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第8話

 トーマと顔を合わせられないまま夜が明けた。ご飯も食べずに過ごしているらしい。  圭吾だけでなく、トーマまで傷つけてしまった。  そんなことない、と言えればよかった。  遅かれ早かれ圭吾とは離別する運命だったと一晩経って思う。  謝らなきゃいけないのに現実から逃げ続けてきた性根は腐りきっていて、手の施しようがない。ダッフルコートを引っ提げて外に飛び出した。  予定通りなら今日は圭吾のはずだ。  時計を見るとまだ朝の七時。平日のせいか通勤途中のサラリーマンや制服を着た学生服とすれ違う。  たくさんの人がここにいる。  けれど誰も晃を気にせず通り過ぎていく。道端に転がっている小石になったような気分だ。  それでよかった。誰の目にも触れず、一人寂しく生涯を閉じる。そんな人生も悪くないと思っていたのに。  圭吾の熱を知ってしまったいま、手を伸ばさずにはいられない。  嫌われていたという真実を突きつけられても色褪せず圭吾への想いは溢れていく。心臓を鷲掴みされたように苦しくて堪らないのに想うのをやめられない。  空が群青色から橙色に変わっていこうとしている。夜から朝になろうとしていた。  コントラストの美しさにほうと白い息が漏れた。  「圭吾にも見せたいな」  美味しいものを食べたとき、面白い作品に触れたとき、美しい景色を見たとき。まず最初に浮かぶのは圭吾だ。  きっと圭吾も悦んでくれる。自分が胸を震わせる感動を圭吾にも共感してもらいたいと願ってしまう。  そうして二人で分かち合え続けることができたらどんなに幸せか。  土手沿いで空を見上げたままでいると子どもの楽しそうな声に我に返った。もう小学生が通学する時間になったらしい。  コンクリートの冷たさが足裏から這い上がってきて、身体の芯まで冷たい。駅前のファミレスに避難でもしようかとポケットを探るが財布を持ってきていないことに気づいた。  いま家に帰ったら圭吾に会ってしまうかもしれない。  仕方がないので近くのコンビニで暖を取りながら大学へと向かった。  受験も終わった二月下旬の大学は静かだ。来る生徒もゼミ生くらいしかいない。だから空き教室でのんびりと寝ていたら余計に目立ってしまう。  うろうろと彷徨っているとキャンパスの敷地内の外れにある図書館が目に入った。ここなら時間潰しにちょうどいい。  自動ドアを潜ると温かい風が頬に当たり、冷えた身体を包み込んでくれた。  案の定、いつも満席の自習スペースは選びたい放題だ。  時間つぶしに小説でも読もうかと階段をのぼっているとゼミの教授とばったり出くわした。  「おや。鹿取くんじゃないですか」  「教授」  「卒論の資料探しですか?」  教授はかなりの数の蔵書を危なっかしい手つきで抱えていた。こんな階段で落としたり、教授が転んだりしたら大変だと慌てて蔵書を持った。  「これ運びますよ」  「ありがとう。助かります」  老眼鏡の分厚い眼鏡のレンズの向こうの目は柔らかく細められた。  教授は温厚で怒ったところを誰も見たことがないやさしい人として有名だ。  また各国の歴史に詳しく、いくつも本を出している。  もしかして、と僅かな希望がぱっと花を咲かせた。  「あの……フロント国ってご存じですか?」  「フロント?」  「すいません。なんでもないです」  どこを調べてもなかったのだ。ネットも図書館の検索ベースにも載っていない。  つまりこの世界ではフロント国は存在していないのだろう。  それなのにどっしりと大黒柱のように構えている教授なら知っているのではないかと縋ってしまった。我ながら子どもじみていて恥ずかしい。  教授はズレた眼鏡をゆっくりと直した。  「久しぶりに聞きました。よくそんな小国を知ってますね」  「本当にあるんですか?」  「もちろん。ついてきなさい」  蔵書を机に置き、階段を二つ降りた地下に連れて来られた。