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五章『第二話 皐月班副長、桔梗という男②』

 すっかり静かになった医務室の中で、俺はしばらく、呆然と扉を見ていた。 「……えぇっと……結局あの人、何しに来たんです?」  思わず零した問いに返してくれたのは、同じように扉を見ながら苦笑していた鴇さんだった。 「あー、あはは……ほんと、嵐のような人だよねぇ、あの人は」   参っちゃうよね、と続ける鴇さんの言葉を聞きながら、俺はさっきのやり取りを思い返した。 *** 「――――ったく、毎度お前は、いつになったらじっとしやがるんだ、あぁ⁉︎」  医務室に入ってくるなり、低く唸る声。  目の前では、藍班長が明らかに苛立った様子で、桔梗副長を睨みつけていた。 「人の事おちょくりやがって……今日という今日は許さねぇぞ……!」 「ああもう、藍君、声量を落とせ」  けれど。当の本人はというと、煩わしそうに耳を塞ぎながら、深く眉を顰めている。 「ここがどこだと思っているんだ、医務室だぞ」  加えて、言うに事欠いて、これだ。  言い終わるのと同時に手を下ろし、桔梗副長はため息交じりにそう続けた。  やれやれと、わざとらしく首を振るその仕草に、藍班長の目付きがさらに鋭くなった。 「って、めぇ……いい加減に――――っ!」  地を這うように低い怒号。それが、彼の口から出てきかけた、その瞬間。言いかけた彼の口に、桔梗副長がすっと指を当てる。 「Shh……。だから、声が大きいよ。……悪かったね、心配掛けて。ちょっと彼らに用があったんだ」  くすり、と含みのある笑い。その妖しい笑みに、藍班長の動きがぴくり、と止まる。 「――――っ」  けれど。それも一瞬で、すぐに藍班長は、そのまま押し返すように眉間の皺を深めた。 「……心配じゃねぇよ! お前がまた何かやらかすのを止める為だ!」  勘違いすんなと、吐き捨てるように投げられた言葉。それに対して、桔梗副長はまた、軽い調子で手を振る。 「はいはい、そういうことにしておくよ」  あまりにも軽いその返事に、ぐわりと藍班長の怒気が一段上がったのが分かった。  ――――……なんだこれ。  そんな二人のやり取りは、妙に完成されていて。口を挟む隙がない。  パッと見喧嘩にしか見えないのに、噛み合っていて。……なんだろう、それだけとは思えない何かがある、というか。うまく言えないけれど、とにかく、付け入る隙がないのだ。  おかげで俺は、気付けばただその場に立ったまま、黙って見ていることしかできなかった。  彼らの後ろでは、鴇さんが慣れた様子で苦笑しているところを見ると……。  ――――なるほど、これがここの通常運転、ってことか。  結果、さっきまでの空気は完全に消えていて。場は、完全に皐月班のペースに呑まれていた。  ちら、と後ろを見遣る。  視線の先には、いまだ閉じられたままの、翠の瞳。それにほっと息が漏れたが、この騒がしさではいつ、その目が開くか分からない。  早く起きてほしいとは思うが、こんなことで起こすわけにはいかない。  そう思い、声を掛けようと前へと視線を戻せば、桔梗副長と目が合った。 「すまないね、燐班長。うちの心配性が迎えに来たから、私はこれで失礼するよ」  騒がしくしてすまないと、俺の視線の意図を読んだのだろう。桔梗副長は眉尻を下げて頭を下げた。 「本当、この子は世話が焼けるよ。私がしっかりしないと」 「そうかよ。その台詞、そっくりそのままお前に返すぜ」  あまりにもあっさりとした口調に、すかさず突っ込む藍班長。けれど、その声の調子は、さっきよりもかなり小さい。  ……もしかして、ちょっとは気にしてんのかな。  そう思っている間に、桔梗副長はくるりと背を向けた。彼の長い髪が、さらりと揺れる。 「それじゃあ、副長君によろしく」 「急に押しかけて悪かったな」  二人は、それだけ残して、そのまま医務室を出ていった。  正しく、嵐みたいに来て、嵐みたいに去っていった。 ***   「俺の中では、騒ぐだけ騒いで帰っていったようにしか思えなかったんですが……。皐月班って、普段からあんな感じなんですか?」  そのまま思ったことを口にすると、鴇さんが乾いた笑いを零した。 「うーん、随分はっきり言うね」 「いや、だって……あんなん見せられたら……」  誰だってそう思うだろう。