26 / 39

三章『第七話 素直になれないのは果たして?②』

  「なんだってそんな嘘を……」  思わず頭を押さえながらそう問いかけると、夕廉さんはいつも通りの笑顔のまま、悪びれもなく、ごめんなさいね、と口にした。 「鴇から話を聞いてからというもの、いてもたってもいられなかった、というか……。ほら、若い子の悩みに手を貸してあげるのは大人の役目でしょ?」  その言葉に、いやいやいや、と即座に首を振る。 「若いも何も、夕廉さんだって十分若いでしょう? 知ってますよ、鴇さんと同級生だったって!」 「何言ってるの、三十路を過ぎたらもうおっさんよ? 特に後半を過ぎたらダメダメ」 「十分若いです‼︎」  何言ってんだこの人、と内心で思いながらも、反射的に否定する。  だって、どう見ても若いし。というか普通に格好良いし。尊敬してる人をおっさん扱いなんて、出来るわけがない。  そんなこっちの必死さとは裏腹に、夕廉さんはぶーぶーと唇を尖らせて、不満そうな顔をしている。  いや、なんでだよ。  思わず零れてしまいそうな言葉を飲み込む。納得いかないのはこっちだ。 「――――ま、いいわ。さて、こうして予定通り坊やも来たことだし、そろそろお茶会もお開きかしらね」  いや、結局この人、全然気にしてないな。  ぽん、と手を叩いて、ふわりと笑うその様子に、肩の力が抜ける。 「それじゃあ、この子達はもう少ししたらお迎えが来るだろうから、貴方たちは文月に戻りなさい。安心して、二人は私がきっちりと最後まで面倒見てあげるから」  ……はい?  そうこうしていると。  そんなことを言われ、返事をする暇もなく、気付けば燐と一緒に医務室の外に追い出されていた。  いや、ちょっと待って。 「納得がいかない……っ‼︎」  思わず、声が出る。  こればっかりは、流石に納得できない。でも、立場的に反論もできないし、拒否もできない。  結果、ぶつぶつ文句を言うしかない自分が、余計に腹立たしかった。  いやそもそも、琥珀くんはともかく、空は兄弟なんだから。一緒に連れて帰っても良かっただろ、とか。そんなことを考えながら、ぐるぐる思考が回る。  ――――その時。  隣で、燐が小さく息を吐いた。 「……それよりも」 「ん?」  その声に、反射的に顔を向けた瞬間。 「千草」  名前を呼ばれた。  目の前には、燐の顔。  ――――近い。  いや、近いどころじゃない。鼻に掠りそうな距離だ。 「っ、な⁉ なななななにっ⁉」  慌てて後ろにのけ反るけど。距離が、詰まったまま動かない。 「……」  じっとりとした視線。逃がさない、と、言わんばかりの目。  ――――なんだ、これ……っ?    なんで急に、こんな……っ。  喉が渇く。心臓が、煩い。  何かを探るみたいな目で見られているのが分かって、余計に落ち着かない。  ……その時、ふと思い出した。  そういえば。  さっきは怪我の確認とかで流れたけど。俺、ここしばらく、燐のこと避けてたよな?  瞬間、どっと汗が噴き出る。  ……あ。これ、もしかしなくても。  ――――やばくないか?  頭の中で、警鐘が鳴る。  だって、燐の性格的に、気付いていないはずがない。むしろ、気にしてない方がおかしい。  それで、今。この状況だ。  二人きり。――――逃げ場、なし。  背筋が冷える。だって、絶対詰められる。  理由。……なんで、避けてるのか。  どうする。どうする、俺……っ。 「り、燐……?」  とりあえず、知らないふりだ。  最後の悪足掻きだって分かってるけど、それでも。  だって、まだ俺は……。  すると、燐は。  思ってたのとは少し違う顔で、俺を見ていた。少しだけ、神妙な顔で。 「――――傷、……」 「……へ?」  一瞬、理解が追い付かない。  え、今なんて言った?  構えていた分、余計に。なんというか拍子抜け、というか。空振り、というか。  予想外の言葉に、ぱちくりと目を瞬かせてしまう。 「……だから、傷だ」  改めて、ぶっきら棒にそう言い直されて。ようやく意味を飲み込む。 「……本当に、何ともないのか」  真っ直ぐな視線。逃げ場のないそれに、思わず言葉が詰まる。  ……ああ。そういうことか。 「っ、あ、ああ、傷な! 傷! うん、大丈夫、ちょっと風で切ったり背中をぶつけたりはしたけど、軽傷だったし。それも、夕廉さんが治してくれたから」  慌てて説明して、証明するように腕を回す。ほら、大丈夫だって分かるだろ、って。  ……これで、納得するか?  いやでも、燐だぞ? こんなもんで誤魔化せるか?  内心びくびくしながら、様子を窺う。  この男が、俺の予想通りに動いた例なんて一度もないから。  いつくる。……いつ、くる?  ――――問い詰め。  そう身構えた、その次の瞬間。 「……あんまり、心配かけさせるなよ」 「……え、」  低く、抑えた声。ぐ、と、何かを堪えるみたいな目。  それだけ言って。  くしゃり、と。頭を撫でられた。  ――――は。  思考が止まる。何が起きたのか、分からない。  なんで詰めない。なんで、それで終わりなんだ。  そのまま、燐は背を向けて、歩いていく。  俺を振り返りはしない。  待てよ。……待てって。 「――――なんだよ、それ……」  声が掠れる。その場から、動けない。ただ一人、残された。  廊下には誰もいない。静かで、俺一人だ。  ……でも、それで良かった。  だってこんな顔、誰にも見られたくないから。 「ぐぅぅう……っ」  ぺしゃり、と膝が勝手に折れた。  熱い。顔が、めちゃくちゃ熱い。 「うぅぅ……ずるいぃ……」  手で顔を覆う。手も熱い。全然、熱が収まらない。  なんだよ、それ。  ずるいだろ、あんなの。  ――――あんなの、逃げられるわけない。  ぽつりと漏れた声は、誰にも届かずに消えていった。  それからしばらく。俺はずっと、その場から動けなかった。  頭の中がぐちゃぐちゃで。顔の熱も引かなくて。  ――――でも、その数分後。  銀からの通信で、ようやく我に返った。 「……は? 迷子?」  耳を疑う言葉に、ただでさえまともに働いてない頭が混乱する。  いや、どうやったらものの数分で反対側の棟まで行くんだよ。  というかそもそも、どうやって医務室まで来たんだアイツ。よく迷わずこれたな。  ああもう、意味が分からない。  どうにか顔の熱を誤魔化して、通信機を握りしめる。  とりあえず、考えるのは後だ。  ――――走れ。今は、それだけ。

ともだちにシェアしよう!