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第9話

 昼ごはんを作っている最中に何度も圭吾の部屋を振り返ったが、扉は固く閉ざされたままだ。  いつも通り部屋に匂いを充満させているというのに出てくる気配がない。  (昨日もトーマだったけど、今日はどっちだろう)  法則性が崩れたいま、今日がどちらになっているのかわからない。  圭吾だったとき、どういう反応をすればいいのか未だにわからないでいた。  時計を見ると十一時を過ぎている。今日は塾のバイトが十二時からあるので早めに昼食を食べなければならない。  日本語が読めないトーマに手紙を残しても困るだろうし、だからといって圭吾だったら心の準備が欲しい。  刻一刻と時間は過ぎている。このままでは埒が明かないと覚悟を決めた。  もし圭吾だったらそのままバイトに行くつもりで荷物の入ったトートバックを肩に下げて、扉を叩いた。  「起きてる? 大丈夫?」  「……ちょっと待っていろ。いてっ!」  部屋からゴンと大きな音がした。なにか落ちた音らしく、いててとくぐもった声があとに続く。  「どうしたの!?」  扉を開けるとベッドから落ちたらしい圭吾(トーマ?)が頭をフローリングに打ちつけていた。その周りには卒論だろうか、書類が散乱している。  慌てて起こしてあげると額が赤くなっていた。  「大丈夫?」  「すまない、驚いてしまってな」  「今日もトーマなんだ」  「……あ、あぁ。そうだな」  トーマは散らばっている紙を慌てて拾い、さっと自分の後ろに隠してしまった。ちらりと文字が見えた気がしたがよくわからなかった。  「三日連続トーマなんだ。圭吾はいったいどこにいっちゃったんだろう」  「大丈夫だろう。圭吾は私と違って生きているのだから」  「でも」  「平気だと言っている。で、なんの用だ?」  「昼ごはんを作ったんだ。朝からなにも食べてないでしょ」  「おぉ、ちょうど腹が空いていたところだ!」  トーマは嬉々としてリビングへと向かった。テーブルの上には出来立ての焼きそばと餃子を準備してある。  席に座るとトーマはすんと鼻を鳴らした。  「なんと香ばしくて食欲をそそる匂いだ。これはなんだ?」  「焼きそばと餃子だよ」  「パスタに似ているな」  「そうだね。箸よりフォークの方が食べやすいかな」  「箸とは?」  「これだよ」  圭吾の使っている漆黒の箸を見せるとそれを一本ずつ持って、麵に刺してぐるぐると回している。  「こんな食べづらい食器は初めてだ」  「やっぱり箸は難しいよね。フォークを持ってくる」  食器棚からフォークを出して渡すとトーマは器用に巻いて食べてくれた。  「なんと美味だ! この上品な味わいは罪深いぞ」  「圭吾も焼きそば好きなんだよね。二人とも味覚が似ているのかな」  だがトーマは動きを止めて、じっと焼きそばを見下ろしてしまった。  「ごめん、変なこと言った?」  「いや、なんでもない。それよりどこか出かけるのか?」  「そうそう。お昼からバイトでーーってもうこんな時間! 行かなきゃ」  「行ってこい」  「一人にしてごめんね。外に出ちゃダメだよ。あとガスは使わないでね」  「わかっておる」  「行ってきます!」  靴を引っかけるだけにして外に飛び出した。  夕方に帰って来るとリビングのソファで寝転んでいるトーマの姿があった。約束通り外には一歩も出ていないらしい。  ただ朝と同じように紙が散乱していた。トーマは片付けが苦手らしい。  足元に転がっているのを一枚手に取った。  「フロント文字に似てる」  図書室で読ませてもらった資料の文字と似ている気がする。ではこれはトーマが書いたのだろう。  