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四章『第七話 裏に潜むのは①』
「山吹っ!」
俺の呼び掛けとほぼ同時に、店内に鈍く重い音が響いた。
続けて、カラカラ、がさり、と何かが崩れる音。ついさっき買ったばかりの薬品瓶や包帯、携帯食料が、紙袋から床にぶちまけられていく。
――――まずい。
そう思った時には、もう遅かった。
「い、っつ……」
蹲る山吹に、すぐさま銀が駆け寄る。
「山吹っ!」
差し出された手を掴みながら、山吹はへらりと笑った。
「大丈夫、かすり傷だって」
その額からは、血が滲んでいる。
……嘘だな。
出血、それも頭ともなると、長く放置するのは危険だ。それが分かっているから、銀の顔も、当然のように険しくなる。
俺はそれを横目で確認しながら、二人を庇うよう、一歩前に出た。
「……こちらは、竜族取締機関所属、文月班副長・千草」
視線を、前に据える。
「貴方は、何者ですか」
毅然とした態度で、そう問いかける。けれど――――。
「は、あはは、は……ぅ……。また、来やがった……取締機関……」
返ってきたのは、会話にならない声だった。
焦点の合わない目。ぶつぶつと繰り返される独り言。手に握られた鉄パイプが、ぎちり、と音を立てる。
その表面には、うっすらと血が付着しているのが見えた。
――――あれか。
山吹を殴ったのは。
そのまま、小さく息を吐いて、腰に手を伸ばす。
触れたのは、ベルトホルダーに仕込んである、水のボトル。大が二本、小が四本。
準備はしてきた。……してきた、けど。
俺は、もともと後衛の人間だ。正直、前衛が欠けたこの状況は、楽じゃない。
――――それでも。
「いいか、二人とも」
背中越しに、声を掛ける。
――――やるしかない。
「お前たちは、店主を連れて、そのまま機関に戻れ」
「えっ⁉」
案の定上がった二人分の声に、俺はこら、と零す。
「声を落とせ」
短く制して、続ける。
「向こうは明らかに正気じゃない。……この荒れ方だ、店主の安否が気になる」
視線だけで、周囲を示す。
床に散乱した品々。壊れた什器。荒らされた痕跡。
それなのに――――肝心の店主、槐さんの姿が、ない。
「怪我してる可能性もある。だったら、すぐ夕廉さんに診てもらった方がいい」
一拍置いて、付け加える。
「山吹もな」
それから、静かに言い切った。
「その間に、俺がこの男を拘束する」
「っ――!」
息を呑む音が聞こえた。
けれど、それは無視して。言葉を区切って、軽く笑う。
「お前たちの方が、足は速いだろ」
「っ――、ですが……!」
そう言えば、銀が食い下がってくるのは分かっていた。
「副長だけに任せるわけには……っ!」
「銀」
名前を呼ぶ。少しだけ、強めに。
「俺たちの最優先事項は?」
それだけ。それだけで、十分だった。
背後で、空気が揺れた気配。
そして、少しの沈黙が落ちる。
「……市民の、安全、です」
絞り出すような声に、笑ってしまう。
それを聞いて、俺は肩越しに振り返る。
「そうだ」
今度は、軽く笑う。銀を、山吹を、安心させるように。
「じゃあ、頼んだ」
自分なら、大丈夫。そう思わせるよう、笑いかける。それでも、銀の顔は晴れなかった。
けど。
「……分かりました」
先に口を開いたのは、山吹だった。
ぐい、と垂れる血を雑に拭って。俺を真っ直ぐに見上げる。
「副長の指示に従います」
その言葉に、銀が目を見開いた。
そのまま、山吹は銀の頭をくしゃりと撫でて。何か言いたげだった銀の口を封じる。
「俺たちは部下だろ。副長が最善だって言うなら、従うべきだ」
だろ、と、静かに、けれど迷いなく告げる。
その言葉に、銀は何も返せなくなる。
銀も、分かってるんだ。頭では。ただ、納得が追い付いていないだけ。
ごめんなと思いながら、返事を待つ。
「――――分かり、ました」
ほんの少しの沈黙の後。銀が、折れた。
ため息を零しながら。でも、と続ける。
「無茶だけは、しないでください」
続く言葉に、思わず苦笑が漏れる。
「善処するよ」
すぐにあなたは無茶するから、なんて。その小言に、小さな瑠璃さんを見ているみたいで、笑ってしまった。
短く言葉を返して、ボトルを一本外す。
「それじゃあ――――始めるぞ」
その合図で、二人が動いた。
一瞬で加速して、店の奥へ。
「なっ……!」
男が反応する。
「何してやがるっ!」
叫ぶ声。だが、遅い。
機関トップクラスの二人の速度には、到底追いつけない。
「待ちやがれっ‼︎」
それでも追おうとする男の前に、一歩踏み出す。
「――――待て」
同じ言葉を、ぶつける。
動揺のせいか、おおげさなくらい身体を揺らす男に。俺は真っ直ぐ、男を見据えた。
「二人を追いかけさせはしない」
握ったボトルを振る。
水が飛び散り、空中で収束する。
これで、術の準備は整った。……あとは。
――――どれだけ、時間を稼げるか。
相手の能力は不明。そもそも、系譜者かどうかすら分からない。
……それでも。ここで引く理由は、ない。
俺は、副長だから。それを、任されているから。泣き言なんて言っていられるわけがない。
――――なにより。アイツの隣に立っているのに、そんなことを言おうものなら……俺が、俺を許せない。
「お前の相手は、俺だ」
一歩、前へと足を踏み出した。
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