8 / 8
第8話
「はーい。毎度あり!」
珍しく私に向かってニコニコとしている誉がクレジットカードを返す為に手を差し出してくる。
そんな誉に私もニコリと笑ってカードを持っている手を掌ごと自分の手で包んだ。
「いつもそれくらいニコニコして頂けると嬉しいんですけどね?」
「スタッフにはお手を触れないでくださーい。こちらより近付かれますと有料でーす」
「お金を払えばお触り可能という事ですか?」
「んなわけねーだろ」
握っていた手を勢い良く引かれ、手を叩きおとされそのままカードを投げつけられた。
胸にカードが当たって太股の上に落ちる。
さっきの笑顔が嘘の様に無表情になった誉が小さな紙袋にPTPシートを入れているので、私の薬だろう。
ふざけてはみたものの少し頭の痛みが強くなってきていた。
疲れだろうなと自己分析しつつ湊の方を見る。
顔色が少し回復してきているので、まだ意識は戻らないが家に連れて帰る事にした。
カードをカードケースに戻しつつもう何度目かのため息をついて位を決して立ち上がる。
「さて…どうしますかね」
湊が寝かされている診察用のベッドに近付いて点滴用のルートと導尿しているカテーテルをどうしようかと考える。
しばらくは点滴を続ける必要性がありそうだし、点滴を続けるならルートはそのままの方がいいだろう。
点滴のスタンドを借りるにしてもそのままでは車には乗らないしどうしたものか。
後日検査に来るのでとりあえずルートだけ生かしたまま点滴が終わったらカテーテルは抜いてしまった方がいいだろう。
「それにしても目を覚まさないな」
「中々に過酷な生活を送っていたみたいなので、疲れているんでしょう」
私がベッド横で思案していると誉が湊の指先の器具でバイタルを見ている。
自分も小さな画面を確認すると正常とまではいかないが、だいぶバイタルも安定してきたので少し安心した。
「ではまた伺います」
「目が覚めたら食事もさせろよ」
「食べてくれたらいいんですけどね」
「うちの双子も嫌々言い出したら食べない。諦めて待つか、無理やり食べさせるしかない」
誉もちゃんと育児に参加してるんだなと思いながら湊をもう一度じっくりと見る。
問題は山積みだが、私も育児するつもりで面倒をみてやらなければならないらしい。
病院食のセットでも買って帰ろうか。
そんな事をぶつぶつと言いながら考えていたら点滴が終った。
手を消毒した後に手袋をつけて点滴のカテーテルを外して導尿していたカテーテルも引き抜く。
誉に目配せすると、奥の部屋に行くように顎をしゃくられたので採尿バッグを持ってそちらに向かった。
部屋の奥の方に汚物を流す用のシンクが目に入ったのでそこに採尿バッグの中身を捨てた。
空になった採尿バッグは戻って手袋と一緒に処置室の感染物用のゴミ箱に捨てる。
「ではまた後日」
「どさくさ紛れにスタッフにお手を触れないでくださーい。キモいでーす。一刻も早くお帰りくださーい」
湊に履き物を履かせてから車に乗せて、別れの言葉を言いつつ見送りに来た誉の腰を抱いて引き寄せた。
すぐに猫の様に手を突っ張って後ろへ距離を取り、シッシッと手を振って追い払われてしまう。
しかし、精神的に疲れていたので少しぞんざいな扱いの方が安心してしまった。
私も車に乗って手を振ってみたが、誉は私が車に乗った瞬間に踵を返してさっさと病院の中に戻ってしまった。
バックミラー越しに見た湊は少し意識が戻ったのかうっすらと目が開いてはいるが、まだ焦点は定まっておらずぼんやりとしている。
「着きましたよ?」
家に着いたので車から湊を降ろそうと後部座席の扉を開けるが、こちらを無感情にぼんやりと見ている。
手を差し出すも微動だにしないので、湊の手を少し引っ張った。
その動きにすんなりと車からは降りたが、左手にはブランケットを抱いたまま私の指示を待っている。
「歩けますか?」
私が声をかけると、微かにだがこくりと小さく頷いた。
歩き方はぎこちないが、そのまま手を引いて家の中に入る。
慌てて家から出たせいで何も履いていなかったので誉の病院でスリッパみたいな履き物を借りた。
私が靴を脱いで湊からそのスリッパを脱がそうとしたが、自らするりと脱いで家に入ってくる。
玄関に上がると上着のファスナーに手をかけて、もたもたと外そうとしているが上手くいっていない。
一瞬動きが止まって、諦めたのか病院着の下に手をかけたので、慌ててそれを止めて手を引っ張る。
「ちゃんと履き物が脱げましたね。おかえりなさい」
「おか…ごしゅ…じんさまとみさきは?」
「そういえば私の自己紹介がまだでしたね。貴方が高校の時に校医をしていた吉高 満 です。覚えていますか?」
履き物が脱げた事に対してだけ褒め、玄関からリビングにあるソファーまで誘導して私と向かい合ってソファーに座らせる。