この階は図書館側の許可がないと入れない。特別な蔵書や歴史的に重要視されている文献が数多く保管されている。  本棚に几帳面に並べられた蔵書を抜け、一番奥まったところにある扉の前で教授は立ち止まった。  古びた鉄の扉には「関係者以外立ち入り禁止」と書かれ、鍵がかけられている。  「ここは私たち教員しか入れないんですが、鹿取くんなら特別に見せてあげます」  「そんな簡単にいいんですか」  「内緒ですよ」  ふふっと笑う教授の目尻には深い皺が刻まれていた。  カードキーをかざして中に入るとここにも壁にびっしりと詰まった本棚があった。だがどの蔵書も古臭く、図書館よりも埃やカビの匂いが強い。窓は一切なく外からの光は入ってこない造りになっている。  「えっと、どこだったかな。あぁこれです」  教授は白い手袋をはめて蔵書を一冊取って広げてくれた。  中は見たこともない文字とイラストが書いてある。ページ数は少なく、自分の卒論の方が分厚そうだ。  「これはフロント国のみ使われていた文字です。ギリシア文字と似ているのが特徴ですね」  「確かに似てるような気がします」  文字の形がギリシア文字を真似た文字に見える。当然なにが書いてあるかはわからない。  「フロントは北の国にある小国です。ただ五十年ほどでなくなりました」  「短いですね」  「二世代で終わった国ですから」  戦争をしていたとトーマは言っていた。きっと戦争に負けてしまったのだろう。過ぎ去ったことなのに胸が痛む。  「これが国王。そして第一王子、第二、そして問題児の第三王子です」  教授が捲ってくれたページにはインクが掠れてしまっているが肖像画が描かれている。それを見てどきりと心臓が嫌な跳ね方をした。  初めて見るトーマの顔があまりにも圭吾と似通っていたからだ。  ふわふわの髪に切れ長の瞳。芯のある顔はあまりにも圭吾に似すぎている。  言葉をなくしていると教授も同じように覗き込んだ。  「五十嵐くんに似てますよね」  「……はい。怖いくらい」  「まぁこの絵に関して真実かどうかは定かではありませんからね。この世にはドッペルゲンガーが三人はいると言いますし」  さすが史学科の教授なだけあって非現実的なことをすんなりと受け入れられている。  「この王子の名前って」  「トーマ・ディクソンです」  やはりこれがトーマなのか。トーマが実在していたという事実がずっしりと重みを増した。  「この人は処刑されたんです」  「どうしてですか?」  「昔は同性同士の恋愛は忌み嫌われていました。五十嵐くんの卒論にもありましたよね」  「はい」  「特にフロント国では厳しかった。見つけたら片っ端から処刑して回ったそうです。この王子もまさに同性の恋人がいて斬首されました」  「……そんな」  なんて恐ろしい国だ。好きになった人が同性というだけで命を取られる理由がわからない。  けれどトーマが言っていたことは全部事実なのだと証明された。  手が震える。もしかしてここに答えが書いてあるのかもしれない。  ごくんと唾を飲み込むと思いのほか大きな音で響いた。  「恋人ってどうなったんですか」  「詳しいことはわかりませんが、自死したとされています」  「自殺したんですか」  「恐らく」  教授な神妙に頷いた。確かにこんな薄っぺらな資料では詳細は期待できないだろう。  もしかしてトーマが処刑されたのを見て、ショックでシリウスは自ら命を絶ったのかもしれない。最愛の人が死んで未来に希望を見出せるはずがない。  自分に置き換えるのも嫌なほどの悲しい最期だ。  「でもフロント国は素敵な伝承もあるんですよ」  教授はパラパラとページを捲り、よく見えるように広げてくれた。  そこには満月の光に照らされた池に浮かぶ一輪の花が描かれている。  「満月の夜、愛する人と月見草の草を結んで池に浮かべると違う世で結ばれるという言い伝えです」  「そんなこと現実にあるんですか?」  