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三章『第六話 素直になれないのは、はたして①』

 幾度も視察で訪れた、見慣れた学舎。  その屋内へと足を踏み入れた瞬間、鼻を掠めた匂いに、思わず口元が緩んだ。  ――――血と硝煙、それから、ほんの少しの紫煙。  平穏であるはずの場所には不釣り合いなそれも、僕とっては嗅ぎ慣れたもの。  だからこそ、かな。  この場に満ちる『非日常』が、妙にしっくりくる。 「んー……やっぱり、こっちに来て正解だったかな」  小さく呟きながら、足は止めない。迷うことなく、真っ直ぐに目的地へ。  やがて視界に入ったのは、教頭室。近づくほどに、匂いは濃くなった。  けれど――――音は、ない。  不自然なほどに、静かだ。  ここまでの道中も、生徒はもちろん、教師にすら一人も出くわさなかった。  ……なるほど、結界か。  彼の十八番。しかも、かなり早い段階で張られてると見た。  顎に手を置きながら、小さく笑う。  ――――優秀なことは、結構なことだけど。 「単独行動は、いただけないなぁ」  普段は口酸っぱく言っている側のくせに――――なんて、そんなことを一瞬思う。  けれど。  すぐに苦笑が漏れた。 「……まぁ、彼だしね」  あの性格を思えば、今更だ。納得してしまうあたり、彼との付き合いも長くなった。  そのまま、躊躇なく扉に手をかける。  開けた先、視界に飛び込んできた光景に、思わず声が漏れた。 「おや、ずいぶんと派手にやったものだねぇ」  床に転がる、人、人、人。  ざっと見ても十人以上はいるだろう屈強な男たちが、声もなく沈んでいる。  ――――その中央で、彼は、何事もなかったかのように、煙草を燻らせていた。  紫煙が、ゆらりと揺れる。 「……一人で十分だと報告した筈ですが?」  振り返った瑠璃くんの顔は、まぁ見事なまでに不機嫌そのものだった。  眉間に刻まれた皺が、それを物語っている。  けれど。そんなもの、今更怖がる理由にもならない。 「そうだね。仕事については心配はしてなかったよ」  肩を竦めながら、ただ、と軽く返す。 「ただほら、後片付けとか大変だろうと思ってさ」  言いながら、倒れている連中を指折り数える。  ひ、ふ、み、と。……うん、多いね。 「というか、ダメだよ瑠璃くん。構内は原則禁煙だからね」  ついでのように注意すれば、案の定、瑠璃くんの表情がさらに曇った。  うーん、本当分かりやすい。  とはいえ、基本仕事人間に彼だから。最初こそ苛立ちを隠そうともしなかった彼も、やがて諦めたように深く息を吐いた。 「……此方に支障は一切ないが、人数の関係上、人手が増えるのは確かに助かる」  どこまでも淡々とした声音。そう言って、瑠璃くんはかちゃり、と眼鏡をかけ直した。 「ので、貴方がそう仰るのなら、遠慮なく使わせてもらいます」  強がりではない。本気で、そう思ってるって分かる。だって、まったく息が上がってないしね。 「うんうん、任せて」  素直に頷けば、瑠璃くんはふぅ、と息を吐いた。  まぁ、この人数だ。流石に面倒だよね。  ……そう思っていたところで。  ふ、と。 「……それより」  不意に掛けられた言葉に、少しだけ目を瞬いた。 「副長と、あの少年たちは……何事もなかったんですか」  ぼそり、と。らしくない問い。  貴方の事だから知っているでしょう、と続けられて、思わずまじまじと彼を見る。  君こそ……。  そこまで出かかった言葉を、すぐに飲み込む。  いや、うん。なるほど。  一瞬、意外だと思ったけれど。すぐに、違うと気付いた。  ――――うん、君はそういう奴だ。  だからこそ、ふ、と笑いが漏れる。 「……何がおかしいんですか」  すぐに飛んできた叱責に、軽く肩を竦めた。 「ああいや、ごめんね」  謝りつつ、口を開く。 「うん、大丈夫だよ」  安心させるように、穏やかに。  不器用でしかないその優しさに、応えるように。 「に任せてきたから。――まったく問題なし」  でしょ、と、そう僕が言ったその瞬間。  分かりやすいほどに、瑠璃くんの顔が固まった。  ん?と思い首を傾げると、苦い顔で彼が口を開く。 「……その呼び名、俺だけの時は良いですが、班長たちがいる場では控えていただきたい」 「えぇ? どうしてだい」  呟かれたその言葉。その意味が本気で分からず、今度は反対側に首を傾ける。  すると、これ見よがしに深いため息が落ちた。 「どうしても何も、単純に対処が面倒くさいんですよ、あの人は」  頭を押さえながら、ぽつり。告げられたその言葉にあー、と納得する。  ……まぁ、うん。それは否定しないけどね。 「……嫌な予感がする」  小さくそう呟くと、瑠璃くんはさっさと後始末に取り掛かり始めた。  ……うん。じゃあ、僕も手伝うとしようか。

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