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第5話
何度コールをしても相手は電話を取らない事に焦燥感を覚える。
いつもなら出なかったらいい加減なところでコールを止めるのだが、今日は緊急事態なのでしつこくコールを続ける。
ハンズフリーで電話をかけつつ再びエンジンをかけた。
『はい』
「久しぶりですね誉」
『いつもお前はどうやって俺に電話をかけてくるんだよ』
「それは秘密です。今日はちょっとゆっくりお話している場合ではないので単刀直入に」
『は?』
「今からちょっと訳アリの患者を緊急で運びますので点滴の用意をお願いします。生食 で良いので用意しておいてください」
『おい。うちは脳外だから一般患者なんて…』
「お願いしますね」
『ちょっ!』
何コール目かで電話を取った元セフレは電話口でも分かる程の凄く嫌そうな声を出していた。
大学時代はずっと付き合っていたのだが、卒業後はお互いにストレスを発散したい時にサクッとスポーツ的なセックスをしたら終わりと言う関係に落ち着いた。
現在相手が既婚者という事もあるし、私も何人かそういう相手が居るのでしばらく会って居なかったのだが頼れるところがそこしか思い浮かばなかったのだ。
植物状態でもまだ当主候補な航くんの入院先は本家が経営している病院なので、分家筋の私が気軽に何かを頼める筈がない。
私の実家も病院を経営しているのだが、幼い頃から家を継ぐ様に言われていたのを校医になることで蹴った。
私が病院を継がないのならと弟に白羽の矢が立ったのだが、その弟も現在は反社のお抱えの医師になってしまってからまた私に家を継げと圧力がかかり益々実家とは折り合いが悪くて行きたくもない。
頼みごとなどしよう日には鬼の首を取ったかのように色々言われるに決まっている。
だからと言って明らかに問題ありの美波を普通の病院になど連れていけるはずもない。
そんな中でも融通の利く病院があって良かったなと思いながら私は電話を切った。
「大丈夫ですよ。病院に着いたら、栄養剤の点滴も一緒にしましょうね」
後部座席でブランケットにくるまれ、動かない美波に向かってバックミラー越しに話しかける。
当然返事などないが私は気にせず目的地に向かって車のスピードをあげる。
目的の病院に着くと車を裏口の時間外受付の付近に停めて、窓口に行こうかと車から降りる。
数歩歩いたところでストレッチャーを押した誉が時間外受付から出てきた。
流石相性の良かった元恋人なだけあると感心してしまった。
私が到着する時間も分かっていたのだろう。
嬉しくてニコニコと笑いかけるが、誉は嫌そうな顔をしつつ顎でストレッチャーの方をしゃくった。
そうだったと私は慌てて後部座席からブランケットにくるまれた美波を抱上げストレッチャーまで運ぶ。
ストレッチャーの上でブランケットを外して身体を仰向けにする。
「サチュレーション94か…かなりヤバイな」
「約ですが1週間程水分以外の物を口にしていません」
ゆっくりとストレッチャーを移動させている最中、指先にサチュレーションモニターを挟み血中の酸素濃度を測っている。
サチュレーション95%以下でかなり良くない状況だ。
誉は私の言葉を聞いて呆れた様に息を吐いたが、特に何も言わずそのまま美波が運ばれたのは処置室らしき部屋で、私が予め伝えていた生理食塩水の輸液パックが用意してあった。
誉もなんやかんや言いつつ、私の緊急事態という言葉に急遽対応してくれたのだろう。
「あ、自分でルート取りますんで申し訳ないですけど栄養輸液ももらえます?」
「栄養輸液はいいけど、お前ルートなんて取れるのかよ」
私の言葉に半信半疑そうな誉を無視して手袋をつけて美波の腕に駆血帯を巻く。
ゴムのチューブを少し強めに巻いてクリップで留めて肘の内側の正中で血管を探すも体調が悪いせいで指で押しても中々刺せる血管が見付からない。
右手は諦めて駆血帯を外して反対側に回った。
左手も先程と同様にチューブを少し強めに巻いてから触ってみると内出血で見えにくいが指先に良さそうな血管が触れる。
手早くアルコール脱脂綿の小袋を破って消毒をしてから針を刺す。
そのままルートを繋いでフィルムドレッシング剤を貼り付ける。
医師免許は持ってはいるが、すぐに校医になったので患者のルートを取るなんて本当に久しぶりで何度も練習をしてきた事は中々忘れないものだ。
「それで?専門外の病院に運んできたこの子何?」
点滴スタンドにまずは誉が持ってきた高栄養の方の輸液パック受け取ってから吊るし、パックにカテーテルを繋いで美波の腕にあるルートに繋ぐ。
ふぅと安堵のため息をつくと、それまでこちらを傍観していた誉が口を開いた。
点滴を開始したばかりだが、サチュレーションもモニター上では少し回復してきたので私は再び誉の方に向かって微笑む。
何が気に入らないのかこちらに歩みよりながら舌打ちをする。
やはり目を引く美波の腕を見た後に、全身をゆっくり見てまた大きなため息をついた。
