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第四夜 鬼と怪異、支配と浸食
燈赫が目を覚ますと、鬼禪に呼ばれ、母屋へと移動する。
台所の隣にある居間の襖へと、二人は恐る恐る手をかけた。
「食え」
中に入ると焦げ臭いにおいが広がっている。
そして居間の中心にはイノシシがぶら下がっていた。
「こ、これは……?」
「食えって、どこにまともな食い物が」
困惑したまま、灯緒と燈赫が顔を合わせる。
すると鬼禪が立ち上がり、灯緒を風で引き寄せた。
「わっ」
「この俺の手料理を食せることを、おまえたちはありがたく思え」
生臭いイノシシに、色のおかしな汁物。皿の上には燃えカスが並んでいる。
これが、鬼の手料理。
燈赫が顔を引きつらせ灯緒に目配せをする。
これからはこれが日常になる。だから、やっぱり早く逃げよう。
弟の瞳は必死にそれを伝えていた。
「き、鬼禪さま」
「なんだ。感動して言葉もないか」
「……その。よければ、僕に料理を振舞わせてください」
「料理なら目の前にあるだろう」
「あまりに多い焦げは、身体に悪いので……その、あ……主、には……もっと。身体の芯から健康になれるようなものを、食べていただきたいのです」
「……」
「お任せいただけますか……」
灯緒は必死に言葉を選び、機嫌を取りつつマシな食べものを作れないかと思考する。
すると鬼禪は灯緒の腰から手を離し、頬杖を突いた。
「好きにするがいい」
火の玉が散らばり、鬼禪が姿を消していく。
その残り香は、怒りの香りがにじんでいた。
燈赫は安堵の息を吐き、灯緒はまだぬくもりの残る腰に触れる。
「で、兄様。どうすんだ?」
「多分、この屋敷で料理ができるのは僕だけなんだろうな」
「おれは作れないし」
「ほかに人の気配もない……」
灯緒は一度大きく深呼吸をすると、たすき掛けをして台所へと脚を踏み入れる。
鬼禪は台所を使わずに料理をしたのか、灯緒は問題なく料理を始められた。
◆
日が落ちても、鬼禪は戻ってこない。
食事を終えて、燈赫を離れに連れて行きながら、灯緒の心はどこか落ち着きがなかった。
「兄様」
「ん、なんだ? 燈赫」
「今なら逃げ出せると思わないか」
支配者のいない屋敷だ。
燈赫の言いたいことは分かる。
「今度はおれが兄様を守るよ。契約なんて無視していい」
「そういうわけにはいかないよ」
「なんで」
燈赫の纏う空気に、苛立ちの香りが混じる。
「燈赫も分かってるだろ? 式神を従えるときの、あの強引な契約を。簡単に逃げられるとは思えない」
「……じゃあおれが、兄様を奪う」
「え、うば……?」
燈赫の指先が灯緒の指に絡み、引き寄せられる。
背はまだ灯緒の方が上だが、その骨の太さ、肉の厚みに少し驚いた。
「とうか……」
体勢を崩した灯緒の顔が、弟に近づいていく――。
今までの弟の香りと違うような気がする。
そこには鬼禪から漂っていた執着の匂いに似た香りを感じた。
そのとき、兄弟の顔の間に火の玉が現れる。
「ッ!」
『所有物に触れて良いと、許可をした覚えはないぞ』
火の玉から鬼禪の声がすると、今度は風に足元を攫われ、灯緒は後ろに倒れる。
その背を優しく逞しい腕が支え、灯緒は強く抱き締められた。
「っ、鬼禪……さま」
顔を上げると、乱れた赤い髪が空気に揺れる。
巻き起こる風が灯緒の聴覚を遮り、鬼禪の片手が視界を奪おうとした。
視界を遮られる直前、何かを願うような瞳が、灯緒の目に焼き付いた――。
――今知る必要はない。弟がもう……。
一体何を言いかけたのだろう。
鬼禪の心の言葉尻が遠くなって、聞き取りきれなかった。
一方、燈赫は鬼禪の前で彼を憎らし気に睨んでいた。
「貴様に許されているのは、この敷地から出ないこと。そして、灯緒の身体に触れぬことだ」
兄の視界と聴覚が奪われたところで、燈赫は表情を歪める。
「それは許してるっていうより、禁じられてるように感じるけど?」
「禁じているとは、そもそも……“したくともできぬ”ということだ。愚か者が」
「なら何か禁じてみてくれよ。勉強するからさッ!」
「哀れな弟だな。兄の名も呼べぬことに、気づいていない」
「! ……なにをっ」
鬼禪の眼光が光ると、一直線に巻き起こる風が燈赫の身体へと向かっていく。
「っ、凪ぎ!」
燈赫は素早く印を組むと、向かい来る風を薙ぎ払った。
「霊力が乱れているぞ。良いのか? おまえの愛しい兄に、隠してきた呪欲 がバレるぞ」
「マセガキみたいに言ってくれるなよ。アンタこそ初対面で兄様の唇を奪う変態のくせに!」
「貴様の薄汚い浸食と同列に語るな」
燈赫の眼球が漆黒に染まっていく。
それはまるで怪異に浸食されたかのようだ。
しかし、そのとき。
灯緒の視界と聴覚を奪っていた風が、灯緒の霊力によって止んだ。
「!」
「とう、かく……大丈夫か!?」
「あ、兄様……!」
灯緒はぼやける視界を早く取り戻そうと、目元を擦る。
一方、変化しかけた燈赫は慌てて床にうずくまった。
「ッ――鬼禪さま……契約は、燈赫は守ると言いましたよね」
「生きているだろう」
「たった一人の弟です……! 僕には何をしても構いません、だから……約束を守ってください」
隠れた怪異が、燈赫の口元に笑みを浮かべる。
――ざまあみやがれ。
うずくまる燈赫の背を抱き、灯緒は鬼禪を睨みつけた。
「そうか……何をしても構わないと言ったな」
表側へ出てこようとした正体を押し込めきると、燈赫は身体を起こす。
兄は弟を愛している。だからぽっと出の鬼など敵わないに決まっている。
それは過信であることに、燈赫は気づいていなかった。
「はい。何も拒みませんから……ぇ?」
「良いだろう。湯あみをしてこい」
「湯あみ、ですか?」
「新たに契約してやる。おまえの大事な弟を生かすだけではなく、守り切るという契約だ」
「てめぇ……!」
その言葉を聞いて、燈赫の怒りが先に走る。
灯緒の弟愛を逆手に取った鬼禪。
なのにその瞳は燈赫をバカにするでもなく、寂し気に灯緒を見つめていた。
「新たな契約だ。三度目には含まないがな」
「わかり、ました……」
「だっ、だめだ兄様!」
鬼禪は燈赫の上に風を集めると、灯緒を離す。
風を使って欲深い弟を押さえつけると、灯緒の肩を抱き、言う。
「貴様は大人しく寝ていることだな。子供が起きているには長すぎる夜だ」
灯緒は燈赫の拘束が一刻も早く解かれることを願い、急ぎ足で離れを出て行く。
「兄様、分かってるのか? 行くな! おれは大丈夫、おれが守るから! おれの隣にいてよ!」
その声に足が重くなる。
つい振り返ろうとすると、鬼禪の視線に気が付いた。
「……兄様に任せなさい」
灯緒は振り返るのをやめてそう呟き、鬼禪と共に母屋へと入っていった。
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