そう返せば、それもそうだねと、また笑われた。 「確かに、あそこの班は普段からあんな感じだけれど……すごく頼りになる人たちだよ。桔梗さんも、藍くんも」 「はぁ……」  会合の時の印象だけなら、そう思ったかもしれないが……。如何せん、さっきのを見てしまうと……正直、そうは思えない。  そんな、はっきり言って失礼極まりないことを考えていると。俺の思考回路を読んだのか、鴇さんにやんわりと怒られた。 「こら。燐くん、他所様に失礼だよ」 「ん、すんません」  素直に謝れば、鴇さんはもう、と困ったように眉尻を下げた。 「桔梗さんは、僕が知る中で一番の系譜者だよ。本気のあの人を相手にするなら、多分当主様でも手強いと思うくらいには。藍くんは逆に、能力よりも身体能力がずば抜けてるタイプでね。だから、あの二人はすごく嚙み合うんだよ」 「……ふぅん」  思わず声が漏れる。  二人の事が気になるかと言われたら、言うほどなのだが。あのやり取りからは、今の鴇さんの話は正直想像が出来なくて。ちょっとだけ気になった。 「人は見かけに寄らないな……」  まぁ、鴇さんが言うのなら、真実そうなんだろうけど。  そう思いぽつりと零すと、呆れたような声が返ってきた。 「君って子は……あの二人が同班になってから、もう随分経つよ? それまで一切聞かなかったのかい?」 「全然」  興味ないんでと即答すると、また苦笑された。 「本当に、君って子は……」  鴇さんが、何を俺に言いたいのか分からなくて、首を傾げていると。気を取り直したように、鴇さんは話を戻した。 「……で、あの人が何しに来たのか、だったね」  ああ、と頷く。  そうだ、そんな話だった。  脱線していた話を戻しながら、鴇さんは小さく、『そうだねぇ』と呟く。 「多分だけど……桔梗さん、責任を感じてたんじゃないかな」 「責任、ですか?」  予想していなかった答えに、思わず聞き返す。すると、鴇さんは頷き返し、続けた。 「今回の一件、招いてしまったのは自分の落ち度だって……あの人は、そう思ってるはずだよ」  優しい人だから。そう言って、鴇さんは扉の方へと目線を向ける。多分、彼の姿を思い出しているのだろう。  けれど、その言葉に俺は――――。 「……はぁ?」  そう、思わず声が出てしまった。  鴇さんの目が、驚いたように俺を見た。けれど、そんな眼をされたって、どうしようもない。 「落ち度って……俺は、あの人に感謝こそすれ、非難なんて一欠片も思ってないんですけど」  そう、はっきり言い切る。  なんだ、責任って。落ち度って。……それを言うなら、俺こそ。千草を守ると決めた傍から守れず、なんなら自分の手で傷付けた。最低男だろう。 「意味が分かりません」  桔梗副長があの時来てくれたから、今の俺らがある。それなのに……何言ってんだ、あの人。  すると、俺の言葉に鴇さんは一瞬きょとんとして。それから、ふっと笑った。 「うん、そうだね。君の言う通りだ」  そう言いながら、鴇さんはくすくすと笑っていて。その姿にムッとする。  ……なんで笑われるんだ、俺? 「……もしかして、からかってます?」  じっと見ながら、それなら流石にキレますよと言えば、すぐに謝られた。 「あぁ、ごめんごめん」  気を悪くしないで。そう言う鴇さんに、俺は口を尖らせる。 「……でも、そうだな。ねぇ、燐くん」  よかったらさと、ひどく柔らかい声で、鴇さんは続けた。 「多分、桔梗さんはまた、君に声を掛けてくるだろうからさ。その時、今言ったことを、そのまま伝えてあげてくれないかな」 「……はぁ」  正直、その言葉の意味もよく分からないけど。とはいえ、断る理由もないから。 「よく分からないけど、分かりました」 「ふふ、ありがとう」  そう答えたら、何故かお礼まで言われてしまい、益々首を傾げてしまう。  ――――よく分からん。  首を傾げながら、そっと扉の方を見る。 『副長君によろしく』  最後に告げられた、あの言葉。始終胡散臭い男だったけど、千草に向けられた眼差しは、とても優しいものだった。 「……変な奴だったな」  さっきまであんなに騒がしかったのに、今は妙に静かで。その差だけが、やけに印象に残った。

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