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第二夜 刻まれゆく服従、逃げ場のない契約
――灯緒。
――こんなことになって、すまない。
父の声が、灯緒の頭の奥で響いている。
両親は怪異によって殺された。
これは夢だと理解すると、目頭が熱くなった。
――契約は無事結ばれたんだな。
――これでしばらくは安心できる。
その言葉は違和感があったが、声を出したくても何かが詰まって声にならなかった。
――驚くかも知れないが、おまえはあの方の……。
父の言葉は続こうとしているのに、それを遮るように、意識の霧が晴れていってしまう。
ふわりと香る優しい匂い。
額を滑るぬくもり。
頬にかかる吐息。
食まれる唇……。
「んん……?」
ぱさ、と灯緒の顔に自分のものではない髪の毛がかかった。
夢の世界から完全に引き戻され、灯緒は目を開く。
赤く長い睫毛が、目の前の人物の瞳を隠していた。
口の中で水音が響き、唇の上を柔らかいものが転がっては、繰り返し吸い付いてくる。
「っ、んぅ……ぁ、ん」
まとわりつく熱と湿度を理解して、離れようと目の前の人物の胸を押す。
分厚い胸板が息継ぎと共に上下していたが、鼓動は状況に似合わず穏やかだ。
――この人、なに……抵抗できない――。
絡めとられた舌に、男の唇が吸い付きながら離れていく。
ようやく自由に呼吸ができると口を開くと、乱れた息が繰り返し、声と共に漏れてしまった。
離れた男の唇には糸が引いている。
口元を拭いながら、男はまた近づいてきた。
「は、ん……ま、待ってくださ……」
「俺に命ぜられる立場だと思っているのか」
「んぅっ」
なぜ自分はこの人と口づけを繰り返しているのか。
どうして抗えないのか。
混乱しながら答えを探そうとする思考を遮るように、男の手が顎を引く。
逃げた唇を連れ戻そうと、また口づけが始まろうとしていた。
再び触れ合った唇は、より深く吸い付いていく。
今度は逃がさないとでもいうかのように――。
頭がだんだんと布団に押し付けられ、逃げ場が全くない。
灯緒の心臓は早鐘を打ち、敏感になっている胸元を男の指がくすぐる。
指は段々上がってきて、首筋を逆なでした。
「は、ぁあ……」
「……主はこの俺だ」
鼻息を漏らした男は、そう呟くとようやく離れた。
「あ、主……?」
髪を掻き上げている男に視線を向けながら、灯緒は呼吸を整える。
「鬼禪 と呼ぶことを許してやろう」
男が口にしたその名は、この町と同じもの。
――この気配……彼は、そうか……鬼だ――。
――僕は、この鬼と契約した?
ようやくハッキリしてきた意識で理解する。
この町の由来となった鬼の伝説と、男のすべてがかみ合っていく。
――けど今、“主は俺だ”……と。
「状況が理解できたか」
理解しきれない。なのにこの鬼が言っていることが偽りとも思えない。
動揺する灯緒の前に、鬼禪の手が伸びていく。
「ならば、さて。夜は逃したが初夜の契りを」
力の入らない手で印を組もうとした灯緒。
しかし、それに気がついた鬼禪が大きな手で阻止する。
まずは右手、次に左手を掴まれ、印を組むことができなくなった。
「主人を封じるなど、できると思ったか?」
「こんな強引なもの、契約なんかじゃない……!」
「では聞くが、お前たちは従わせるとき……力を示さないのか?」
言葉とは違い、鬼禪の声色はまるで灯緒のことをからかうようだ。
「そ、それは」
「強者でなくては服従しないだろう?」
「でも、こ、これは……違う……」
どこか優しい口調のまま、鬼禪は掴んでいる灯緒の手を親指で撫でていた。
「なにが違うと?」
「ぼくは、……僕は屈してない!」
