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四章『第八話 裏に潜むのは②』
「お前の相手は、俺だ」
そう言い切って、足元に撒いた水へと意識を向ける。散った水が、ひとつ、またひとつと持ち上がり、拳大ほどの塊へと形を変えていく。
右手を肩の高さまで持ち上げると、それに呼応するように、水塊が宙に浮かんだ。
「お前……水龍か……っ!」
男が歯を軋らせる。
その声音に、余裕はない。むしろ、露骨に苛立っている。
――――なるほど。
少なくとも、相性が最悪ってわけじゃないらしい。それだけ分かれば、十分だ。
手のひらを、前に向ける。
「|加重《アッド・ウェイト》」
瞬間、俺の言葉に、宙を漂っていた水塊が一斉に男へと撃ち出された。
「――――っ、くそ!」
男は、咄嗟に物陰へ飛び込む。けれど――全部は、避けきれない。
ほんの一瞬、隠れきれなかった左足首。そこに、水が叩きつけられた。
「――――っ‼︎」
……とはいえ、水だ。直撃しても、決定打にはならない。
結果、男の顔には、一瞬だけ余裕が浮かんだ。
「……、っ⁉」
けど、それもすぐに消えた。
自分の足に起きている“違和感”に気付いたんだろう。
「っ……テメェ、何しやがった‼︎」
物陰から顔だけを覗かせて、こちらを睨みつけてくる。
その視線を正面から受けながら、俺は淡々と口を開いた。
「見ての通り、俺は水龍の系譜者です」
出来るだけ、刺激しないように。
「水は操れても、攻撃力はほとんどない。……なので、拘束に回しました」
ベルトからもう一本、ボトルを外す。
手は少し強張っている。でも、それを悟られるわけにはいかない。
「動きづらいでしょう」
蓋を開けて、水を床へ落とす。
落ちた水は、しばらくその場に留まり――やがてまた、ゆっくりと浮かび上がった。
増えていく水塊。それも、十、二十じゃきかない数。
「一つで、三~五キログラムくらいの負荷は掛けられます」
俺の言葉に、男の表情が、はっきりと変わった。
「下手をすれば、怪我しますよ」
その中心に立ちながら、言い切る。
「だから――――、」
目は、逸らさない。
「抵抗しないでくれると、助かるんですが」
投降を促す。表面上は、あくまでも穏やかに。
でも、内心は正直、全然余裕なんてなかった。
相手の能力は、いまだ不明のまま。形勢は、さっきからあまり変わってはいない。今でこそ優位に立てているけれど……いつ、これが崩れるかなんて分からない。
――――だから、長引かせたくない。
汗がつぅ、と額を流れる。
できるなら、このまま終わらせたい。
そう言って、男の出方をじっと待ったけれど……男は、動かない。ただ、黙ったままだ。
その顔は、影になって見えない。
――――嫌な、沈黙だ。
「……が、……んだよ」
「――――え?」
瞬間。
それは微かな声だった。
聞き取れなくて、一歩、近付いた。
――――その時だった。
「偉そうにしてんじゃねぇ、クソがぁっ!」
「っ、な……っ⁉」
勢い良く立ち上がり、かと思えば飛び出してきた男に、反応が一瞬遅れる。
咄嗟に水塊を飛ばす――が。狙いが、甘い。
当たったのは、ひとつ、ふたつ。他は、壁や棚に弾けた。
「機関の腑抜けが、指図してんじゃねぇっ!」
負荷は、確かにかかっているはずなのに。それでも、男の動きは止まらなかった。
伸びてきた腕に、手を掴まれる。
「っ、離せ……っ!」
――――まずいっ!
懐に、入られた。
俺はあまり、体術は得意じゃない。力も強くない。……こうなると、途端脆くなる。
どうにか捻って、振りほどこうとするけれど。男の方が、力が強い。
きっと死に物狂いなんだろう。びくともしない。
――――くそっ、甘かった!
気を抜いた。これは、一発貰う。
「……っ」
そう思い、衝撃に備え、体を固める。
この程度なら慣れているから。多少の傷、問題ない。
……そう、思ったのに。
「お前たちが……お前たちが悪いんだ……っ」
男の声が、変わる。
ぶつぶつと呟く、要領を得ない言葉。そして――――血走った、焦点の合わない目。
その目を見た瞬間。
ぞくり、とした。
「っ! やめろ……っ!」
咄嗟に振り払う。
今度は、その手が離れた。
――――嫌な予感がする……っ。
咄嗟に、一歩後ろへ。距離を取ろうとして――ぐらり、と視界が揺れた。
「な……に……?」
足に、力が入らない。立っている感覚が、どこかに抜け落ちる。
踏ん張っているのに、崩れそうになる。
「なんだ、これ……」
その時。
「ひっ、ひひひっ」
聞こえてきたのは、笑い声だった。
男の、歪んだ、笑い。
「俺は邪竜でよ……」
さっきまでの微かな声が、嘘のように。男は、声高々に続ける。
その口元は、卑しく歪んでいた。
「まともな力なんて、そもそも使えねぇ。これだけなんだよ。俺には、これしかねぇんだ」
その言葉に、急激に背筋が冷えた。
「お前はもう、俺に呪われてる」
ぞくり、と。身体中を、何かが這い上がる。
――――邪竜。
その一言だけで、理解する。
やばい。
――――気付くのが遅れた。これは、一人で対処する相手じゃないっ。
「――――っ」
足に、力を込める。
立て。しっかり。まだ動ける。
――――動けっ!
……けれど。
「……っ、……」
力が、抜けていく。
意識ははっきりしているのに。足が、手が、思うように動かない。
壁に、背中が当たる。
――――ごめん、燐……。
過るあの赤を思いながら。俺はそのまま、ずるりと崩れ落ちる。
男の卑しい目が、俺をただ見下ろしていた。
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