もやれば?」  「僕は従者だから」  チッと大きな音で舌打ちをした圭吾だったが、彼が一度決めたら最後までやり抜く人だとはよく知っている。  圭吾は再び葵の前で跪いた。  「では行きましょうか」  「そうしましょう!」  圭吾が差し出した手を掴み、葵は嬉しそうに玄関へと向かった。  昨日と同じ公園に行き、圭吾にすべり台をやらせたりブランコを押してもらったり、三人で鬼ごっこをしたりと全力で楽しんだ。  だが一時間ほど経つと葵の動きが鈍くなる。ベンチで休憩する回数が増えてきた。  「葵? どうした?」  「だいじょうぶ。まだあそべるわ」  葵の頬は赤く、目には涙がいっぱい溜まっている。身体が小刻みに震えていた。  まさかと思い額を触ると驚くほど熱い。  「熱ある」  「ちょっとみせてみろ」  圭吾は葵の額を触り、顔を覗き込んでいる。  「近くに小児科あったよな」  「うん。ここから近いよ」  「急いで行こう」  圭吾が葵を抱っこしてくれている間に小児科に電話すると日曜なので休みらしい。  慌てて休日でもやっている小児科を探して電話をかけると、すぐに診てくれるとのことだった。  タクシーに乗っている間も葵の体温がどんどん高くなっていく。ぎゅっと手を握り、何度も励ましの言葉をかけたが葵の意識は朦朧としていて届いているのかも危うい。  このまま死んでしまうのではないか。  そんな不安を抱えたまま病院へと向かった。  診察の結果、熱は高いがただの風邪だと診断され、山のような薬をもらえた。  家に帰り布団に寝かせるとすぐに葵は寝入ってしまった。慣れない環境で疲れが溜まっていたのかもしれない。  ネットで子どもの熱のことを調べると「熱性けいれん」だの「嘔吐時の対処法」と不安を煽るものばかりが出てくる。  高熱でうなされている葵の手が震えていた。  「これって熱性けいれんってやつかな」  「寒気がしてるだけだろ」  「でもこんなにも顔色が悪い。救急車呼んだ方が」  「晃」  携帯を持つ手を握られた。怖いくらい真剣な顔をした圭吾と目が合った。  (手、温かい)  握られた手は大きく自分の手を包み込んでくれる。不安に覆いつくされた心を労わるような温もりにほうと息が漏れた。  「落ち着け。大丈夫だから」  「でも葵がこんなに苦しそうにしてる」  「病院で診てもらえたし、薬も飲んだから大丈夫だ」  「だけど」  不安は泉のように湧いて自分の呼吸すら奪おうとする。葵にもしものことがあったら、と思うと気が気じゃない。  「おまえ、少し休んでろ。俺がみてるから」  「そんなことできないよ。葵のそばを離れられない」  「葵と同じくらい酷い顔色してるぞ」  頬を撫でられてどきりと心臓が跳ねた。  「……ダーリン?」  うっすらと目を開けた葵の声はか細い。風に煽られているロウソクのように心許なかった。  「気持ち悪い?」  「おちゃのみたい」  「ちょっと待ってね」  麦茶を飲むと葵は再び横になった。薬を飲んだのに熱はなかなか下がってくれない。  「辛いよね。ごめんね」  「どうしてダーリンがあやまるの?」  「無理させていたのにも気づかなくて」  「わたし、とってもたのしかったよ」  「葵……」  「またおとまりしたいな」  すうと葵は寝入ってしまった。規則的な寝息に胸が痛む。  頬はりんごのように真っ赤のままで額には大粒の汗が滲んでいる。小さな手を壊さないようにやさしく手を握った。  「ほら、俺がみてるから」  「でも」  「おまえが倒れたら俺が困る」  眉を顰める圭吾からは不機嫌さを隠そうともしない。いいから言うことを聞けという無言な圧力を感じる。  「圭吾、お世話できる?」  「このくらいできる。莫迦にするな」  「じゃあここで横になっててもいい?」  「おまえなぁ」  「一人じゃ不安なんだよ」  葵のこともあるが、圭吾のことも心配だ。寝ることでトーマと入れ替わるとわかっていてもそれがずっと続く保証がない。  なにかの拍子で変わるかもしれないのだ。  「わかった。じゃあ布団敷いてやる」  「ありがとう」  葵の布団とぴったりくっつけて布団を敷くと圭吾はあからさまに嫌そうな顔をした。  「叔父バカもここまでくると滑稽だな」  「家族なんだから当たり前でしょ」  家族と圭吾以外、大切なものはないのだから。  「じゃあ寝てろ」  「圭吾は?」  「俺が寝たらあいつになっちまうかもしれないから起きてる」  「無理しないでね」  「そんな顔で言われても説得力ねぇよ」  どれだけ酷い顔をしているのだろうか。頰をぺちぺちと触ると圭吾は鼻で笑いながら前髪を梳いてくれる。  その手つきがあまりにもやさしくて縋りつきたくなってしまう。好きだって言ってしまいたい。