「日記でも書いてるのかな」   現代でこの文字を読める人間はそう多くはないだろう。だから後世に残すのではなく、トーマ自身のために書いていると考える方がしっくりくる。  だがなんのために?  そこではた、と浮かんだ。  「シリウスさんに宛てたものかな」  恋人へのラブレターだとしたら納得がいく。枚数が二十枚ほどあるが、かなり愛していたようだしそれだけの熱量があっても不思議ではない。  トーマはシリウスとの再会を待ちわびているのだろう。  口ではもういいと言っているが、心まではわからない。晃に気を使っているだけかもしれない。  そうと決まればやはりギリシャに行く必要がある。  その場でパスポートの申請と旅費について調べているとトーマの瞼がゆっくりと開いた。  「こんなとこで寝たら風邪引くよ」  「……ん?」  床に散らばっているラブレターの束を見て、トーマは顔を青白くさせた。  「これを読んだか!?」  「シリウスさんへのラブレターでしょ? 随分熱心に書いているんだね」  拾い集めようと手を伸ばすとばしりと叩かれた。手の甲が赤くなり、二人の間に冬の朝のような静けさが広がる。  「……ごめん。勝手に触るのはよくなかったよね」  「いや、いい……悪い」  心を込めた想いの丈を自分なんかが触ってはいけなかったのだ。  「じゃあ着替えてくるね」  なんでもない風を装って部屋に戻った。  扉を閉めると自己嫌悪も閉じ込めてしまったようにずしりと重たい。  「僕はなにをやってもダメだな」  圭吾のこともトーマのこともうまく付き合えていない。傷つけてばかりだ。  ハリネズミですら近しい人には棘で刺さないというのに、自分は歩く凶器なのではないか。  扉を背に座り込むと固いフローリングに身体が沈むような感覚になる。  膝の間に頭を埋め込んでいると遠慮がちなノック音がした。  『さっきはすまない。手を冷やした方がいい。保冷剤を持ってきた』  「これくらい大丈夫だよ」  『……ここを開けてくれないのか?』  縋るような声に胸はまた痛む。どうして傷つけてばかりの自分にやさしくしてくれるのだろうか。圭吾の顔で。それはあまりにも残酷な仕打ちだ。  ゆったりと立ち上がり扉を開けた。タオルに包んだ保冷剤を持ったトーマが肩を落としている。  「本当にすまない。怪我をさせるつもりはなかったんだ」  「もういいよ」  「見せてくれ」  ベッドに座らせられ叩かれた右手を差し出した。もうほとんど赤くもなっていないのにトーマはまた眉間の皺を深くさせた。  ひんやりとした保冷剤を当てられると手が冷たくなっていく。その手にトーマの手が重ねられる。  かさついて大きな手に包まれると圭吾なのに圭吾じゃないことに込みあげてくるものがあった。  「あれはラブレターではない」  「じゃあなにを書いてたの?」  「私たちの道しるべかな」  「どういう意味?」  意味が解らず尋ねたがトーマは曖昧に笑うだけだった。たぶん答えたくないのだ。  トーマは保冷剤から視線を逸らし、晃の背後にある窓を見上げた。  「今夜は新月だな」  「そうみたいだね」  振り返って外を見ると真っ暗だ。空には点々と星が瞬いているだけでどこか物悲しい。  「私はもうすぐ消える」  「なんでそう思うの?」  「また満月になる」  月なんてないのにトーマは眩しそうに目を細めた。  月とトーマにどういう関係があるのだろう。それともあのまじないの話をしているのだろうか。  いきなり始まった入れ替わりもいきなり終わる可能性は充分にある。  どちらにせよあまり時間がないのかもしれない。  「それなら後悔がないようにしないと」  「いいんだ。それよりおまえといる時間を大切にしたい」  「でも」  「頼む」  一国の王子様に頭を下げられてしまうとなにも言い返せなかった。  