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二章『第六話 暴走 オーバーヒート②』

「っ、くそ!」  状況を理解したのと同時、俺はすぐさま腰に巻きつけたベルトへと手を伸ばした。そこには、携帯用の水入りボトルがいくつか取り付けてある。水を操る系譜者用の特注品だ。  今日出発前に用意したのは、小さなボトル二本と大きなボトル一本。元が学校の偵察任務だっただけに、戦闘する前提で用意はしていないから、正直心許ない数だ。……けれど、そうも言っていられない。 「ぐっ、……ぁっ……!」  銀髪の少年は、俺を払い除けはしたけど、どうにか自分の能力を抑えようとしている。……とはいえ、それも長くは保たないだろう。  彼の周囲には、抑えきれていない風の残滓が、取り巻いている。    迷う暇はない……俺がやらないと。そんなことを思いながら俺は、ふぅ、と息を吐いた。それからそのまま、銀髪の少年を視界に入れたまま、後ろ手に二本の小さなボトルへと手を掛ける。  瞬間、ずきりと痛みを訴えた肩に、ぐっと眉間に皺が寄ったけれど、すぐに意識を集中し直した。  自分の痛みなんて、今、目の前で苦しんでいる彼に比べれば、ほんの些細なものだ。 「っ、……は、ぁっ……!」  すると、不意に眼前の彼が、ぐらりと態勢を崩した。瞬間、そんな彼に合わせて、その周りを取り巻いていた風が大きく揺らぐ。  ――――今だ!  その瞬間を逃さぬよう、間髪入れずに俺はぐっ、と右足に力を込め、前へと踏み込んだ。片手に握ったままのボトルのキャップを、二本ともパチリ、と上に弾いて開く。 「ごめんね、ちょっとだけ我慢して」  そう小さく呟きながら、俺は攻撃されることも厭わず、勢いよく彼の懐へと潜り込んだ。 「っ……⁉︎」  瞬間かち合った彼の瞳が、驚いた様子で丸く見開いた。それは、清くとても澄んだ、琥珀の瞳。……不安げに揺れる、迷子みたいな瞳。  その目を見て、思う。そうだよね。力の暴走は、当人が一番怖くて、寂しいよね。  オーバーヒートは、一度発生すれば一切の抑えが効かなくなる。自分の身の内に渦巻く、強大な系譜の力にずっと飲み込まれて……早く助けて欲しいのに、その手を自分が傷付けてしまうから、最後には自分から遠ざける。  その苦しさを、俺は身に染みて知ってるから。だから、俺はなんとしても君を助けるよ。……以前、俺がそうしてもらったように。  瞬間脳裏に過った、炎のような紅い瞳。こんな時だって、思い出すのは彼奴のことだなんて。こんなの、もう末期だ。 「――――捕縛」  そう呟きながら、握るボトルを彼へ目掛けて振り下ろし、中の水を彼へと浴びせた。その瞬間、流れ出た水は飛び散ることなく、二本の鞭のようにしなる。 「っ、え……っ⁉︎」  水の鞭により身動きを封じられた少年は、どさり、と床へと倒れ込む。驚いた様子の彼は、何が起こったのか分からないとでも言いたげに、何度も目を瞬きしている。  そんな少年を前に、俺はふぅ、と再度息を吐き出した。 「正直、白兵戦は苦手だから怪我も覚悟の上だったけれど……上手くいってよかった」  後方支援なら得意なんだけどね、なんて格好の付かないことを言いながら、ごめんねと腰を落として、少年の顔を覗き込む。 「怪我はしてない、かな……? とりあえず、暴走を解かないとね。ゆっくり深呼吸できるかい?」  深呼吸して、気を落ち着かせて……そう少年へと声を掛けながら近寄ると、ほんの少し呆然としていた彼が、不意に焦った様子でダメだと叫んだ。 「っ、近寄らないで!」  彼が拒絶の言葉を発した、その直後。薄らいでいた彼の能力が、俺へと明確に注がれた。  幾重にも連なった、鋭い風の刃。それらが容赦なく降りかかり、頬と左肩に一筋の鮮血が伝った。 「いっ、つ……!」  下手な刃物よりも鋭い切先に、咄嗟に声が漏れる。その瞬間、手前でヒュッと息を呑んだ音がして、目線を落とせば、銀髪の少年が俺を見上げたまま、見るからに怯えた様子で顔を強張らせていた。  その表情を見て、瞬間思った。これは多分、拙い。おそらくこれは……傷を負わせるということは、彼にとって地雷だ。 「あっ、と……! だ、大丈夫だよ! これは君の所為じゃないから、だから気にしないで――――っ」  咄嗟に言葉を連ね、彼の気を逸らそうとはしたものの、時すでに遅い。銀髪の少年は、俺を見上げながらも視線をゆらゆらと揺らがせ、はく、と息を声にならない声を吐いた。  