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四章『第一話 それが、欲しい①』
「よ」
朝、機関の玄関口に着いたその時。不意に脇から声が掛かり、振り返った。
青みを含んだ紫の双眸。それに気付き、思わず目を丸くする。
「紫苑(しおん)」
しばらく見かけなかった友人のその姿に、そう彼の名前を口にすれば、紫苑はにかっと人好きのする笑顔を浮かべた。
「戻ってたのか」
「ああ、昨日な。今回の遠征はきつかったわー」
大げさなくらい肩を竦め、疲れたと顔にありありと浮かべる紫苑に、ふ、と笑みを漏らす。
「毎年大変だな、北区は」
そう俺が言えば、紫苑はまぁな、と告げる。
「いつもは適当にくじで決めんのに、今年は俺ご指名だったもんだから。もう面倒くさいのなんのって……」
「くじかよ」
大事な遠征任務じゃないのかと、俺がそう突っ込んでも、紫苑はけろっとした調子で「別に」と続ける。
「うちはみんな優秀だから、誰に任せても無問題」
副長がいなくても支障ないくらいだから。なんて、本当になんてことはない顔で軽やかに言うものだから。こちらも毒気が抜けてしまう。
でたよ、紫苑の班員贔屓。
ここまで自分の班員をべた褒めする班長も、なかなかいない。
ほんと好きな、と零しながら、話が長くなる前に文月へと向かおうとする俺に、紫苑はちょい待てと制してきた。
「そっちは反対だぞ。文月はあっち」
「む」
今行こうとした方向とは逆を指され、ぴたりと足を止める。
そんな俺に、紫苑はふはっ、と笑って相変わらずだなと俺の肩に手を置いた。
「仕方ねぇから、遠回りしてやるよ。ほら行くぞ」
「……助かる」
そう言って、俺を先導するよう前を歩くその背に、素直に礼を告げる。
すると、紫苑は振り返って「同じ班長のよしみだ」と言ってくれた。
「それに、千草くんにはうちのがよく世話になってるしな。そのお返しだ」
俺もお前のお世話してやるよ、と語るその言葉に、ああ、と声が漏れる。
千草の傍によく駆け寄ってくる、あの地方訛りの犬みたいな男。あれは確か、この男の班員だったか。
言われてみれば確かに、よく相談だのなんだのに千草が付き合っているところを見かける気がする。仲が良いようで、非番の日にも二人でよく出かけてるらしいし。……俺は避けられてるのに。
まぁ、それは、今は別にいいけど……。
それよりも今、紫苑が言った言葉に、俺は眉間に皺が寄った。
「お前の世話とか嫌だ、千草がいい……」
「おい」
ハッキリとそう呟けば、紫苑も嫌そうに眉根を寄せ、だったらこのまま置いてくぞと零した。それは流石に嫌だから、冗談だと笑う。
「連れてってくれ。早く千草に会いたい」
「うわぁ……お前、そこは嘘でも、仕事のためにとか言えよ」
仮にも班長だろ、なんて言われたけれど、何か問題でもあるのか?と思い目を瞬かせる。
俺にとって、最重要事項は千草だ。それ以外なんて心底どうでもいいというのに。
そしたら、紫苑は呆れた顔で息を吐いて、まぁ今更か、と呟くから。またしても首を傾げてしまった。
「ほんと、千草くんも大変だよ。お前みたいなやつの相手」
彼には同情する。なんて、紫苑は言う。
その言葉に、ぴたりと足が止まった。
「……? どした、燐?」
いつもなら、俺のことは千草に一任してるんで、と胸を張って言う言葉。
それなのに、今はその言葉が……少しばかり、痛い。
「……やっぱり、俺がこうなせいなのか?」
「は?」
「千草も、なんだかんだ俺の事面倒くさいって思ってるのか……?」
「なになに、何の話だ?」
ちょっと待てと、紫苑が少し焦った様子で目を瞬かせる。
その姿に、俺はぽつりと声を落とす。
「……最近、避けられてる」
簡潔に、ただ現状を零す。すると、紫苑は納得した顔で「あー……」と頷いた。
「そーいうこと。ふぅん、ついに倦怠期か」
聞き捨てならないその言葉に、思わずぎろっと睨む。すると、紫苑は悪い悪いと頭を下げた。
「にしても珍しいじゃん。何、それでお前、悩んでんの」
「……今まで、避けられることはなかったから」
だから、と俺が零せば、紫苑は……何故かひどく興味がなさそうに、ふぅんとまた零した。
