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四章『第二話 それが、欲しい②』

 ――――やっぱり来た。  分かってた。分かってたけど。  実際に言われると、逃げ場がない。  はく、と掠れる声をどうにか奮い立たせ、口を開く。 「……別に、避けてなんか」  とっさに口に出した言葉は、けれど最後まで言い切れなかった。 「嘘つくなよ」  被せるように落ちた声。  低くて、静かで。……もう、逃がす気がないのだと。分かってしまう。 「俺のこと、見てなかっただろ。ここ最近」  ぐ、と言葉が詰まる。  全部、見られてる。  誤魔化せると思ってた自分が、馬鹿みたいだ。 「……忙しかっただけで」  苦し紛れの言い訳だって分かってる。  でも。まだ、まだあの言葉を言えない自分がいるから。  苦しくても、抗ってしまう。 「俺より?」  それなのに。それを、一瞬で潰された。  言葉が出ない。  だって、違うから。本心は、もっと別のところにあるって、気付いてる。 「なぁ、千草」  瞬間、名前を呼ばれる。  昨日みたいに、近い距離に感じる、あの温もり。  逃げないでいられたのは、まだあの目を見ていないから。 「何があった?」  それでも。その真っ直ぐな声に、胸がぎゅうぅ、と締め付けられた。  責めてるわけじゃない。  怒ってるわけでもない。  ただ、逃がさない。  ――――それが、一番きつい。 「……っ」  言えない。言ったら、終わる気がする。  ――――でも。  このままでも、もう無理だ。  多分、この男は、どこまでも追ってくる。 「……お前が、悪い」  ぽつりと落ちた言葉。  自分でも、何言ってるか分からない。  でも、止まらなかった。 「お前が……っ、そういうこと、平気でやるから……!」  心臓がうるさい。  顔が熱い。  視線が上げられない。 「……俺、どうしたらいいか分かんなくなるだろ……」  尻窄みする声。次いで訪れる、沈黙。  ここまで言ってしまったら、流石に言い逃れできなくなる。それが分かってたから、言いたくなかったのに。  次、詰められたら。もう言うしかない現状に、笑うしかない。  ああ。もう、戻れない。  そうして、死刑宣告を待つみたいに、燐の言葉を待った。 「……そっか」  次いで落とされた言葉に――――けれど、俺は目を丸くした。 「じゃあ、いい」 「…………え、?」  ***  ――――お前が、悪い。  ――――どうしたらいいか、分からなくなる。  その言葉に、ほんの一瞬だけ、思考が止まる。  ……そのまま、落ちてくればいい。もっとどろどろに甘やかして、俺以外何も分からなくして。  そこまで考えて――――、ほんのわずかに、息を吐いた。 「……そっか」  目の前の男に悟らせないよう、短く、静かに、息を吐く。  紛れもなく、千草の本心なのだろうその言葉。  けれど、その裏に滲む感情に……千草は、迷ってる。その存在を、確かに感じた。  仄暗く、けれどきっと甘美な感情。  ――――俺が欲してる、その甘さを。 「じゃあ、いい」  だから。俺はあっさりと、そう言った。  瞬間、ぴく、と千草の肩が揺れる。  ようやく合わさった視線。大きく見開かれたその目は、なんでと物語っていた。 「今すぐどうこうしろとは言わない」  そこに、たたみ掛ける。  こいつが逃げる理由も、全部ひっくるめて。  今は、いい。……けれど。 「でも、避けるのはやめろ」 「……っ」  それだけは、譲らない。  そう言えば、その瞳が大きく揺らいだ。  飴玉みたいに甘そうな、淡い翠色。舐めたら、きっと美味いんだろう。  けど、まだ、まだ足りない。  ――――もっと、俺を欲しろ。 「待つから」  言葉にしてやる。それが、コイツには大事だから。  すぐ考えすぎては迷走するこの男には、これくらいが丁度良い。 「その代わり」  逃げ道はやる。――――でも。 「ちゃんと考えろ」  視線を向ける。  揺れる視線を、正面から見据えて。  静かに、言い切る。 「中途半端に逃げんな。……俺は、逃がす気ないから」  言って、ふ、と笑う。優しく見えるように。  でも中身は、全部本気だ。 「そういうことだから。……じゃ、仕事するかぁ」  それだけ言って、俺は先に踵を返した。  これ以上ここにいても、千草は何も言えないだろうし。……俺も、多分余計なことを言いそうだから。  だから、一度切る。  ――――あとは、千草がどうするかだ。  背中越しに、気配を感じる。  追ってくるでもなく、逃げるでもなく。  ただ、その場に立ち尽くしている気配。  ……まぁ、そうなるよな。  小さく息を吐いて、自分の席へと着く。すると、タイミングよく、山吹と銀の二人が帰ってきた。  途端賑やかになる室内にホッとして、報告の時間を待つ。  ――――俺なら、待つよ。答えを聞かせてくれるまで。  思い出す、紫苑の言葉。  確かに、それであれが手に入るのなら……待つ価値はあるよな。 「……やっぱ、俺も紫苑に菓子折りでも持ってくか」  持っていったら、多分嫌そうな顔をしそうだけれど。  想像に易い友人のその顔に、俺はふ、と思わず笑ってしまった。  ***   ……何も言い返せなかった。  言葉は、いくらでもあったはずなのに。  全部、喉の奥で引っかかって出てこない。  ――――じゃあ、いい。  そう言ったくせに。  ――――逃がす気はないから。  そんなことを言うのか、お前は。 「……なんだよ、それ……」  ぽつりと零す。  待つ、なんて言っておいて。答えは、ひとつしか認めないみたいな……そんな目で、俺を見るなんて。  ――――ずるいに決まってる。  ぎゅ、と胸の奥が軋む。あの、俺を射抜くようなまっすぐな目を思い出すだけで……息が、上手く吸えない。  ……足が、動かない。

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