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三章『第八話 珈琲と相談と①』
しん、と静まり返った室内に、軽いノックが三度響いた。その音を聞いた瞬間、思わず小さくため息が漏れる。
――――まったく。
視線を扉へ向けて、やれやれと肩を竦める。
「入ってらっしゃい。心配しなくても、子供たちはみんな帰ったわ」
わざわざ言うまでもないとは思うけれど、念のため。
そうしたら案の定、向こうでほんの一拍の間が空いた。
……やっぱりね。
それから、ゆっくりと扉が開いて。顔を出したのは――――。
「……いやぁ、やっぱりバレちゃったか」
へらり、と気の抜けた笑顔。
見慣れすぎている顔に、もう一度ため息を吐く。
「まったく、何年来の付き合いだと思ってるのかしら。腐れ縁の気配なんて、壁越しだって分かるわよ」
失礼しちゃうわと、少しだけ頬を膨らませてやるも、当の本人はまったく気にした様子もなく、いつも通りに笑っている。
「腐れ縁って……どうせなら親友って言ってよ、てっちゃん」
――――ああ、ほらきた。
瞬間、すぅ、と目を細める。
「鴇。職場ではあまり本名で呼ぶなって言ってるだろ」
その名に、自然と声が低くなる。
じわりと滲む己の過去に、口調が引きずられる。
けれど、目の前の男はやっぱりどこ吹く風だった。
「えー?」
にこにこと絶えない微笑み。本当に、昔から変わらない。
弥生班班長、夕廉。
――――鉄。
その名前を知る人間は、そう多くない。
その理由も、この男は知っているくせに。いつもこうだ。
……まぁ、この男には今更か。
「だって、てっちゃんはてっちゃんだから」
ほら。懲りない。
本当、呆れるくらいに。
「……はぁ、もういいわ。それで? 何か用かしら」
これ以上言っても無駄だと分かっているから、早々に切り上げる。
すると、鴇はそうそう、とぱんと手を叩いた。
「実は、彼が結構力を使ったようでね。ちょっと相談ついでに、君の珈琲を頂きに来たんだ」
ああ、なるほど。それでわざわざ。
「来たがらなくてさ。連れてくるのにちょっと苦労したよ」
そう言いながら、鴇はくるりと踵を返し、扉の外へと手を伸ばす。
無理やり連れてくるなんて、本当この男は……。なんて、まだ見てもいない人物にちょっと同情しながら、待っていると。
ぐい、と引き込まれた影に、思わず声が弾む。
「あらっ、瑠璃ちゃんじゃない! 久し振りねぇ!」
予想外の来客に、自然と笑みが深まる。
対して、彼はというと。
「ゔっ、……どうも…………」
私を前に、分かりやすく顔を引き攣らせていた。
相変わらず、正直な子だこと。
「ふふっ、瑠璃ちゃんも変わらないわねぇ」
くすりと笑ってから、手招きをする。
「分かったわ、そういうことならいらっしゃい。美味しい珈琲を淹れてあげる」
鴇と、瑠璃ちゃん。古い縁と、扱いやすい後輩。
人数は少しだけ足りないけれど、懐かしさを感じる空気に、自然頬が緩んでしまう。
この組み合わせは、嫌いじゃない。
……まぁ、背後で何かぼそっと言っていた気もするけど、聞かなかったことにしておこう。
白いカップを並べる。挽きたての豆に、ゆっくりと湯を落とす。
瞬間、ふわり、と立ち上る香りに、自然と肩の力が抜けた。
――――うん。やっぱり、この瞬間が一番好き。
静かに、丁寧に。時間をかけて淹れたそれを、二人の目の前に差し出す。
「はい、召し上がれ」
「わーい! ありがとうてっちゃん。僕、君の珈琲大好きなんだよ」
「だから、その名前で呼ばないでって言ってるでしょうが」
もう何度目かもわからないやり取り。
なんというか、もはやこれが恒例みたいになってる気がする。
……けれど、これも嫌いじゃないから。
多分、最終的に許してる自分が悪いのよね。
その隣で、渋々といった顔でカップを取る瑠璃ちゃん。律儀にいただきますを言ってくれるその可愛さに、にこりと笑って頷く。
「はい、どうぞ」
そして、二人が口を付けたのを見計らって。
「――――それで? 相談って何かしら」
頬杖を突きながら、視線を前へと向ける。
だらだらするのは好きじゃない。特に仕事なら、なおさら。
そう単刀直入に私が言えば、鴇は「そうだね」と呟いた。