「古来よりおまじないはありますからね。私たちも願掛けで勝負の日はトンカツを食べたりするでしょう。それと同じです」  本当にあるかもわからないおまじないに二人は願いを掛けたのだろうか。  命がけで恋をして、命を賭けて愛したのだ。  だからトーマはシリウスのことを探しているのだろう。  じゃあトーマがこの世界にいるというならシリウスがいる可能性は高い。  そして顔が似ている人と入れ替わっているかもしれない。  小説だ、漫画だと思っていた現象がぐんと現実味を帯びだした。  「恋人の絵はないんですか?」  「残念ながらありませんね」  「そうですか」  肩を落とすと教授は小さく笑った。  「そんなにフロント国のことを知りたいのですか?」  「確かめたいことがあるんです」  「なるほど。でもこれ以上の資料は残念ながら日本にはありません」  五十年ほどでなくなってしまった小さな国の歴史など吐いて捨てるほどあるだろう。むしろそんな貴重な資料と巡り会えただけ奇跡と言ってもいい。  「もしかしたら本場に行けばあるかもしれません」  「本場ってまさか」  「ギリシャです」  教授の言葉にはっとした。そこに行けばトーマとシリウスの歴史に触れられる。もしかしたらシリウスがいるかもしれない。  暗いトンネルのなかを歩いていた先に小さな光という希望が見えた。その一縷の望みにかけてみたい。  「貴重な資料を見せていただき、ありがとうございます」  「いえいえ。鹿取くんは優秀な生徒でしたからね。卒業祝いのようなものです」  「……まだ卒論提出してないですよ」  「そうでしたね」  教授にお礼をして外にでた。  (トーマはシリウスに会いたがっている。せめて僕が圭吾と離れて暮らす前に叶えてあげたい)  それがいま自分にできる最後のことだ。  校門を抜けて家路へと急ぐと目の前に見知った人物が歩いているのが見える。  黒いダウンコートを着た圭吾だ。寝癖頭のまま、玄関サンダルを突っかけている。寝巻のスウェット姿だから起きてすぐ出たのだろう。  目が合ってすぐ逸らしてしまった。いつも通りなら圭吾のはずだ。けれどいまなんと話しかければいいのかわからない。  「探したではないか」  「……トーマ?」  「そのようだな」  顔を上げると困ったように笑うトーマだった。圭吾のときと違って表情が柔らかさを帯びている。もう何度も見たので見間違えるはずがない。  「どうして……圭吾は?」  「わからぬな」  「そんな」  会えたら困るくせに会えなかったら心配になる。もう一度圭吾、と呼ぶとトーマは前髪をくしゃりと掴んだ。  「それより勝手にいなくなるな。探したではないか」  「ごめん。圭吾に合わせる顔がなくて」  「仕方がない奴だな」  どこかぶっきらぼうな口調はあまりトーマらしくない。それほど心配させてしまったのだろうか。  「寒い。腹が減った。早く帰ろう」  「そうだね」  歩き出すとびゅうと一際強い風が吹いた。トーマは寒そうに両腕を抱いて擦っている。慌てて自分が巻いているマフラーを首にかけてあげた。  「これ貸してあげる」  「だがそれではおまえが寒いだろ」  「僕は平気」  「そうか」  トーマはマフラーを巻くと頬を緩めた。  「これは圭吾がくれたものか」  「そう。なんでわかるの」  「あまりおまえの趣味っぽくないからな」  黒のチェック柄でカシミヤ素材のマフラーは去年クリスマスプレゼントにもらったものだ。その前の年はセーター。その前の前は手袋でどれも大切に使っている。  圭吾は日常で使えるものをくれることが多く、どれもセンスがいい。  どちらかと言えばベージュや白を好む自分では黒はあまり選ばない。でも圭吾が選んでくれたものなら似合おうが似合わなかろうが使うに決まっている。  「嫌だとか思わないのか」  「圭吾がくれたものにケチをつけるなんて野暮だよ」  「変な奴」  なにが可笑しいのかトーマはふふっと笑う。  