きれいな形のつむじから根本が黒い髪が生えようとしている。トーマに出会ってからの時間の経過を感じた。  トーマに後悔を残して欲しくない。  自分にできることなら精一杯なんでもやってあげたい。  でも相手がそれを望んでいない場合、こんな想いはただの独り相撲だ。  「わかった」  「ありがとう」  飴細工のように繊細な睫毛が水を含んでいるように見えた。晃が弱いばかりに諦めさせてしまったのだと思うと息ができないほど胸が痛む。  「トーマ」  腕を伸ばして抱きしめた。圭吾の匂い。でも違う人。  せっかく恋人と再会できるかもしれないのにその可能性を諦めさせてしまった。  ごめんね、と何度も呟いた。トーマはなにも言わず、ただ背中を撫でてくれていた。  卒業式の前日、三月にも関わらず雪が降った。  キャンパス内のアスファルトは薄っすらと雪が積もり、袴を着た女生徒たちや革靴を履いたスーツ集団は滑らないように慎重に歩いている。それらを見習うように歩いている晃はトーマと共に会場である体育館へと向かった。  「なぜ北国であるフロント国より寒いのだ」  トーマは厚手のコートを羽織っているがそれでも冷えるようで肩をガタガタと震わせている。  「東京って特に寒いらしいよ。あ、そこ凍ってるから気をつけて。革靴は滑りやすいし」  「おぉ、そうだな」  日陰の雪は凍ってしまっている。職員が朝から雪かきをしてくれているようだが、慣れないことなので時間がかかっているのだろう。  体育館への入り口は外階段を使わなければならない。雪かきはされているが、この寒さで氷になってしまい歩くのが怖い。みんな手すりをつかいながら慎重に登っていた。  暖房で温められた会場に入ると芯まで冷え切っていた身体を包み込んでくれる。  体育館にはパイプ椅子が神経質に並べられていた。学科ごとに式は行われるがそれでも二百近くある。  そここで写真や動画を撮っている集団が目につく。これが最後なのだからみんな思い出を残そうとしているのだろう。  「お、圭吾」  見慣れた数人に声をかけられたトーマは瞬時に圭吾らしい仏頂面になった。  この数日、卒論発表会や卒業の手続きなので何度も大学に足を運んでいるお陰か、圭吾として振舞うのがうまくなっている。  脅しが効いたのか「王子」と揶揄われることもなく、いままで通りに接してくれる人も多い。  トーマが圭吾になりきればなりきるほど、圭吾という人間の存在がもう手の届かない人になってしまったような気がしてしまう。  あれから一度も圭吾と入れ替われていない。  もしかしたら寝たら入れ替わるという法則性が変わったのかもしれない。  居てもたってもいられず、トーマには内緒で卒業式のあとギリシャに行くことを決めていた。  トーマを一人残してしまうことは不安だが、背に腹は代えられない。  ギリシャ行きの航空券はスラックスのポケットに忍ばせている。荷物もこっそりまとめて、クローゼットに隠してあった。  あとはただ無事に卒業式を迎えて、そのまま空港に向かえば問題ない。  空いた席に適当に座り、トーマは圭吾の友人たちに囲まれて座った。ちらりと不安げにこちらを見たが、小さく頷いておいた。  時間になると理事長が壇上に現れて祝辞を述べてくれる。それをぼんやりと聞きながら四年間を反芻していた。  圭吾と一緒に住んで毎日が夢のように幸せだった。  寝ぼけ眼の圭吾の顔を最初に見られる特権。  自分が作ったものが圭吾の血肉になる悦び。  おはよう、もおやすみも言える幸せ。  過ごした時間はあまりにも幸福に満ち溢れていて両手では抱えきれない。  その有り余る幸せを瓶に詰めた金平糖のように少しずつ噛み締める。それが晃を生かす力になるのだ。  式が終わると撮影大会が始まった。