手を振りほどこうと力んでも、まるでびくともしない鬼禪の腕に、灯緒はずっと不安を感じていた。
「そうか、おかしいな。その気がなければ印は浮かばないが」
「……印?」
鬼禪は壁際にあった古い鏡を風で引き寄せると、灯緒の顔の横に置く。
「うあっ」
両手を引っ張り、身体を起こされた。
鬼禪の片手で拘束され、印は組めないままだ。
不安で心臓が嫌な脈の打ち方をする。
鏡に視線を向けると、首筋には見慣れない赤い模様が小さく浮かんでいた。
「見ろ。おまえがこの俺に屈した証だ」
「……印は、あるけど、屈したつもりは……!」
屈した証。それを見せつけられて、灯緒は羞恥で顔を赤くしていく。
「ならば今、逆らってみろ」
「え……っ」
言葉での抵抗を繰り返している灯緒を試すように、鬼禪は灯緒の首筋をなぞった。
「奉仕の時間だ、灯緒」
名を呼ばれた瞬間、身体の中心に熱が集まる。
抗えない服従の気配が灯緒のみぞおちに落ちた。
「ぇ、あっ! ひっ」
首筋が熱を持ち、思わず身を屈める。
鬼禪の脚が、その先が、着物の裾から覗いている。
尾てい骨から腰にかけて、快感までもがゾクゾクと走った。
「堪えるか。さすがだな」
「んぅ……なん、だ、これ……あっ」
「手伝ってやろう」
頬をすべった手のひらは、再び灯緒の顎を引く。
触れ合うような距離に来ると、軽く唇がくっついた。
灯緒の腰を抱いた鬼禪は、敏感になった灯緒の腰を自身の腰の上へと移動させる。
ひた、と硬く熱い何かが尻の割れ目にあたった。
「はッ……ん、ぁ……」
「……燈利はきちんとおまえの無垢を守ったようだな。多少初心過ぎるが」
指先が灯緒の背をすべって、尾てい骨を優しく撫でられる。
それだけで腰が砕けるのではないかという錯覚を感じた。
「腰が揺れてるぞ。逆らうんじゃないのか?」
現実を突きつけられるたび、顔が熱くなっていく。
灯緒は唇を強く結ぶと、唾液を呑み込み、鬼禪を睨みつけた。
「良い目だ」
しかしそれすらも鬼禪の前では無意味なのか。
腰を掴まれ、灯緒は再び布団に沈んだ。
「う、あっ」
「反抗は契約の香辛料だな」
しかし、彼の匂いがさっきまでとは違う。
まるで執着でひりついたような風を纏いながら、灯緒のはだけた着物を剥がし、鬼禪自身も羽織を脱いだ。
「久方ぶりに高まってくる」
熱い息を吐くと、鬼禪は自身の反り立つものを灯緒に見せつけるよう裾をめくる。
――抗わないと、戻れなくなる……。
「身体に教え込んでやろう、服従を」
そのとき。
「兄様! 兄様ーッ!」
「! ――ッ」
弟・燈赫の声がして、灯緒の正気が返ってきた。
力では敵わない――。
灯緒は古い畳に手を伸ばし、藁を掴む思いで爪を立てる。
そして鬼禪の脚の間から抜けると、躓きながらも部屋の外へと抜け出した。
――一筋縄ではいかぬからこそ、この契約は意味がある。
鬼禪の心の内がそうつぶやいていることにも気づかず、灯緒は弟の元へと走った。
「燈赫!」
「兄様!?」
乱れた着物を整える間もなく現れた灯緒に、燈赫は目を見開く。
「ここから出よう!」
灯緒は自分のことも顧みず、弟の手を引き、縁側から庭へと出た。
「灯緒」
「――!」
しかし、抗えない鬼の声に名を呼ばれると、また膝に力が入らなくなった。
「俺の傍を離れるな。弟が死ぬぞ」
短く命令すると、風が兄弟を包む。
そして再び鬼禪の元へと引き戻された。
「くっ!? 兄様……! おまえ、東雲家当主になにをしたんだ!」
「大したことはしていないが、答えてやろう。おまえを救うために始まった契りだからな」
鬼禪は愉快そうに話す。
十五年前、燈赫と母を救った日の話を――。
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