その言葉に、しゅんと眉尻が下がる。
「なんだよ、世話してくれるんじゃなかったのかよ」
「いや、嫌だっつったのは誰だよ」
「……この際お前でもいい」
嫌だけど。本当は、千草がいいけれど。
――――千草以外、欲しくないけれど。
そんな俺の心の声に、気付いているのか、いないのか。紫苑は鬱陶しそうに顔を顰め、それから……はぁ、と一つ息を吐いた。
「お前にそんな顔されてもな」
ぽつり、そんなことを零しながら、紫苑はがりがりと頭を掻いた。
「分からねぇな」
次いではっきりと、そう落とされた声が、まっすぐ耳に届く。
顔を上げれば、力強い藤色の瞳とかち合った。
「一応聞くけど、お前、千草くんのこと放すの」
紫苑の言葉に、あ?と間髪入れずに返す。
「放さない」
「んじゃ、答えでてるだろ」
何言ってんだと、そんな目で見られ……それはそうなんだがと口をまごつかせる。
そんな俺に、紫苑はまた深く息を吐いた。
「何迷ってんのか知らねぇけど」
そう言葉を切って、続ける。
「俺なら、待つよ。答えを聞かせてくれるまで。……まぁ、逃げ道は潰すけど」
――――それでそいつが手に入るんなら、安いもんだろ。
なんて、力強い言葉。その余裕のある言葉に、素直にいいなと思った。
俺だって、そうなりたい。余裕をもって、千草の答えが出るまで、待ってやりたい。
それでも。潰しきれない可能性の事を考えたら、不安になるのだ。
――――実際は、逃がす気なんてないのに。
そう俺が愚痴れば、紫苑は小さく笑った。
「……ま、その気持ちは分からなくもないけどな」
「え?」
「こっちの話。……ほら、着いたぞ」
お前のお世話もここまでだ。
その言葉に、前を向く。
目の前には、文月と掲げられた扉。歩きながら、気付けば着いていたようだ。
扉の奥に、気配がする。……誰よりも強く感じる、愛しい気配。遠くにいたって、アイツの気配だけはすぐに分かる。
――――いる。
「まぁがんばれ」
どこまでも軽いその言葉に、けれど、こちらの気持ちもほんの少し軽くしてくれた気がして。
その背に向けてありがとうと言ったら、力なく手を振られた。
扉を開ける。中は、出払っているのか、気配は少なかった。
昨日の報告を聞くまでには、まだ少し余裕がある。だからきっと、瑠璃さんと鴇さんの二人は席を外しているのだろう。双子もいない。
だからというわけでもないが、俺は自然と、アイツの姿を探した。
――――いた。
部屋の奥。窓際に寄って、外を見ている背中。
逃げる気はないらしい。けど、近付かれたくもない。そんな距離の取り方。その背に、ふ、と笑みが漏れた。
分かりやすいやつだ、本当に、お前は。
「――――千草」
俺の気配に気付いてるだろうに、目を合わせないその背に目掛け、声を掛ける。すると、びくり、とその肩が揺れた。
それだけで、確信する。
やっぱり、避けてるんだよな。
「おはよう」
「……おはよう、今日は無事に来れたんだな」
「ああ、紫苑が送ってくれた」
「……そ」
いつも通りの調子で声を掛けながら、距離を詰める。
「じゃあ、紫苑さんに会ったらお礼を言わないとな」
「なんで、別にいいだろ」
「……お前、失礼だからな? それ。一応あの人、年上だぞ?」
分かってるのか、と飛んでくる声に、またなんでと声を落とす。
アイツの方がそれでいいと言ったんだ。それを、今更改めるのも変な話だろ。
そんな俺の考えを読んだのか、千草は最後には、はぁ、と息を吐くだけに留めた。
軽い言葉の応酬。その間、千草は逃げなかった。
けれど、いまだにこっちを見ないその姿に、胸が締め付けられる。
千草の目が見たい。笑顔が見たい。
――――千草が、足りない。
「……お前さ」
隣に立つ。わざと、少しだけ近めに。
肩がまた、びくりと跳ねた。顔は、ずっと前を向いたまま、動かない。
それでも、千草は逃げない。――――いや、逃げられない、のかもしれない。
まぁ、逃がす気もないんだけれど。
「なんで、俺のこと避けてんの?」
ひゅ、と息を吞む音。
その、一瞬。
空気が、固まった。
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