6 / 8
第6話
今日はあっちこっちに行って忙しいなと思いながら、メールで指定された場所に向かう。
今回来たメールには件名に場所と時間が入っていて、相変わらず本文には何も書いていなかった。
使い捨てのフリーメールらしく一方通行で私からはメールが送れないので連絡が取れない。
私がメールに気が付かないとは考えないのかと思ったら、疲労感も相まって腹が立ってきた。
会ったら美波の事を含め文句を言ってやろうと思いながら指定先のビルの前に到着する。
思いの外誉の病院から近く、到着が少し早かったので駐車場に車を停めて車の前で待ってみたが指定の時間になっても来る気配がない。
「時間を指定してきたのに、来ないとは…」
イライラが募るが、ふとビルを指定してきたのでもしやビルの中に入ってこいという事だろうか。
断られたらそれまでだなと思いながらビルの中に入る。
一般的なオフィスビルで入ってすぐに受付があった。
受付に歩いて行くと、受付の担当者が立ち上がりこちらに微笑んでいる。
「いらっしゃいませ。お約束でしょうか?」
「ええ。何処の部署とかは分からないのですが、高橋さんと16時にお約束しておりまして。吉高と申します」
「少々お待ちください。吉高様ですね。伺っております。5階の会議室へどうぞとのことです」
「ありがとうこざいます」
「あちらのエレベーターで5階に上がりましたら、目の前のお部屋です」
受付に近付いてそれらしい事を言うと、受付の担当者がタブレットで予約を確認してすぐに案内してくれた。
お礼を言うと、私の動きに合わせる様に部屋までの行き方を案内される。
指示通りに近くのエレベーターに乗り込み5階のボタンを押した。
ウィーンという小さなモーター音を聴きながらエレベーターの壁に背中をつけ、彼はこの会社にどう関係しているのだろうかと脳内のデータベースを引っ張り出す。
このビルは親戚筋の会社ではない筈だ。
最近親戚の集まりに出ていないので、傘下に入った会社や新しく立ち上げた会社等は把握していないので分からない。
しかし、チラリと見たエレベーターの製造年はそこそこ古く建物も年期が入っていそうなので益々分からなくなってくる。
「ここか…」
エレベーターが目的階に到着したので、指示通り目の前の部屋の扉を見つめる。
何でこんな仰々しいのかと思ったがまずは彼に文句のひとつでも言ってやることから始めよう。
何と言ってやろうかと考えながら扉の前に立ち、ノックをすると中からとうぞと声が聞こえた。
扉を開けて中に入ると、彼は後ろを向いて屈んで何かをしている。
歩みを進め彼の近くに寄り、声をかけるついでに文句を言ってやろうと思ったのだが振り返った彼の顔を見た瞬間に喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
「あ、先生!わざわざ来ていただいてありがとうこざいます」
「え…あぁ」
「先日は何もお伝えできずに申し訳ありませんでした。急いでいたので」
「いやそれは…いいんですけど」
全く良くはなかったが、振り返った彼の左の頬に大きなガーゼがサージカルテープで留まっているのが目に入って思わず言ってしまっていた。
目にも眼帯をしており、顔の左側が明らかに腫れていて、ワイシャツで分かりにくいが首にも包帯が巻かれている。
そんな姿を見てしまっては文句なんて言えなくなってしまう。
「驚きました?湊 を逃がした事で“ご主人様”にお仕置きされまして」
「あ…いや」
手で座るように促され、促されるままに椅子に座る。
向かいの席に座った彼はニコニコと笑っていて、流石の私も薄ら寒さを感じてしまった。
しかも美波の事を“みなと”と呼んだ。
呼び間違いなのか私の聞き間違いなのか判断に苦しむものの何と声をかけて良いのか分からなくて口を噤む。
「湊の着替えをお渡ししたいと思いましてお呼びしました。突然オフィスビルにお呼びたてして驚いたと思いますがここは“ご主人様”が社長をしている会社で昨年こちらのビルに移転したんです。今諸事情で忙しくてあの公園に行けなくて来ていた次第です」
「着替えの件はありがたいけど…その顔大丈夫なの?それに…随分とビジネスマンらしい喋り方で感心しました」
「ありがとうございます。嬉しさでテンションがあがっていまして」
彼から話しはじめてくれたので何とか会話をはじめたが、顔に貼り付いた笑顔がこわい。
何故彼は笑っていられるのだろうか。
いくら嬉しい事があってもなかなかの大怪我を負っているのに行動原理が謎過ぎて私の方が困ってしまう。
「この怪我のおかげで、ばあさんを追い詰めました。まだ外にはこの情報は出ていません」
「は?」
笑顔から急に真顔になり、袖を捲ってこちら側に見せるように腕をのばした彼の指にはギプスが巻かれている。
嫌な予感に彼の顔をもう一度見た。