トーマも友人たちと使いこなせるようになったスマートフォンで撮りあっている。  (これが本来あるべき立ち位置なんだよね)  圭吾とは幼馴染というだけで他に共通点がなかった。趣味も好きなものも性格も違う。  それでも自分と違うものの考え方や見方が新鮮で、どんどん圭吾の世界に触れたくなってしまったのだ。  最初に晃という人間を認めてくれたのも圭吾だ。  自分という存在をちょっとでも信じられるようになったのも圭吾がいたから。  感謝しても感謝しきれない。  「ありがとう。大好きだよ」  白い息がふわりと顔を覆った。雑踏に紛れて晃の声は届かないだろう。それでいい。  この想いはここに置いておく。  踵を返すと写真を撮っていた一人にぶつかられた。どうやら友人たちと写真を撮ることに夢中になっていたらしい。  「す、すいません」  「大丈夫でーーっ!?」  だが女性は足を滑らせてしまい、晃にもたれかかった。急に体重をかけられてしまい軸足がつるりと滑り、身体が斜めに傾いでしまう。  最悪なことにここは体育館へと続く踊り場だ。すぐ横には階段がある。  二人の身体は宙に舞った。このままでは二人とも落ちてしまう。  晃は咄嗟に女性の身体を押した。慣性の法則で自分の身体は階段へと落ちていく。  まるでパノラマ映画を見ているようにみんなの顔がよく見える。  死が、頭を過った。  (こんなことならちゃんと好きだと告白すればよかった)  トーマは言っていた。「いつ命がなくなるかもしれない環境にいたから、そんな悠長なことが言えるのが羨ましい」と。  こんな状況になって痛感する。  圭吾に好きと伝えられなかった後悔が胸に押し寄せてくる。  さっきまでこの想いは置いていくと思っていた。でも全然だめだ。  ちゃんと顔を見て好きだと想いを告げたい。例え玉砕する未来でも、いまよりもっと後悔は少ないだろう。  手を伸ばした先には圭吾の顔がある。  「ーーシリウス!!」  強い力で手を掴まれて、身体を引き寄せられた。そのまま階段をゴロゴロと転げ落ち、一番下で動きが止まった。  「怪我は!? どこか痛いところはないか?」  トーマは起き上がると晃の身体をくまなく触った。新品のスーツは泥と雪で酷い有り様だが、幸いなことにかすり傷一つない。  それよりも圭吾の方が痣や擦り傷で酷い有様だ。  「僕は大丈夫」  「……よかった」  トーマは自分が泥だらけなのに構わず晃の頬についた泥を拭ってくれた。そのやさしい笑顔に違和感が顔を出す。  見間違えるはずがない。これは絶対に    「……圭吾?」  名前を呼ぶと圭吾は目を大きく見開いて固まってしまった。  職員が救急車を呼んでくれたらし、別々の救急車に乗せられ、近くの大学病院へと連れて行かれた。 病院に着くと階段から落ちたからと二人ともCT検査をすることになり、なら入院はしてもらわないと困るだの内科や外科、皮膚科など様々な科に回されて細かく診てもらった。  病院から電話を受けた茜が仕事を途中で抜けてものすごい形相で見舞いに来てくれた。  結局晃は無傷、圭吾は擦り傷と打撲の軽傷と説明すると茜に頭を叩かれ、付き添ってくれた看護師に羽交い締めにされた。 それでも気の強い姉はわめき続けている。  「あんたが階段から落ちて意識不明だと聞いてすっ飛んできたのに、なんでピンピンしてんのよ!」  「ごめん。情報が錯綜してたみたいで」  「それに圭吾も重体だって聞いたんだからね! あんたの親にも連絡しちゃったじゃない!」  「茜が勝手にやったことだろ」  ぷいとそっぽを向く圭吾に掴みかかろうとするが看護師二人に押えられているはずの茜は脚が長いことをいいことに圭吾をピンヒールで蹴飛ばした。鋭い棘のようなヒールが脇腹に当たり、圭吾は悲鳴をあげた。  「やめてよ、姉ちゃん。