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EP16.泡沫の思慕
外は茹だるような熱帯夜だが、室内は冷房が喉を焼くほどに冷え切っている。
路央はベッドで毛布に包まりながら、青白いスマホの画面を無機質に弾いていた。
(顔は悪くないけど、年上すぎ。次)
(うーん、体つきはいいけど、肌焼きすぎ。次)
画面に指を滑らせる、虚無の時間。夏休みに入ってから、路央はもう何時間この「青春の墓場」に時間を捧げただろう。
淡い恋が完全に潰えたと悟ってからの路央の行動は、驚くほど早かった。二十代の時間は儚く、一分一秒も無駄にはできない。そう決めた路央は、アプリでマッチした男と会ってみたり、二丁目界隈のバーに繰り出したりもしたが、未だに「ピンとくる」出会いには巡り合えていない。
どんなに優しい男を相手にしても、脳裏に焼き付いて離れない姿がある。
羽瑠矢。
彼の本質は、あの並外れた容姿ではない。怒りも醜さも全てを飲み込んでしまう、底知れない懐の深さ。ふとした瞬間の距離の近さや、風に乗って漂う彼自身の甘い香り。
――要するに、羽瑠矢は路央にとって「沼」なのだ。あまりに質 の悪い男を好きになってしまったせいで、その辺に転がっている男では物足りなくなってしまった。路央は一周回って、羽瑠矢の存在そのものが恨めしくなってきた。
消化しきれない想いを持て余し、ベッドの上で芋虫のように悶絶していると、控えめなノックの音が響いた。
「路央くん、ご飯だって」
顔を出したのは、大柄だがどこかあどけない顔立ちの青年だ。現在身を寄せている親族の家の息子。立ち上がろうとしたその時、路央のスマホがけたたましく鳴り響いた。
着信音でわかる。路央は目にも留まらぬ速さで通話ボタンを押した。
「羽瑠矢くん! ……いや、全然大丈夫。どうしたの?」
声に喜びが滲み出るのを止められない。同居の青年は、一瞬だけ複雑そうな顔を見せた後、静かに階下へ去っていった。
「来週?……海!? 行く、行く行く!!」
◇
九月の太平洋は、夏の名残を惜しむように眩しく煌めいていた。
「晴れて良かったー」
路央が呟くと、ハンドルを握る羽瑠矢が楽しげに応じる。
「でしょ。感謝して?」
「どういう意味」
「俺、晴れ男だから。台風とか気合で消せるし」
根拠のない自信に笑いながら、潮風を浴びる。後部座席では智紘が、宝石のような海に欠片も興味を示さず、俯いてスマホを操作していた。
辿り着いたのは、入り江に面した小さな町の民宿だった。古いが見事な造りの木造建築。羽瑠矢の友人の伯父が所有しているらしく、オフシーズン直前の空きを利用して集まったのだという。
車を降りると、軒下の日陰に数人の女子たちが屯 していた。目が合うと、ひらひらと手が振られる。
(……やっぱりか)
路央は苦笑した。この集まりは、どうやら男女の賑やかなコンパも兼ねているらしい。
荷物を放り出し、五分ほど歩くと視界が開けた。
太陽の直撃を受け、透明度の高い水面が薄青く発光している。浜には人影もなく、完全な貸し切り状態だった。
女子たちがはしゃぎながら写真を撮る横で、男たちが手際よくパラソルを展開していく。当然、智紘は一切働かずに砂浜へ腰を下ろしていた。
準備が整うなり、野郎どもが雄叫びを上げて海へ突進していく。その「全力のガチ遊び」っぷりに、女子たちは少し引き気味である。
智紘はといえば、パラソルの下に椅子を据え、悠々と本を開いていた。謎の柄シャツと高級ブランドのサングラスが無駄に似合っていて、少しイラッとする。
路央も海へ混ざろうと立ち上がった時、女子たちに鋭く呼び止められた。
「路央くん! 日焼け止め、ちゃんと塗った?」
「路央くん白いんだから、油断しちゃだめだよ!」
両脇から伸びてきた細い手が、路央の腕や肩にペタペタと触れる。そのままなし崩し的に、パラソルの下の「女子会」に拉致された。
「ねえ、路央くんって男の子が好きなんでしょ?」
直球の質問だったが、嫌な気はしなかった。路央が素直に頷くと、黄色い歓声が上がる。
「どんなタイプが好きなの?」「今まで付き合ったのは智紘くんだけ?」
なるほど、彼女たちは恋バナに飢えているらしい。
路央は適度に燃料を投下しつつ、女子たちのマシンガントークに相槌を打った。やがて、話題は核心へと向かう。
「ぶっちゃけさ、羽瑠矢くんと智紘くん、どっちがタイプ?」
路央は言葉に詰まった。二人の間に挟まれた自分の立ち位置は、周知の事実なのだろう。隠し立ては不可能だと悟り、路央は早々に白旗を上げた。
「……そりゃ、羽瑠矢くんに決まってんじゃん」
一瞬の静寂。直後、砂浜が揺れるほどの爆笑と喝采が巻き起こった。
「だよね!!」「羽瑠矢くんはマジでメロい」「智紘くん顔はいいけどクズだもんねー」
好き勝手な言い草だ。少し離れた場所にいる智紘は、自分の悪口が聞こえているはずなのに、欠片も興味を示さない。
「私は智紘くん、単推しだよ」
一人の女子が拳を握る。
「あの顔面で笑いかけられたら、たとえ凶悪犯でも匿っちゃう」
彼女が「智紘くーん!」と声を上げると、智紘はチラリとサングラスをずらし、サービス満点の笑みを返した。女子たちが過呼吸気味に悲鳴を上げる。路央はその内の一人の背中をさすってやった。
「今日、来てよかったー!」
女子たちの連帯感が頂点に達する。「抜け駆け禁止、美しい生き物を愛でる会」に無理やり入会させられた路央の肩を、誰かが背後から叩いた。
触れられただけで、心臓が跳ねる。
振り返ると、そこには水も滴る上裸の羽瑠矢が立っていた。濡れた前髪を掻き上げ、秀麗な額を晒している。
女子たちが瞬時に静まり返る中、羽瑠矢は楽しげに路央を覗き込んだ。
「路央、泳げる? リレーするからさ、手伝ってよ」
その眩しすぎる笑顔に気圧されながら、路央は何とか声を絞り出した。
「……俺、バタフライできるよ」
「おまえで決まりだ、路央」
羽瑠矢が路央の腕を力強く引き、立ち上がらせる。背後で女子たちの「頑張れ……!」という祈るような囁きが聞こえた。
路央は羽瑠矢の手の熱さを感じながら、煌めく波打ち際へと駆け出した。
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