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三章『第三話 夕廉班長のお節介①』
ぞくり、と不意に寒気が走った。
思わず右手で腕を摩る。
――――な、なんだ……? 何か……嫌な予感。
そんな俺を見て、あら、と珈琲の匂いを楽しんでいた夕廉さんが首を傾げた。
「寒かったかしら?」
「あ、いや、そういうわけじゃ……」
気遣う声に、慌てて首を振る。
「なんというか、悪寒が……」
そう零した瞬間、隣に座る二人もそろって首を傾げた。
「悪寒、ですか?」
向けられた視線に、しまったと思う。ああ、余計なことを言った。
「あー……いや、やっぱり気のせいかな?」
すぐに誤魔化すように言い直す。……変に心配させる必要もない。
少し空気が変わったのを感じて、俺は話題を変えようと続けて口を開いた。
「それにしても、相変わらず夕廉さんの力はすごいですね。全然痕がないや」
軽く笑いながら、そう言って自分の腕を見下ろす。
さっきまであった切り傷も、打撲も。もう体のどこにも見当たらない。多分背中も、同じようにまっさらだろう。
毎度のことながら、この人の能力は本当にすごい。
そう思って口にすれば、夕廉さんはにこりと笑った。
「ふふ、ありがと。でも、油断しないことよ?」
夕廉さんは柔らかい声音のまま、けれど少しだけ真剣な表情を浮かべ、俺を見た。
「分かってるとは思うけど、私の力は、その人本来の治癒力をちょっと補助してあげるだけ。見た目は治ったように見えていても、完全じゃないから。無茶はダメよ」
分かった?と人差し指を立てられて、そう言われてしまったらもう何も言えない。だから俺は、苦笑しながら頷いた。
「はい。もう耳にタコですから、よく分かってます」
そう返すと。途端、灰褐色の瞳がすぅ、と細められた。
――――分かっているのなら、もっと気を付けなさいよ。
なんて、彼の吐かれたため息に、そんな言葉が聞こえてきそうで。気まずさから声が詰まる。
隣からは、なにも声が聞こえない。きっと、空はもちろん、琥珀くんにも呆れられてしまったんだろう。
自分でも、中々面倒臭い性分をしてるって思うから。
「……んもうっ!」
すると、そんな空気をぶち壊すよう、そんな声が飛んできた。
「それならもっと自分を労りなさい! ちぃちゃんったら、せっかく綺麗な顔してるのに、任務の度に傷だらけなんだから!」
嘆かわしいわ!なんて叫びながら、額に手を当てて、大げさに首を振る夕廉さん。
その言葉に、ああ始まったと頭が痛くなる。こうなると、この人は長いのだ。
ちら、と横目で二人を見やる。
琥珀くんはぽかんと夕廉さんを見て固まっていて、空は何事もなかったかのように珈琲を飲んでいる。……我が弟ながら、良い性格してるよ。
うーん……参ったな、これ。
「ごめんなさい……」
とりあえず謝ってみるも、夕廉さんはまだ何かを言いたげにじろりと俺を睨む。
「……謝罪より、誠意を見せてほしいわね、私としては」
「ゔっ……すみません」
もはや堂々巡りで、どうしたものかと思っていると。
「……あ、あの」
おずおずと、隣から声が上がった。
それに促され視線を向けると、琥珀くんが肩身を狭くしながらも手を上げていた。
「ん、どうしたの? 琥珀くん」
「あっ、いやえっと、お話し中のところすみません……」
ちょっと気になって、と前置きする彼に、夕廉さんもあらやだ、と眉尻を下げた。
「ごめんなさい、またほっぽっちゃったわね。いいのよ、何でも話して」
ちぃちゃんにはまた後でお説教するから、と続けられた夕廉さんの言葉に、思わず顔を顰めてしまったけれど。今は琥珀くんが優先だと、隣へと体を向ける。
すると、琥珀くんは少し緊張した様子で、小さく口を開いた。
「その……僕、オーバーヒートしたから、体調見てもらうって話で、連れてこられたと思うんですけど……こんなのんびりしてていいんですか?」
そう言われて、俺は一瞬きょとんと目を瞬かせてしまう。
「お兄さ……あ、いや、千草さんの治療が終わったら、何かあるんだろうって思ってたんですけど……」
さっきから俺、珈琲飲んでくつろいでるだけですよね?
そう続ける琥珀くんに、ああそういうことか、と俺が思ったのと同時。手前から軽やかな声が飛んできた。
「あら、それが大事なのよ?」
「……え?」
琥珀くんの言葉に、ころころと夕廉さんが笑う。
「そもそも、その件はもう終わってるの」
そう、あまりにさらっと夕廉さんが言い切るものだから、琥珀くんがまた困惑したように声を漏らした。
それににこりと笑い、夕廉さんは続ける。
「私、目が良いの。見ただけで、その人の怪我はもちろん、体調、気分……それからお肌の調子まで、全部ね」
すごいでしょう?なんてまるで他人事のようにそう話す夕廉さんに、琥珀くんはハッとした顔を浮かべた。
「あ、そういえば、千草さんがそんなこと……」
言ってたな、と零しながら、けれどすぐに首を振って、琥珀くんはでも、と続けた。
「怪我はともかく、内面的なことは、流石に調べないと分からないんじゃ……っ?」
その疑問はもっともだ。いくらなんでも、初めて会った人間の、その気分まで言い当てるなんて。できるわけないって、普通はそう思う。
「大丈夫よ」
夕廉さんの、力強いその言葉に。琥珀くんはびくりと顔を上げた。
「琥珀くん……だったかしら。今、貴方に不調は見えないわ。オーバーヒート直後特有の、能力の乱れもない」
健康そのものよ。……ちょっと不思議なくらいにね。
そう零す夕廉さんに、少し違和感を覚えたけれど。すぐに『それに、』と笑って続けられたから、聞けなかった。
「もし、私の目でも見つけられない何かがあっても。これを飲んでいれば、問題はないしね」
視線を下へと落とす。
揺れる黒い水面。それを見て、琥珀くんが首を傾げる。
「これ、って……普通の珈琲、ですよね?」
「えぇ。美味しかった?」
突然のその問いに、琥珀くんは戸惑ったようにえ、と声を漏らした。
「え、っと、……はい。美味しかった、ですけど……」
「そう! 良かったわ」
ぱっと、夕廉さんの表情が華やいだ。
「これ、私の特製なの。味もだけど、ちょっとした疲れも癒せるよう、こだわっててね」
だから、これを美味しいと思えるなら大丈夫。
そう言われ、ようやく納得したらしい琥珀くんは、へぇ、とカップを見下ろしていた。
「……ふぅん」
その隣で、空が興味がなさそうにそう零していたけれど。今の今まで無言で、しっかりと飲み続けているところを見ると、気に入ったのだろう。
……ほんと、分かりやすい。
納得したところで、琥珀くんもカップを持ち上げ、香りを確かめるように目を細めた。ふわりと広がる香りに、その表情が少し緩む。
その様子を見て、俺もつい口元が緩んだ。
分かる。この珈琲、落ち着くんだよな。
「気に入ってもらえたようで嬉しいわ」
そんな二人を見て、夕廉さんは柔らかく笑っていた。
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