その目線は、俺と合っているようで合っていない。 「あっ、……ああ……っ! また、また僕は同じことを……っ!」  あからさまに動揺する彼を前に、すぐに俺はもう一度身を屈め、大丈夫だと声を掛ける。  君は何も悪くない。ただの力の暴走だ。怪我をしたのだって、俺の注意が足りていなかっただけだ、と。――――けれど、それを口にするよりも先に、彼の周囲を先程とは比べものにならない程の密度の風が取り巻き、凄まじい勢いで弾かれてしまった。 「――――っ、防波膜‼︎」  咄嗟に残りのボトルを掴み、水で防護壁を張る。が、風の威力を殺しきれず、後ろへと弾き飛ばされる。  ――――なんて強さだ……っ! 「っ……! 駄目だ、これ以上は君の身体が……っ!」  保たない、そう叫び、何とか彼の制止を試みようとした……その瞬間。 「――――琥珀(こはく)‼︎」  刹那、騒然とした部屋の中へ、そんな声が響き渡った。 「っ⁉︎」  その声に、気が動転しかけていた少年も俺も驚き、咄嗟に声のした方へと顔を向ける。そうして、視界にその人物の姿を捉えた直後、俺は目を瞠った。 「……っな、……空⁉︎」  なんでここに……。そう俺が口にするよりも先に、空は教室へと飛び込んでくるや、オーバーヒートを起こしている少年へと駆け寄ろうとしていた。それに気付き、咄嗟に駄目だと叫ぶ。 「っ、駄目だ空! 危な――っ!」 「分かってるから兄さんは黙ってて!」  だというのに、返ってきたのはそんな怒号で、これまた驚愕する。今日という今日まで、弟からそんな乱暴な台詞を投げられたことがなかったから、衝撃で言葉をなくしてしまう。 「副長!」  すると、不意にまた部屋の外から聞き馴染みのある声が飛んできた。顔を向ければ、そこには瑠璃さんの姿が。 「瑠璃さんっ」  あまりにも安心感のあるその存在に、顔が緩む。情けないとは思うが、こういう場面に彼という存在は非常に心強かった。 「詳しい話は後ほど、今は彼の安否の方が先決です!」  そうこうするうちに、瑠璃さんは詳しい話はせず、懐へと手を伸ばすや、すぐさま銀髪の少年へと目掛けて黒い何かを投げ付けた。  カカッ!と、座り込む彼を囲むよう、四辺に突き刺さったそれらは、瑠璃さんが所持する武具のひとつ。主に術式を展開する時に使用する、軽量型の小刀。 「――――八白(はっぱく)!」  そう、瑠璃さんが口にするのと同時に、少年を囲むよう床に刺さった小刀が淡く光る。  瞬間、少年の身体を取り巻いていた風が緩んだ。おそらく、即座に簡易な結界を張ったのだろう。今、彼のいる空間は瑠璃さんの力によって、一時的に鎮静されている。  それを見計らい、瑠璃さんが空へと叫んだ。 「約束通り、周囲の風は抑えたぞ!」 「分かった!」  何やら訳知り顔な瑠璃さんの横顔と、銀髪の少年の元へと駆け寄る空。そんな二人を、俺は混乱する思考のまま交互に見遣る。  すると、空が銀髪の少年の真正面へと駆け寄り、そのまま――――彼を、優しく抱き止めた。 「……悪い、琥珀。遅くなった」  銀髪の……琥珀と呼ばれた少年は、瞬間目をまんまるに見開いた。そして……空の腕の中で、今度は今にも泣き出しそうに、くしゃりと目元を歪ませる。 「……別に、来なくていいって、いつも言ってるのに……馬鹿」  その口から溢れたのは、そんな悪態だったけれど。その腕は、しっかりと空の背中に伸ばされていて、その言葉が本心からくるものではないのだろうことが伺えた。  それに空も気付いているのか、小さく笑ったと思えば、そうだななんて軽口を零す。  ぽん、ぽん、と彼の背を、まるで子供を宥めるように柔く叩く空の姿に、俺はただ目を丸くするばかりだった。 「おさ、まった……?」  そうして気付けば、彼を取り巻く風は消え、無事オーバーヒートは鎮圧していた。 「そのようですね」  大事にならなくて良かった、と瑠璃さんが呟きながら息を吐く音を耳にしながら、俺は、未だ銀髪の彼を抱き締めて離さない弟の姿を見つめていた。  何が起こったのかは、未だによく分かっていないけれど。空はあまり自分のことを語ろうとしないから、俺も今初めて知ったが……。『気心の知れた関係』、そう断言できるくらいには、二人の間を取り巻く空気は柔らかいから。大切な子なんだろうと、そう思った。

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