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番外編 職場に見せられないツーショット写真問題(友則視点)

 昼休み、スマホを開いたのはただの癖だった。通知は一件。 『昨日の写真、これ好きです😊』  仕事中の拓海くんからだった。指でタップして、表示された画面を見た瞬間――息が止まりかける。  夜景を背景に並んで写る二人。彼は少し緊張した顔で、でも確かに俺の隣にいる。距離は近くない。肩も触れていない。それでも――。 (……これは駄目だ)  反射的に、そう判断していた。写真そのものが問題なわけじゃない。むしろ、宝物みたいな一枚だ。  でも、ほかの誰かに“見られたら終わる”。  年齢差・立場・職場という空間。どれか一つでも噛み合えば、簡単に歪んだ噂になる。 「花沢さん、それ誰ですか?」  隣の席から声が飛んできて、心臓が跳ねる。反射的にスマホを伏せた。 「……え?」 「今の写真。なんか大事そうな顔してましたよ」  悪意はない。本当にただの雑談。 「家族だよ」  咄嗟に嘘をついた。口に出した瞬間、胸の奥がちくりと痛む。 「へえ。弟さんとか?」 「……まあ、そんなところ」  それ以上は聞かれなかった。助かったと思うより先に、別の感情が込み上げる。 (……俺、嘘ついたな)  拓海くんの顔が頭の中に浮かぶ。写真を「好きです」なんて、迷いなく送ってくる人に対して、俺は失礼なことを言ったと思う。  そのせいで仕事に戻っても、集中できなかった。  もし、この写真が誰かの目に入ったら――彼はどう見られる? 年上に遊ばれているとか。隠されているとか。都合のいい存在だ、とか。 (……そんなふうに、絶対させない)  昼休みの終わり、スマホを手に取る。 『写真、すごく好きだよ。でも、これは俺だけのにしておきたい』  少し間を置いて、もう一文。 『職場じゃ、見られないから』  送信して、深く息を吐いた。  数秒後、拓海くんから返信がきた。 『はい。大丈夫です😊  友則さんが大事にしてくれるなら、それで』  胸の奥が、じんと熱くなる。 (……なんで彼は、こんなに真っ直ぐなんだ)  守るべきものが、はっきりした瞬間だった。  スマホを胸ポケットにしまい、椅子に深く腰を預ける。  職場では、“ただの花沢友則”。でも誰にも見せられない場所に、確かに恋人との写真がある。それだけで、午後を乗り切るには十分だった。  仕事帰りの夜、〈はなれ亭〉の暖簾をくぐる。油と出汁の匂いが、一気に身体をほどいてくれた。 「おかえりなさい、友則さん」  カウンターの向こうで、いつものように拓海くんが笑う。それだけで、昼間の緊張が嘘みたいに抜けていく。 「今日は早かったですね」 「うん……ちょっと、話したいことがあって」  声色で察したのか、彼は母親に目配せをする。 「母さん、僕、もう上がっていい?」 「いいわよ。友則さん、まかない食べてく?」 「ありがとうございます」  閉店後の店内。カウンターに並んで座ると、昼の出来事が現実味を帯びた。 「今日さ、職場でスマホ見てたら」 「写真……見られそうになったんですね?」  もう、全部わかっている顔だった。 「うん。咄嗟に、家族だって嘘ついた」  一瞬、沈黙。拓海くんに責められると思った。 「……それ、正解だと思います」  拓海くんは、そう言って微笑んだ。 「僕がどう見られるか、考えてくれたんですよね」 「……守りたいんだ。君を」  素直に言うと、彼は少し目を伏せた。  まかないを食べ終えたあと、俺はスマホを取り出す。 「これさ……誰にも見せられないから」  画面を向ける。フォルダ名は、ただの「📁」。  中には数枚。  夜景。  ホテルの窓越しの光。  拓海くんが不意に笑った瞬間。 「……こんなに残してたんですね」 「消せるわけないだろ」  彼は驚いたように瞬いて、ふっと笑った。 「隠されてるって思われるかな、って……少し考えたんです」 「……うん」  拓海くんの言葉の続きを待つ。 「でも、違いました」  とても静かな声が俺の耳に届いた。 「友則さんが僕を守るために隠してるなら、嫌じゃないです」  胸が、きゅっと締めつけられる。 「それに」 「それに?」 「誰にでも見せないってことは、大事にしてるってことですよね」  ふわりと微笑んで告げられた瞬間、言葉が深く沁みた。 「友則さんのスマホにだけあるなら、それで十分です」  少し照れたように視線を逸らして、拓海くんは続ける。 「いつか堂々と並べる日が来たら……そのときは新しい写真、一緒に撮りましょう」  耐えきれず、そっと手を伸ばした。指先が触れる。 「……ありがとう」  それだけで、精一杯だった。  大人でいることは隠すことでも、我慢することでもなくて。選んだ相手を守り続けることなんだと、やっとわかった夜。  カウンターの小さな灯りが、二人の影を静かにひとつに重ねていた。

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