でもダメだと自分を押し留めると唇に力が入る。  「変な顔」  「ひふぁい」  「マヌケ面」  左頬を引っ張られると圭吾は屈託なく笑った。眩しい。太陽を直接見たような光の強さに目を細めた。  こんなにやさしい人を自分のわがままのせいで縛っていた。一緒にいたい本当の理由を隠し、適当な嘘で塗り固めて圭吾の前ではいい子ぶっていた。  (自由にさせてあげなくちゃ)  この手を離したらもう二度と会えないような気がする。  トーマとシリウスの話を聞いて感傷的になっているせいだろうか。  「いままで僕のわがままに付き合わせてごめんね」  「なんだよ、急に」  「嫌な思い、いっぱいしてきだよね」  「……そんなことねぇよ」  「ごめんね」  「……もう寝ろ」  「うん」  頭を撫でてもらうと驚くほどすんなりと眠りについた。       ***  なんて、嫌な夢だ  処刑台に立つ恋人の姿に彼が愛している国民たちが歓声をあげている。晃の意識が移った男が泣き喚いてもかき消されてしまい、彼には届いていないだろう。  「これより刑を執行する」  国王の宣言に国中が湧いた。  「やめてくれ! 俺が死ぬから……彼には手を出さないでくれ!」  男は喉がひりつくほどの大声で訴えているが誰にも聞こえていない。晃に流れてくる感情が悲しみで溢れ、胸を押しつぶされる。  男が前に行こうと人垣を搔き分けても後ろに押されてしまい、これ以上彼に近づけない。  「やめてくれ、やめてくれ」  男は何度も神に祈った。助けてください、お願いします。  念仏のように唱える男の気持ちが流れてくる。彼がどれほど恋人を愛しているか知っているだけに晃も涙を流した。  「……お願い。俺の世界一大切な人を奪わないで」  縄で縛られた男の恋人は頭を押さえつけられて下を向かされている。だがふと顔を僅かにあげてこちらを見た。  長い前髪から覗く青い瞳は絶望の淵に立たされているとは思えないほど曇りがない。  (なんて美しいんだろう)  失意の底にいる男の恋人はまるで春を心待ちしているように穏やかな笑みを讃えている。晃には死を待ち望んでいるように見えてならなかった。  目が合うと恋人は僅かに口元を綻ばせた。  ――また会おう  恋人の言葉は聞こえないのにそう言っているような気がした。  執行人が剣を振り上げると地響きのような歓声が起こった。  「やめてくれ!」  ざんっと無慈悲な音をたてて、首がごとりと落とされた。  「ああああああぁぁ!!」  男の叫び声は晃以外の耳には届かないまま空に溶け込んでいた。    インターホンの音に意識が浮上した。瞼を開けるとリビングは明かりが落とされている。  隣で寝ていたはずの葵の姿はなく、玄関から声が聞こえてきた。  「圭吾にまで迷惑かけてごめんね」  「別に」  「けーご、おうじさまやってくれたんだよ」  「そうなの? あんた葵と仲が悪いのによく付き合ってあげたわね」  「……別に仲が悪いわけじゃねぇよ」  どうやら茜が迎えに来たらしい。葵も話しているから薬が効いてきたのだろう。  起き上がりたいのに身体が重たい。洋服を着たまま海に沈んでしまったかのように重量がある。  仕方がないので三人の声に耳をそばたてた。  「晃は寝てるの?」  「気が滅入ってたから寝かせた。起こすか?」  「いいよ。無理やり付き合わせちゃったし」  「あいつにちゃんと礼言えよ」  「わかってる。じゃね」  「けーご、またね」  「……気をつけて帰れよ」  ぱちんとハイタッチをしたような音がする。随分葵と打ち解けたらしい。  玄関の扉が閉まると圭吾の足音がこちらに向かっている。咄嗟に目を瞑り、寝たふりをしてしまった。起きていたのに別れの挨拶をしなかったことを咎められる気がしたからだ。  圭吾はそばに座り、額に手を置いてくれた。熱がないか確認してくれているらしい。  衣擦れの音がやけにはっきり聞こえる。視界が遮られている分、聴覚に全意識が集中しているからだろう。  「俺は弱い奴だ。ごめんな」  どういう意味だろうか。訊きたいのに狸寝入りをしている手前、起き上がれない。  じっと大人しくしていたが圭吾はそれ以上口を開くことがなく、部屋に戻って行ってしまった。  (圭吾が弱いなんてあり得ないのに)  圭吾は喧嘩も強い。負けたことは一度もなかった気がする。それのどこが弱いというのだ。  謝る意味もわからない。謝らなきゃいけないのは自分のほうだ。  わがままで圭吾を縛りつけていた自分勝手な晃のほうが弱い。  「謝らないでよ」  圭吾に謝られると自分がどんどん惨めに思える。意地汚くてごめん。苦しめてごめん。好きでごめん。  たくさんの謝罪を涙に変えて、しばらく声を殺して泣いた。

ともだちにシェアしよう!