「目は奇跡的に失明を免れましたが、ばあさんにはお前の不出来な息子に失明させられたと言ってやりました。血圧があがった事により倒れて今入院中です」
彼はもう一度にこりと笑って爆弾発言をする。
決して嬉しい話ではないのに、彼はそれが心底嬉しくてたまらないらしい。
「もう暫くしたらまたお会いできると思いますので、その時にきちんと連絡先を交換しましょう」
「いやいや!ちょっと待って!」
机の上にボストンバッグを置いてこちらに押しやって話を終えようとしたので、私は慌ててそれを止める。
不思議そうにする彼に、私は美波の近況を話し現在病院で点滴を受けている事を話した。
食事をしなくて困っていると話して居るのに、彼は顔色ひとつ変えない。
「先生もしや、食事を机の上に置いていませんでしたか?」
「は?当然そうしてましたけど…」
「ははは。それじゃあ湊も食べられませんよ」
彼の言うことが当たり前の事過ぎて何が悪かったのか全く分からない。
思わず私が首を傾げると我慢できないというように彼が笑いだす。
「スミマセン。何も説明していなかったから当然ですね。湊も俺も食事は床に置いた皿からしか食べてはいけないんです」
「え?」
「厳密に言うと、床に置いた皿からか“ご主人様”が噛み砕いた食べ物を口移ししてきた物しか食べられませんでした」
「・・・・」
「あと、排泄の件ですが湊は申告制で“ご主人様”に見られながらじゃないと排泄してはいけませんでした。俺達の排泄中に“ご主人様”が興奮すればそのまま行為に及びますし、先生が言っていた見ている時にしか排泄しないというのはそう躾られた習慣ですね」
予想していたより何倍も悲惨な現実に言葉が出ず頭を抱えた。
彼等の“ご主人様”というのは私の想像の遥か上を行く程相当悪趣味だったらしい。
口移しで食事をさせるなんて考えただけでもおぞましい事をしていた様で、流石の私も鳥肌がたってきた。
人間の生理的欲求のうちの食欲、排泄欲、性欲の3つを支配されるというのはどれ程辛い事だろうか。
「食事と排泄については分かりました。では、美波の事を何故湊と呼ぶのですか?高校の時は佐藤 美波でしたよね?」
「あぁ。佐藤と言うのは湊が誘拐された後に変更した氏名です。湊は幼少期に“ご主人様”によって1度誘拐され調教を受けてから捨てられました」
「私も新聞で何件か似たような誘拐の記事は読みました。確かにその中にそんな名前の子は居ましたが、何故氏名を変えたんですか?」
「発端は週刊誌による加熱報道だと聞きました。“ご主人様”は何度も読むほど喜んでいましたが、週刊誌が被害者である筈の湊の家族の事を面白おかしく記事にしたことで好奇や奇異の目にさらされるのに耐えきれなくなって名前を変えて引っ越しをしたと聞きました」
私は自分の質問が薮蛇だったと頭を抱える。
確かに私は美波の過去を“知った気でいた”のは確かだが、事実を知ると迂闊に聞いてしまった事に後悔してしまった。
しかし、とりあえず名前の疑問も消えた。
「これからは美波ではなく湊と呼んだ方がいいでしょうか?」
「まぁ本人も自分が湊という名前だという自認の方が強いでしょう。2回目の監禁から“ご主人様”もずっと湊と呼んでいましたし」
「そうですか…」
「あ、そうでした。これも良かったらどうぞ。処分しようと思ってたんです」
彼はジャケットの内ポケットからDVDのディスクを取り出してこちらにスイッと差し出してきた。
タイトル等は無く、日付が書かれているが随分と古い日付が入っている。
「これは?」
「湊の初期の調教映像です。私も良く見せられました。参考までに差し上げますので、そちらで処分してくださって構いません」
何気なく机に置かれたディスクを持ち上げようとした手が止まる。
それによく見せられたとはどういう事だろうか。
段々と米神辺りが痛くなってきたので、これ以上話を聞くのはやめておいたほうか良いと直感が警鐘を鳴らしている。
「では先生近いうちに」
会議室の前のエレベーターホールでそう言われ、私は何も答える事ができないままエレベーターに乗り込んだ。
まるで逃げ帰る様にオフィスビルを後にして自分の車に乗り込むと、やっと大きく息を吐いた。
どっと疲れが押し寄せてくる。
目の前に居た彼は終始笑顔を浮かべていたが、途中からは貼り付けた笑顔ではなく心底楽しいと思っている笑顔で話していて、話の内容と表情の差に恐怖を覚えた。
やっと自分のテリトリーである車の中で一息つけたが、変な頭痛が今もしている。
誉に頭痛薬を貰おうかと思いながら、先程渡されたディスクを着替えが入ったボストンに押し込んで助手席に乗せた。
まだやることが山積みで気が滅入ってきてしまう。
そんな事も言ってられないので、もう一度誉の病院に戻るべくエンジンをかけたのだった。
ともだちにシェアしよう!