「そういえば教授からフロント国のことを訊いたんだ」  資料室での出来事を話すとトーマの顔はどんどん険しくなっていく。  シリウスが自死したことを告げるとトーマは表情を失くした。やはり死んで欲しくなかったのだろう。自分もトーマの立場なら同じことを願う。  だから努めて明るい表情を浮かべた。  「だからギリシャに行けばシリウスさんに会えるかもしれないよ」  「いや、もういい」  「だってあんなに会いたがってたじゃないか」  「もういいんだ」  トーマは子どもに言い聞かせるようにもう一度繰り返した。まさかそんな風に言われると思わず、前のめりになった。  「どうして? シリウスさんに会いたくないの?」  「おまえにこれ以上迷惑はかけられない」  「迷惑だなんて思ってないよ」  「遠い国なのだろう? それだとお金も時間もかかってしまう。私はそれ相応の対価を支払えない。おまえにどれだけ負担をかけてしまうか」  「お金なら大丈夫。貯金もあるし、でもパスポートがないや。いますぐ申請すれば春休み中には行けるかもしれない」  パスポートってどれくらいでできるんだっけ。旅行用のトランクも買わなきゃ。旅費はいくらくらいだろう。二人分となるとかなりの金額になるかもしれない。  「晃」  手を掴まれてはっとした。冷たい手のひらが触れ合った箇所だけ少しずつ温かくなっていく。トーマはさらに力を込めた。  「私たちのことを真剣に考えてくれてありがとう。でももう大丈夫だ」  「それだと僕が納得できないよ」  片足を突っ込んだなら最後まで浸からせて欲しい。こんな中途半端なまま終わるのは嫌だ。  それにトーマはもう死んでしまっている。いつまでこの世界にいられるかわからないが、少しでも未練は残して欲しくなかった。  「僕は二人に憧れてるんだ」  命をかけて愛し合った二人。例え周りから蔑まされても自分たちの信じる道をひた走った二人の背中が眩しい。  自分はそんな風にはなれなかった。圭吾のことを傷つけてばかりで、恋という土俵にすら立とうとはしなかった。  違う形でも二人には再会を果たして欲しい。そうすれば自分の恋も諦められるような気がする。  「憧れるようなものではない」  「どうして」  「私は最愛の人を死に追いやってしまったんだ。私が好きにならなければ、きっと天寿を全うできただろう」  懺悔する罪人のようにトーマの表情に悲痛さが込められていた。  後悔して欲しくない。シリウスとの出会いは二人にとって必然だったのだ。   否定するような言葉は晃と圭吾のこともダメだと言われているような気がしてしまう。  「トーマと会わなくて、シリウスさんは幸せだったのかな」  「それは」  「きっと幸せになれないよ。トーマがいてくれてすごく嬉しかったと思う」  詳しいことは知らない。けれどトーマの言葉の隅から隅までシリウスを愛しているのが伝わってくる。きっとシリウスも同じだ。  (だって僕はどんなに圭吾に嫌われても会わなきゃよかったなんて微塵も思わない)  圭吾と会えなかった人生なんて考えられない。  もう自分の一部となっているのだ。  圭吾への想いが晃の血肉となって生きる力になってくれている。  きっとシリウスも同じだ。同じだと思いたい。  だからそんな否定するようなことを言わないで    「なぜ、おまえが泣くんだ」  「あれ……? なんでだろ」  頰を温かい涙が伝っていた。手で拭ってもあとからあとから込み上げてくる。  「泣くな」  手を伸ばしたトーマは遠慮がちに涙をすくってくれた。その乱暴な手つきが圭吾のように感じられてしまい、また涙が溢れてきた。      ***  「君を愛してしまった私を許してくれ」  そう言って頭を下げるトーマのつむじを見下ろしていると晃の目線の男の心音は止まった。言葉の理解が追いつかない。気を逸らすようにつむじから真っ直ぐ伸びている金髪の美しさについ見惚れていた。三日月の僅かな光量を受け、きらりと輝いている。  (これが本物のトーマ?)  目の前にいるのは資料で描かれていたよりも美しいトーマの姿だった。どことなく圭吾と似ている部分はあるが、上品な雰囲気や服装から王族としての格を感じさせる。  そしてトーマに求愛されているということは、晃の目線の男はシリウスなのかもしれない。どうして自分が彼の中にいるのだろう。ぼんやりしているとトーマは言葉を重ねた。  「……私の愛が伝わっているか?」  「もちろんです。俺もトーマ様が好きですよ」  重苦しい溜息を吐いたトーマは額に手を置いた。違う、違うそうじゃないよと内心突っ込んでもシリウスには届かない。  シリウスの記憶が晃の中に流れ込んできた。  シリウスの母親は東の国の人で、この国では忌み嫌われる黒髪で生まれてしまったらしい。  だがトーマはシリウスを怖がらずにいてくれた唯一の存在。森で湖を眺めたり、木の実を取ったり、シリウスの作った工芸品を見せたりと穏やかな友情を築き上げてきた。  王子様ではあるが、一番の親友だと思っているのが伝わってくる。  確かに友人だと思っていた人に告白されたら驚くよな、と思いはたと気づく。  (僕と圭吾に似ている)  シリウスの返答に対し、トーマは首が吹っ飛んでしまいそうなほどぶんぶんと左右に振った。  「いいや、違う。私はシリウスを自分のものにしたい方の好きだ! 性的に見ている。すけべなことをしたい!」  「すけべって」  あけすけな言葉にシリウスの耳殻が熱くなる。ようやくトーマの「好き」の意味を理解して、子どもっぽい解釈をしていたと気づいたらしい。  なぜだか晃も恥ずかしくなる。  二人の立場はあまりにも違い過ぎるからそう思うのも無理はない。  トーマはフロント国の王子様、シリウスはただの平民。  この格差は地面に転がる石と夜空に浮かぶ月より大きい。  それにトーマには婚約者がいたはずだ。城下町の外れに住んでいるシリウスの耳にまで届くほどだから事実なのだろう。  (あぁ、もう!)  じれったくなる晃に対しにシリウスの思考回路は冷静だった。  「ですが俺は男です」  「私も男だ」  「トーマ様は同性愛者ということですか?」  この国では特に同性同士の恋愛はご法度とされている。見つかれば即処刑されるほど罪は深い。自然と声を潜めていた。だがトーマはいいやと首をまた横に振った。  「私はシリウスだけが好きなのだ。他の男のことは知らん」  「そう、ですか」  「では返事を聞かせてもらおうか」  「返事?」  「私の求愛に答えるつもりはあるか」  じっと見つめられる青い瞳には一切の迷いがなかった。伸ばされた手は震えもせず、石像のように動かない。  真剣な眼差しにシリウスの胸がとくんと大きく鳴った。  トーマの命をも投げ出す覚悟を決めた顔に種のままだった恋が蔓を伸ばし、立派な花に成長しようとしている。  シリウスが眠っていた恋心に気づいてよかったと思ったが、本当にそれでいいのかと疑問が湧く。  (この手を取ったら二人とも死ぬ)  晃は二人の未来を知っている。止めさせなくちゃと焦るが、自分はただシリウスの意識と同化しているだけで言葉一つ発することもできない。  でも、それで本当にいいのか。  二人の悲惨な結末を知っているが、それを引き裂いて死ぬまで辛い想いをさせることが正しいことなのだろうか。  シリウスの胸をこんなにも熱くさせる人は、これから先現れると言えるのだろうか。  もうトーマのいない人生などシリウスは考えられなくなっている。  これからもずっとそばにいるためには覚悟を決めなければならない。  茨に飛び込むような恋だ。だがその先にはきっと幸せという名の花畑に出会えると確信しているシリウスの強さに晃は打ちのめされた。  「はい」  トーマの手を取ると握り返してくれ、その強さに晃の胸は疼いた。

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