この子がこの家に来て寝ている以外では初めてソファーに座ったかもしれない。
私の言葉に首を傾げている。
無意識なのだろうが、手首の付近を掻いているのをやんわり止めながらにこりと微笑みかけてやった。
「ごしゅじんさまにいわれて、ぼくと“する”んじゃないの?」
「高橋くん…いえ、己咲くんに頼まれて貴方を引き取る事になりました」
「ひきと…る?」
「ええ。聞いていませんか?」
「本当だったんだ…」
「えっ!」
顔を覗き込みながら極力優しく話しかけると、湊が突然ボロボロと涙をこぼしはじめたので私は焦る。
キョロキョロと周りを見渡し、ローテーブルの上にティッシュの箱が置いてあるのが見えたので湊を押さえていた手を離してティッシュの箱を引き寄せる。
1枚紙を引き抜いて目元の涙を拭ってやった。
「みさきが…ごしゅじんさまに…ひどいことされる…」
「君も十分酷いことをされていたみたいですけど?」
「ぼくは…ぼくは…」
ひっくひっくとしゃくりあげる湊に落ちたブランケットを渡してやると、小さな子供の様にブランケットをぎゅっと抱きよせた。
私の話を聞いてまず自分が何かされるかもと恐れを抱くより、最初に出てきた言葉が他人を心配する言葉だなんて予想外だ。
どうしたら良いのか分からず、とりあえず手を優しく握って手の甲をポンポンと叩く。
「みさき…ぼくが…」
「ゆっくりで大丈夫ですよ」
息が整わない程にしゃくりあげている湊の背中を撫でる。
流石に校医をしていても勤め先が中高だったのでここまで泣いている子を見たことがなかった。
しかも湊は年齢的には成人しているので不謹慎だと思いつつ新鮮な気持ちで湊を見てしまう。
はとこも精神的には幼い部分があるが私の前ではこんなべしょべしょに泣いているところを見たことがない。
面倒を見ていた誉なら見たことがあるのかもしれないなと思いつつゆっくりと話を聞いてやり、湊の話を要約すると自分が己咲を守ってやらねば酷いことをされてしまうらしい。
“ご主人様”の性欲は段々と衰えてはきているらしく、自分ができない代わりにたまに湊や己咲を人に貸し出して売春をさせていたらしい。
この家に来た時も私が貸出し相手だと思ったらしいが、何日たっても何もしてこないので不思議だったと言っている。
「己咲くんは…凄く元気そうでしたよ?」
「みさきはいつも本当の事言わないから…」
「いや…私が引く位に楽しそうにしてましたよ」
私は数時間前に会った彼の事を思い出す。
確かに“ご主人様”によってボロボロにはされていたが、終始楽しそうにニコニコとしていたのでそれを伝えてはみたが疑心暗鬼になっているせいか湊は信じていない。
ふと情緒が不安定なのも何かの薬物の副作用のせいなのではないかと思えてきた。
それなら突然泣いたりしてしまうのも仕方がない。
ふと後頭部辺りがチリチリと痛みだし、そう言えば自分の薬を飲むのを忘れていた事も思い出す。
「折角点滴したのに、そんなに泣いたらまた倒れてしまいますよ」
まだひっくひっくとしゃくりあげている湊の顔を再び覗きこみ、顔を両手で包んでやる。
目元を指で拭い、ちょんと目尻の黒子を親指でつつく。
そこでやっと私の顔を正面から見た湊の目と視線が噛み合った。
少し大人の顔つきになった湊は少し目尻の垂れた目をパチパチと瞬いてこちらを見ている。
「経口からも水分補給しましょうね」
「あ…」
本格的に痛みが襲ってきたので、誤魔化す様にソファーから立ち上がる。
湊が不安そうに私の事を目線で追うが、私は気にせずキッチンへ向かい棚からコップを取り出す。
冷蔵庫からペットボトルを取り出してコップに注ぎ、シートから薬を掌に取り出す。
勢い良く薬を口の中に放り込み、ぐっと水を飲んだ。
水が口に入ってきた瞬間にそう言えば水分補給補給を最低限しかしていなかった事を思い出した。
この頭痛は脱水と疲れかと自己分析をしつつ、コップに水をもう一度注ぎ今度はゆっくりと水を飲んでいく。
「はい。私の前ではコップで飲んでもいいんですよ?」
ソファーに戻り、湊に小さめのコップに注いだ水を渡すとおずおずとコップを受け取った。
こちらの様子をうかがう様にチラチラと見るが、口をつける様子はない。
「人が横に居たら飲みにくいですね。私は向こうの部屋で仮眠してきますから、その間好きに寛いでいてかまいませんよ」
湊の様子を見ていないといけないと思いつつ、薬が効き始めるまで時間がかかる。
頭の痛みに少しイライラとしてきてしまったので仮眠を取ることにした。
不自然にならない様に足早に自室に戻り、上着だけ脱いでそのままベッドに横になるとすぐに睡魔が襲ってくる。
疲れていたんだなと思いながら私は意識を手放した。
ともだちにシェアしよう!

