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EP3.徒花の契り
街を淡く彩っていた桜はとうに盛りを過ぎ、無残に散り果てていた。アスファルトにへばりついた花弁は人々に踏み荒らされ、泥にまみれて黒ずんでいる。それはまるで、役目を終えた後の舞台装置の残骸のようだった。
キャンパスの片隅にある喫煙所。羽瑠矢は友人たちと紫煙を燻らせながら、中身のない会話を流していた。
「例のクラブで今夜イベントあるからさ、行こーや。女子のレベル高いらしい」
「あー、今夜?無理だわ」
「うわ、また彼女?何人目だよ」
「彼女じゃねーよ。仲良しの子」
友人が、下半身爆発しろと言う顔で見てくるのを、羽瑠矢はうっそりと笑って受け流した。
その時、聞き慣れた規則的な足音が近づいてきた。視線を上げずともわかる。
「智紘」
声をかけられた智紘は、羽瑠矢を見て笑みを浮かべた後、周りに集う男たちをチラと見た。途端、潮が引くようにその場を去っていく男たち。玖我智紘という圧倒的な光の前では、有象無象の男たちは己の凡庸さを突き付けられ、居場所を失うのだ。
羽瑠矢の隣に腰掛け、煙草に火を点けた智紘に、羽瑠矢は呆れた声を出す。
「お前、相変わらず男には好かれないのな」
「うーん、俺は何もしていないんだけど」
智紘は本気で心外だという顔をした。
本人は全く自覚がないらしいが、この男は、恋愛における「倫理」や「序列」と言った常識が、まるっと欠落している。気になっていた女の子を横から掻っ攫われたと嘆く男たちも学内に多くいるのだ。そんな智紘の隣で平然と煙を吐き続けられるのは、世界で羽瑠矢ただ一人だった。
沈黙の中、二つの煙が空中で混ざり合い、消えていく。
不意に、智紘が短くなった吸殻を弄びながら言った。
「そういえば、新しい恋人できた」
智紘がわざわざ恋愛事情を報告してくるのは珍しい。よっぽど何かあったんだろうか。羽瑠矢は少しだけ眉を動かした。
「へえ、良かったじゃん。今度はどこのお姫様?」
とりあえず適当に返事をする。何人目だ、なんて野暮なことは聞かない。
智紘は吸殻を灰皿に落としながら、続けた。
「恋人、っていうか、男なんだよね。だから、彼氏?」
羽瑠矢の思考が一瞬、空白になった。男。彼氏。
こいつ……。
「男もいけたの?」
驚きを隠せない羽瑠矢をよそに、智紘は春の陽だまりのような、へらりとした笑みを浮かべた。
「いや、わかんないけど。好きって言われたから。男を抱くのってどんな感じかな?面白そうじゃん」
智紘を動かす原動力は、いつだって「退屈を凌げるか否か」だ。羽瑠矢は脱力して背もたれに体を預けた。
男同士がどうだとかは、今の時代どうでもいい。それにしても。
「見境なさすぎるだろ……」
呆れた顔をする羽瑠矢を見て、智紘は満足そうに笑った。
◇
それから一週間。「あの玖我智紘がついに男に手を出したらしい」という噂は、瞬く間に学内を駆け巡った。
智紘はどうやらその「彼氏くん」と睦まじくやっているらしい。講義を隣同士で受ける姿も目撃されている。
そもそも智紘にはあまり同性の友人がいない。男同士というのもあって、女とは違って気安いのかもしれない。
ある日、羽瑠矢が講義を終えて中庭を突っ切っていると、木陰のベンチに座る二人の男が目に入った。智紘と、例の彼氏だ。
無視するのも不自然な距離。羽瑠矢はあえて、いつもの気だるげな足取りで近づいた。
「智紘。と、彼氏くん」
二人が同時に振り返る。
智紘の「彼氏」は、気の強そうな男だった。顔が小さく、猫のような目が印象的で、一見女の子のような顔をしている。しかし、服の上からでもわかる体つきは、引き締まった「男」のそれだった。おそらく身長も170以上はあるだろう。
智紘が隣の彼氏に羽瑠矢を紹介する。
「こいつ、羽瑠矢。知ってる?」
「知ってるよ。有名人だし」
羽瑠矢は、「どーも」と軽い笑みを浮かべて見せた。
「羽瑠矢、前話したじゃん。こいつが、……えっと、なんだっけ?」
「眞壁 です」
「そう。眞壁 路央 。ゼミが一緒なんだよね」
路央と呼ばれた男は、大きな目でじっと羽瑠矢を見てきた。羽瑠矢もあえて目を逸らさず、しばらく二人で見つめ合う。
羽瑠矢は智紘の目の前で、わざと路央の耳元に顔を寄せ、低い声で囁いた。
「ねえ、こいつ知っての通りクズ野郎だけど、路央は本気なの?大丈夫?」
耳聡く聞いていた智紘が、心外だという顔をしている。
路央は表情の読めない顔で言った。
「大丈夫。全部、分かった上なんで」
言い切ったその声には、恋に浮つく熱など微塵もなかった。
むしろ、逃げ場を失った人間が抱くような、静かな逼迫感。
智紘が楽し気に「この後三人で飲みに行こう」と誘ってくるのを丁重に断り、羽瑠矢はその場を後にした。
一度だけ、振り返る。
満開の残骸が散らばる下で、寄り添いあう二人。
それは客観的に見れば微笑ましい恋人同士の光景だったが、羽瑠矢の目には、精巧に作られた「舞台」の上で、下手な芝居を打たされている役者たちのように見えて仕方がなかった。
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