圭吾は僕と違って怪我をしてるんだから」  「そんなこと知ったこっちゃないわ! 晃になにしてくれてんのよ!!」  「それはさっき謝っただろ!」  「謝れば済むって話じゃないわ!」  唾が飛び交うほどの怒声の投げつけ合いに同室の人たちがそそくさと病室を出て行く。申し訳なくて何度も頭を下げた。  そこから圭吾と晃の両親も病室に飛び込んできて大騒動に発展してしまい、同室の人たちからのクレームもあり、二人部屋へと強制的に移動させられた。  親たちからの小言を存分聞き、終いには年末年始に帰ってこないからバチが当たったんだと言われた。ゴールデンウィークには帰ってこいと無理やり約束させられ、検査の時間になりようやくみんな帰ってくれた。  二人でCT検査と最後の問診を受け、病室に戻ってきてからどっと疲れた。様子見のために一日入院をさせられるが、どこも異常はないそうだ。  ただ圭吾は晃を庇ったせいで打撲や切り傷が多い。  白磁の陶器のように美しい肌には痛々しい赤黒い傷ができてしまっている。  夕飯を食べ終わり、正面のベッドの圭吾を見た。  カーテンで仕切られているが圭吾の衣擦れの音がはっきりと聞こえる。  消灯時間も過ぎ、部屋は暗くさせられた。僅かな月明りだけが物悲しそうに差し込んできている。  ぎいとベッドが軋む音がした。圭吾が起き上がったらしい。  「おまえ、気づいてたんだろ」  「なにが」  「しらばっくれる気かよ」  顔は見えないのに圭吾がむくれている姿が目に浮かんだ。  「……気づいたのは最近」  「そうかよ」  「トーマは必ず名前で呼んでくれたのに、圭吾は「おまえ」って言うから」  「そんな細かいところ気づかないわ」  「どうしてトーマのふりなんてしていたの?」  圭吾はしばらく黙り込んでしまった。  カーテンの皺をじっと見ているとようやく圭吾が口を開いた。  「……おまえ、俺と会うの怖がってただろ」  とても怖かった。また嫌われるようなことをしたら、と思うと喉が締めつけられて苦しくて呼吸もできない。  でもそれと同じくらい会いたかった。  「最初は全然わからなかったよ。圭吾はトーマのマネが上手いね」  「……トーマの生まれ変わりだからな」  衝撃的な告白にしばらく口を開けなかった。  でも納得する部分もある。図書館で見せてもらったトーマの肖像画は圭吾にそっくりだった。  「だからトーマと入れ替わってたんだ」  「正確には違う。あいつの意識が一時的に乗っ取られたって感覚に近い」  「そっか」  「驚かねぇの?」  「普通とはかけ離れた体験ばかりしてきたから慣れちゃった」  トーマと入れ替わり(いや、乗っ取り?)から始まり、同級生にたてついたり、階段から落ちたり  たった一カ月ほどの出来事なのに胸焼けするほど濃い日々だった。  「部屋に散らばってた紙は圭吾が書いたの?」  「そう。フロント文字なんて久しぶり書いたけど、案外忘れてないもんだな」  「自転車と一緒だね」  一度乗れるようになれば何年経っても身体は憶えている。そうやって染みつき、自分を象る一つになるのだ。  「あいつ……てか過去の俺だけど指示だしてた。こうしろ、ああしろって、下手なことすんなよって。そしたらあいつも律儀に返事書いてきてさ。文句の言い合いだよ」  「ちょっと読んでみたいな」  「嫌だね。帰ったら捨てる」  自分同士の対話ってどんな気分なのだろうか。過去と未来。立場と環境が違っても根っこの部分は変わらない同一人物。  トーマと圭吾は背中合わせの鏡のように二人で一つなのだろう。  「僕はシリウスさんの生まれ変わりなの?」  圭吾はまた黙ってしまった。代わりにカーテンが開いた。包帯をぐるぐると巻かれた圭吾の目元はわずかに赤くなっている。  壁に寄りかかっていたパイプ椅子を広げてどかりと座った。  