「それじゃあ、お言葉に甘えようかな」
そこで言葉を切った鴇は、視線を横に流す。
それを受けて、瑠璃ちゃんがカップを置いた。
「……今回の捕縛対象ですが」
静かに始まる報告。瑠璃ちゃんらしい整然としたそれに、口を挟まず耳を傾ける。
「過去に、機関にて討伐対象であった過激派組織が絡んでいるようでした」
その内容に、思わずへぇ、と息を漏らす。
……まぁ、珍しい話じゃない。なんなら、よくある話だ。
「過去の討伐対象、というと?」
まだ、私に話を持ってきた理由にはなり得ない。
そう思い続きを促すと、ほんの一瞬の逡巡が。
「……、……」
けれど、すぐに声が落とされた。
「過激派組織、アザミ……。連中はその組織の心酔者だったようです」
――――その名前に、ぴくり、と指先が止まる。
空気が、止まった。
「……へぇ?」
口から出た声は、我がことながら、やけに軽かった。
「それはまた……随分懐かしい名前が出てきたこと」
懐かしい。ええ、本当に。
ただ、名前を聞くだけで、今もまだ腸が煮えくり返るけれど。
そんな中、鴇は変わらず笑い声を落とす。
「あはは。やっぱり、てっちゃんもそう言うと思った」
その様子に、まぁそうよね、と息を吐く。
だから、私のところに来たんでしょうし。
「私たちが現役だったころに潰した連中じゃない。忘れるわけないでしょ」
「今もまだ現役でしょう」
「言葉のあやよ」
少し気を緩めようと茶化したら、すかさず瑠璃ちゃんから鋭い言葉が飛んできて笑ってしまう。
思い入れがないわけがない。だって、あれは――――。
「――――その心酔者が現れた。それも徒党を組んで、ね」
気持ちを切り替えるよう、瑠璃ちゃんの言葉に静かに頷く。
そこで、ふと。
「なるほど。……それでアイツ、出張ってきたわけ」
思わず漏れた、独り言。
「……アイツ?」
その問い返しに、しまったと口を閉ざす。
「あー、気にしないで。こっちの話。」
すぐに首を振って、話を切る。
深くは触れさせない。触れさせるつもりもない。
それが、アイツとの約束。
瑠璃ちゃんも、それを察してか、素直に話を再開した。
――――いい子ね、本当に。
「今回の連中は、運良く最小限の被害で捕らえられましたが――――、」
続く報告を聞きながら、思考を巡らせる。
残党。炙り出し。……そして。
「……当時、睦月班に所属し、内情を知る貴方の意見を拝聴したい」
真っ直ぐな視線。力強い、逃げない目。
――――だから、余計に困る。
「……ふぅん、そういうこと」
冷たいものが、自然と滲んでしまう。
すぅ、と目を細め、瑠璃ちゃんを見つめる。
理には適っている。効率重視な、彼らしい判断。
……でも。それと、これは別よ。
「……貴方が、あの組織を快く思っていなかったことは承知しています」
ええ、そうね。そうでしょうね。
大人げなく滲み出る感情に、表面だけ笑みを浮かべる。
それでも、瑠璃ちゃんの目は逸らされない。
「それでも、俺は、貴方の意見が聞きたい」
お願いしますと、真っ直ぐな目。
――――ああ本当、そういう所は兄弟よね。
……本人は、気付いてないんでしょうけど。
逃がす気のないその視線に、沈黙する。――――その時。
「――――僕からも頼めるかな、てっちゃん」
ぽん、と背中に触れる手。
気が抜けてしまうくらい、いつもの調子の声。
「あの時、僕はあまり関わってなかったからね。だから、知ってる人が話したほうがいいでしょ?」
軽い口調。でも、逃がさない位置に立っている。
――――本当、性質の悪い男。
「……仕方がないわね」
観念して、息を吐く。
「いいわ、教えてあげる」
どうせ、ここで突っぱねても終わらないもの。伊達に古い付き合いじゃないわ。
それなら。
「瑠璃ちゃんのことだから、ある程度は把握してるでしょ。掻い摘んで話すわよ」
それでいい?と聞けば、返ってきた返事。それに、小さく笑みを浮かべる。
カップを手に取る。
「そうねぇ……」
そう、少し考えてから。
「そもそも、瑠璃ちゃんはどこまでアザミのことを知ってるかしら?」
そう、切り返した。
――――さて。どこから話してあげようかしら。
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