「こんな状態のセフレを連れてくるのヤメロ」
「えー?既婚者になっても焼きもちですか?」
「違う。何だよこの腕。明らかに依存症の専門医療機関に連れていった方がいい案件だろ。俺の所に連れてきても専門外なんだからせめて如月にでも連れていけよ」
話を茶化してみたものの、その手は誉には通用しなかった。
私ももう一度美波の方を見ながら手袋を外して大きなため息をついた。
私だって経験した事がない事の連続で、寧ろ手に余る程の状況なのだ。
嘘をつくつもりなんて無かったが、誉には何を言っても信じてもらえないかもしれない。
何しろ私の事を全くと言っていい程信用していないのだから。
「えーん。誉が私の事悪者にするぅ」
「そんなこと言っていないだろ!」
「でも、私が連れ込んだ薬物中毒の友達が私のせいで具合悪くなったと思ってるぅ」
「その喋り方キモいぞ」
「私のお友達にはそんな不良はいませーん」
私はしくしくと泣く真似をしつつ濡れ衣だと訴えるが、キモいと言われてしまった。
私のセフレ達はそこそこ顔が良い子が多いのだが、残念ながらあまり賢くない子が多い。
しかし、モデルや役者の卵の子が多いので薬物などに関してはクリーンな筈だ。
まぁ怪しい薬を使ってると分かった時点で面倒事に巻き込まれる未来しか見えないのですぐ相手を切り捨てるだろうとは思う。
なので美波は例外中の例外なのだ。
「分家筋の私が如月に頼れるはずないじゃないですか。それにこの子は元職場の生徒だった子なんです。別の元生徒に面倒を頼まれたんです」
「流石にお前がやったとは思っていなかったけど…それは大丈夫なのか?」
「さぁ?失踪宣告は受理されてるらしいですよ」
「はぁ!?」
「だからここに連れてきたんじゃないですか」
誉が頭を抱えている。
むしろ頭を抱えたいのは私の方だ。
今は点滴で栄養を直接身体に送り込んではいるが、家に帰ってこのままストを続けられればいつ容態が急変してまた病院に運び込むような事になるか分からない。
まずは口から食事を取らせる方法を考えなければならなず、そもそも私に慣れてもらうことからはじめなければいけないのだ。
「摂食障害とかではないのか?」
「指に吐きダコや喉に腫瘍が無いので違うでしょう。そもそも米をどの様な形状で出してもこちらを見るだけで近寄ってすらきませんでした」
「なら強迫性障害との合併症の可能性は?」
「強迫性障害における強迫儀式ですか。それの可能性もありそうですね」
美波の指先を2人で観察しつつ、まずは客観的な視点で原因を特定しようと試みる。
食事を摂取しない理由が摂食障害の可能性は無いのかと誉は言うが摂食障害は拒食症と過食症を繰り返す為、手の甲や指の付け根に上の前歯が当たってタコができることがある。
そういった吐きダコが見当たらないし、指が喉に当たることで喉に腫瘍ができるのだがそういった所見が見当たらないので可能性は低いだろう。
しかし、誉に言われた言葉に暫し考える。
強迫性障害における強迫性儀式の合併症による摂食障害ならと考えてみるが、それも生活環境の方が可能性が高いしこればかりは本人に聞いて見るしかない。
しかし以前の生活を思い出すのは苦痛を伴うので、これまた時間がかかるだろうと思ったら八方塞がり感が大きく気が滅入る。
私が頭を抱えそうになっている時にタイミング良くスマートフォンが揺れた。
何気なく画面を見ると、件名が目に入る。
「この後、少しの間この子をここで休ませてもらえません?」
「点滴してるんだから、すぐに帰れるわけないだろ」
「ありがとうこざいます」
「導尿はしていけよ」
「当然です。この後少し抜けます」
「栄養剤が終わったら、生食に変える位はしておいてやるよ」
メールの相手が今一番話を聞きたい人物からのメールだったので、美波をこのままここで休ませて貰うことにした。
ぶっきらぼうにだが導尿カテーテルの処置をしておけと誉は言ったのは点滴で強制的に体内へと水分を投与しているのだから循環を考えると当然だろう。
ストレッチャーから処置室のベッドに移し替えるのを手伝ってもらいつつ、手にしていた手袋をまずは感染物のダストボックスに放り込み、新しい手袋を装着する。
誉が用意した導尿用のカテーテルを包んでいるフィルムを外して採尿バッグに接続しておくなどの用意を済ませた。
上にかけておいたブランケットを捲り、美波のペニスを持ち上げる。
まずは鈴口をアルコールで拭い、ゼリーをカテーテルに塗布してゆっくりと尿道にカテーテルを挿入していく。
すぐにカテーテルを伝って採尿バッグに尿が流れ出したので、ふぅと屈んでいた上体を戻して息をつく。
ゼリーで汚れた手袋をはずして、まだ青白い美波の顔を見ながら胸の上をポンポンと数回叩く。
ブランケットを美波にかけて誉にアイコンタクトをすると、また嫌そうな顔をされたが渋々といった様子で頷いてくれた。
私は少し頭をさげて処置室を後にし、メールの相手が指定した待ち合わせ場所に急ぐ。
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