「そうだ」  「じゃあトーマたちのおまじないは叶ったんだね」  あれほどトーマはシリウスに再会することを望んでいた。こんな身近なところにいるなら早く教えてあげたい。  でも晃には前世の記憶はない。トーマはきっと虚しいだけだ。  だから圭吾は晃に前世の話はしなかったのだろう。  「圭吾はいつから記憶あるの?」  「物心つく前からだな。この国はちょっと変わってるなって思ってた。そしたら変なのは俺だったよ」  首を擦る圭吾は昔のことを思い出しているのだろう。前世の記憶を残したまま転生し、また一から人生をやり直している。  違う国で。違う時代で。戦争もない平和なこの国を見て、トーマはシリウスとやり直したいと願ったに違いない。  「でもおまえに会ってすぐシリウスだってわかった。最初に憶えてるか? って訊いたのに首を傾げただろ。あ、こいつなにも知らないんだなって」  顔をわずかに伏せた圭吾の頬に長い前髪がかかる。その横顔は悲壮感に滲んでいて、胸がしめつけられた。  せっかくおまじない通りに恋人と再会できたのに晃の記憶がないと知って絶望したのだろう。  「だから俺はおまえのそばにずっといた。一番そばにいればいつか思い出してくれるって信じて。ゲイだって噂流して、おまえを一人にして俺だけにしようとしてた……最低だろ」  「ならなんで卒業したら一緒に住むの辞めようって言ったの?」  「それは……」  言い淀んだ圭吾は「また違う話だ」と濁されてしまった。  「とにかく俺はおまえが好きなんだ。昔みたいに一緒にいたい」  顔をあげた圭吾の顔にはもう悲壮感はなかった。代わりに強い決心がある。  熱情を孕んだ瞳で見られてもこれっぽっちも心は踊らない。  「僕はシリウスさんじゃないよ」  「おまえはシリウスの生まれ変わりだ。俺が言うんだから間違いない」  「僕は鹿取晃だよ!」  大声で反駁すると圭吾は信じられないと目を大きく広げた。  言葉の意味を咀嚼するようにゆっくりとまばたきを繰り返している。  そんな顔の圭吾に怒りが湧いてきた。  「僕はこの時代に生まれたんだ。前世のことなんて知らない。なにも憶えてなんだからないも同然なんだ」  「でも」  「僕は圭吾が好きだ。それはトーマだからじゃない。五十嵐圭吾が好きなんだよ」  さらに大きく目を開いた圭吾は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。言語が通じていないような焦燥感があった。  気持ちの矢印は同じなのに圭吾は自分を通り過ぎてシリウスしか見えていない。  「それは同じじゃないか」  「全然違うよ」  「……よくわからない」  本気で意味を理解できないようだ。言葉を尽くしても圭吾の心に届いていない。  悔しくて悲しくて涙が込み上げてくるが、奥歯を噛んで堪えた。  泣いている場合じゃない。  階段から落ちたときの後悔が蘇る。もうあんな想いをするのは二度とごめんだ。  「わかった。じゃあ圭吾に僕自身を好きになってもらう!」  「はぁ?」  「期限は一週間。僕は毎日圭吾に尽くすよ。それで圭吾を振り向かせる」  「突拍子もないことを」  「本気だよ」  こっちは圭吾に嫌われたと思って地獄の泥水を啜って生きてきたのだ。例え前世でも好きだと言ってもらえたなら可能性はゼロではない。  わずかな希望にかける。  気圧されたように圭吾は少し後ろに仰け反ったが、すぐに相好を崩した。  「それでおまえが納得できるなら」  「うん。絶対に好きにさせる!」  「なんだよ、その意志表明」  こぶしを天井に突き上げると圭吾は声を出して笑った。 

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