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三章『第七話 素直になれないのは果たして?②』
「なんだってそんな嘘を……」
思わず頭を押さえながらそう問いかけると、夕廉さんはいつも通りの笑顔のまま、悪びれもなく、ごめんなさいね、と口にした。
「鴇から話を聞いてからというもの、いてもたってもいられなかった、というか……。ほら、若い子の悩みに手を貸してあげるのは大人の役目でしょ?」
その言葉に、いやいやいや、と即座に首を振る。
「若いも何も、夕廉さんだって十分若いでしょう? 知ってますよ、鴇さんと同級生だったって!」
「何言ってるの、三十路を過ぎたらもうおっさんよ? 特に後半を過ぎたらダメダメ」
「十分若いです‼︎」
何言ってんだこの人、と内心で思いながらも、反射的に否定する。
だって、どう見ても若いし。というか普通に格好良いし。尊敬してる人をおっさん扱いなんて、出来るわけがない。
そんなこっちの必死さとは裏腹に、夕廉さんはぶーぶーと唇を尖らせて、不満そうな顔をしている。
いや、なんでだよ。
思わず零れてしまいそうな言葉を飲み込む。納得いかないのはこっちだ。
「――――ま、いいわ。さて、こうして予定通り坊やも来たことだし、そろそろお茶会もお開きかしらね」
いや、結局この人、全然気にしてないな。
ぽん、と手を叩いて、ふわりと笑うその様子に、肩の力が抜ける。
「それじゃあ、この子達はもう少ししたらお迎えが来るだろうから、貴方たちは文月に戻りなさい。安心して、二人は私がきっちりと最後まで面倒見てあげるから」
……はい?
そうこうしていると。
そんなことを言われ、返事をする暇もなく、気付けば燐と一緒に医務室の外に追い出されていた。
いや、ちょっと待って。
「納得がいかない……っ‼︎」
思わず、声が出る。
こればっかりは、流石に納得できない。でも、立場的に反論もできないし、拒否もできない。
結果、ぶつぶつ文句を言うしかない自分が、余計に腹立たしかった。
いやそもそも、琥珀くんはともかく、空は兄弟なんだから。一緒に連れて帰っても良かっただろ、とか。そんなことを考えながら、ぐるぐる思考が回る。
――――その時。
隣で、燐が小さく息を吐いた。
「……それよりも」
「ん?」
その声に、反射的に顔を向けた瞬間。
「千草」
名前を呼ばれた。
目の前には、燐の顔。
――――近い。
いや、近いどころじゃない。鼻に掠りそうな距離だ。
「っ、な⁉ なななななにっ⁉」
慌てて後ろにのけ反るけど。距離が、詰まったまま動かない。
「……」
じっとりとした視線。逃がさない、と、言わんばかりの目。
――――なんだ、これ……っ?
なんで急に、こんな……っ。
喉が渇く。心臓が、煩い。
何かを探るみたいな目で見られているのが分かって、余計に落ち着かない。
……その時、ふと思い出した。
そういえば。
さっきは怪我の確認とかで流れたけど。俺、ここしばらく、燐のこと避けてたよな?
瞬間、どっと汗が噴き出る。
……あ。これ、もしかしなくても。
――――やばくないか?
頭の中で、警鐘が鳴る。
だって、燐の性格的に、気付いていないはずがない。むしろ、気にしてない方がおかしい。
それで、今。この状況だ。
二人きり。――――逃げ場、なし。
背筋が冷える。だって、絶対詰められる。
理由。……なんで、避けてるのか。
どうする。どうする、俺……っ。
「り、燐……?」
とりあえず、知らないふりだ。
最後の悪足掻きだって分かってるけど、それでも。
だって、まだ俺は……。
すると、燐は。
思ってたのとは少し違う顔で、俺を見ていた。少しだけ、神妙な顔で。
「――――傷、……」
「……へ?」
一瞬、理解が追い付かない。
え、今なんて言った?
構えていた分、余計に。なんというか拍子抜け、というか。空振り、というか。
予想外の言葉に、ぱちくりと目を瞬かせてしまう。
「……だから、傷だ」
改めて、ぶっきら棒にそう言い直されて。ようやく意味を飲み込む。
「……本当に、何ともないのか」
真っ直ぐな視線。逃げ場のないそれに、思わず言葉が詰まる。
……ああ。そういうことか。
「っ、あ、ああ、傷な! 傷! うん、大丈夫、ちょっと風で切ったり背中をぶつけたりはしたけど、軽傷だったし。それも、夕廉さんが治してくれたから」
慌てて説明して、証明するように腕を回す。ほら、大丈夫だって分かるだろ、って。
……これで、納得するか?
いやでも、燐だぞ? こんなもんで誤魔化せるか?
内心びくびくしながら、様子を窺う。
この男が、俺の予想通りに動いた例なんて一度もないから。
いつくる。……いつ、くる?
――――問い詰め。
そう身構えた、その次の瞬間。
「……あんまり、心配かけさせるなよ」
「……え、」
低く、抑えた声。ぐ、と、何かを堪えるみたいな目。
それだけ言って。
くしゃり、と。頭を撫でられた。
――――は。
思考が止まる。何が起きたのか、分からない。
なんで詰めない。なんで、それで終わりなんだ。
そのまま、燐は背を向けて、歩いていく。
俺を振り返りはしない。
待てよ。……待てって。
「――――なんだよ、それ……」
声が掠れる。その場から、動けない。ただ一人、残された。
廊下には誰もいない。静かで、俺一人だ。
……でも、それで良かった。
だってこんな顔、誰にも見られたくないから。
「ぐぅぅう……っ」
ぺしゃり、と膝が勝手に折れた。
熱い。顔が、めちゃくちゃ熱い。
「うぅぅ……ずるいぃ……」
手で顔を覆う。手も熱い。全然、熱が収まらない。
なんだよ、それ。
ずるいだろ、あんなの。
――――あんなの、逃げられるわけない。
ぽつりと漏れた声は、誰にも届かずに消えていった。
それからしばらく。俺はずっと、その場から動けなかった。
頭の中がぐちゃぐちゃで。顔の熱も引かなくて。
――――でも、その数分後。
銀からの通信で、ようやく我に返った。
「……は? 迷子?」
耳を疑う言葉に、ただでさえまともに働いてない頭が混乱する。
いや、どうやったらものの数分で反対側の棟まで行くんだよ。
というかそもそも、どうやって医務室まで来たんだアイツ。よく迷わずこれたな。
ああもう、意味が分からない。
どうにか顔の熱を誤魔化して、通信機を握りしめる。
とりあえず、考えるのは後だ。
――――走れ。今は、それだけ。
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