25 / 39
三章『第六話 素直になれないのは、はたして①』
幾度も視察で訪れた、見慣れた学舎。
その屋内へと足を踏み入れた瞬間、鼻を掠めた匂いに、思わず口元が緩んだ。
――――血と硝煙、それから、ほんの少しの紫煙。
平穏であるはずの場所には不釣り合いなそれも、僕とっては嗅ぎ慣れたもの。
だからこそ、かな。
この場に満ちる『非日常』が、妙にしっくりくる。
「んー……やっぱり、こっちに来て正解だったかな」
小さく呟きながら、足は止めない。迷うことなく、真っ直ぐに目的地へ。
やがて視界に入ったのは、教頭室。近づくほどに、匂いは濃くなった。
けれど――――音は、ない。
不自然なほどに、静かだ。
ここまでの道中も、生徒はもちろん、教師にすら一人も出くわさなかった。
……なるほど、結界か。
彼の十八番。しかも、かなり早い段階で張られてると見た。
顎に手を置きながら、小さく笑う。
――――優秀なことは、結構なことだけど。
「単独行動は、いただけないなぁ」
普段は口酸っぱく言っている側のくせに――――なんて、そんなことを一瞬思う。
けれど。
すぐに苦笑が漏れた。
「……まぁ、彼だしね」
あの性格を思えば、今更だ。納得してしまうあたり、彼との付き合いも長くなった。
そのまま、躊躇なく扉に手をかける。
開けた先、視界に飛び込んできた光景に、思わず声が漏れた。
「おや、ずいぶんと派手にやったものだねぇ」
床に転がる、人、人、人。
ざっと見ても十人以上はいるだろう屈強な男たちが、声もなく沈んでいる。
――――その中央で、彼は、何事もなかったかのように、煙草を燻らせていた。
紫煙が、ゆらりと揺れる。
「……一人で十分だと報告した筈ですが?」
振り返った瑠璃くんの顔は、まぁ見事なまでに不機嫌そのものだった。
眉間に刻まれた皺が、それを物語っている。
けれど。そんなもの、今更怖がる理由にもならない。
「そうだね。仕事については心配はしてなかったよ」
肩を竦めながら、ただ、と軽く返す。
「ただほら、後片付けとか大変だろうと思ってさ」
言いながら、倒れている連中を指折り数える。
ひ、ふ、み、と。……うん、多いね。
「というか、ダメだよ瑠璃くん。構内は原則禁煙だからね」
ついでのように注意すれば、案の定、瑠璃くんの表情がさらに曇った。
うーん、本当分かりやすい。
とはいえ、基本仕事人間に彼だから。最初こそ苛立ちを隠そうともしなかった彼も、やがて諦めたように深く息を吐いた。
「……此方に支障は一切ないが、人数の関係上、人手が増えるのは確かに助かる」
どこまでも淡々とした声音。そう言って、瑠璃くんはかちゃり、と眼鏡をかけ直した。
「ので、貴方がそう仰るのなら、遠慮なく使わせてもらいます」
強がりではない。本気で、そう思ってるって分かる。だって、まったく息が上がってないしね。
「うんうん、任せて」
素直に頷けば、瑠璃くんはふぅ、と息を吐いた。
まぁ、この人数だ。流石に面倒だよね。
……そう思っていたところで。
ふ、と。
「……それより」
不意に掛けられた言葉に、少しだけ目を瞬いた。
「副長と、あの少年たちは……何事もなかったんですか」
ぼそり、と。らしくない問い。
貴方の事だから知っているでしょう、と続けられて、思わずまじまじと彼を見る。
君こそ……。
そこまで出かかった言葉を、すぐに飲み込む。
いや、うん。なるほど。
一瞬、意外だと思ったけれど。すぐに、違うと気付いた。
――――うん、君はそういう奴だ。
だからこそ、ふ、と笑いが漏れる。
「……何がおかしいんですか」
すぐに飛んできた叱責に、軽く肩を竦めた。
「ああいや、ごめんね」
謝りつつ、口を開く。
「うん、大丈夫だよ」
安心させるように、穏やかに。
不器用でしかないその優しさに、応えるように。
「てっちゃんに任せてきたから。――まったく問題なし」
でしょ、と、そう僕が言ったその瞬間。
分かりやすいほどに、瑠璃くんの顔が固まった。
ん?と思い首を傾げると、苦い顔で彼が口を開く。
「……その呼び名、俺だけの時は良いですが、班長たちがいる場では控えていただきたい」
「えぇ? どうしてだい」
呟かれたその言葉。その意味が本気で分からず、今度は反対側に首を傾ける。
すると、これ見よがしに深いため息が落ちた。
「どうしても何も、単純に対処が面倒くさいんですよ、あの人は」
頭を押さえながら、ぽつり。告げられたその言葉にあー、と納得する。
……まぁ、うん。それは否定しないけどね。
「……嫌な予感がする」
小さくそう呟くと、瑠璃くんはさっさと後始末に取り掛かり始めた。
……うん。じゃあ、僕も手伝うとしようか。
ともだちにシェアしよう!

