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五章『第三話 皐月班副長、桔梗という男③』
カツン、カツンと、ふたつ分の靴音が廊下に響く。
並んで歩く影は、ふたつ。細身の長身と、それより頭一つ分は高い、筋肉質の大男。
見た目だけなら、どう見ても噛み合わない凸凹ぶり。性格もまるで違う。……それなのに、この男との付き合いも、気付けばそれなりの年月が経った。
だからだろうね。この並びも、今ではすっかりいつもの形だ。
彼と私は、皐月班の班長と副長だけど。藍君は律儀に全部反応を返してくれるものだから、つい、余計なことまで口にしてしまう。おかげで、私たちの押し問答はやたらと有名になってしまった。
藍君と私が並んでいると、厄介ごとに巻き込まれる。何故か皆、そう思っているようで、結果こうして廊下を歩いていても、周りは静かなものだ。うん、誰とも目が合わないな。
――――いやはや、困ったものだね。
そんなことを思いながら、けれどそれもまたいつも通りかとすぐに思考を切り替え、私は隣の男に聞こえるよう、わざとらしく大きな息を吐いた。
「はーぁ……まったく、君って奴は本当面倒くさい男だな」
歩みは止めず、言葉の端々に不満を滲ませながら、隣に文句を落とす。すると、すぐに横から小さく舌打ちが返ってきた。
「うるせぇ。それはこっちの台詞だわ」
吐き捨てる声と同時に、鋭い視線が向けられる。
――――うん、変わらず機嫌が悪いな。
普通の人なら、その視線だけで縮み上がってしまうだろう。ま、私には今更だけど。
「……そもそも、文月の連中には、報告の後俺が行くって言っただろうが。勝手に動くんじゃねぇ」
そうしたら、藍君も特に私が堪えてないことに気付いているのか、静かな調子で話を続けてきた。その様子に、ふむ、と顎に手を当てる。
――――なるほど。これはキレている、というより……拗ねてるのか。
ゆるりと顔を上げて、隣を見上げる。
「うん、ごめんごめん」
なんとなく、彼の胸中の予想はできたけれど。それに気付かないふりをして軽く返すと、案の定、彼の眉間の皺が深くなった。
あまりにも分かりやすい反応に、ふ、と笑ってしまう。
傍から見れば、一触即発。そんな顔に見えるんだろうね。――――でも、違う。
そもそもこの男は、こういう時、本気で怒らないのだ。
先刻のように、声を荒げているわけでもないし、纏う空気にも、剣呑さの欠片もない。
だから、こちらが焦る理由もない。
「……」
「……ふ」
それでも、まだ言いたいことがあるらしい。じっ、とこちらを捉えて離さないその視線に、思わず笑みが零れる。
まったく、口よりも断然雄弁だな、君のそれは。
「分かった分かった、降参だ。……悪かったね、心配掛けて」
「ふん、別に心配とかじゃねぇ」
班長として、副長の素行管理は大事だろ。なんて、なんとも可愛くない答えが返ってきたけれど、その表情は穏やかだ。どうやら、機嫌は直ったらしい。
その姿に、ふぅ、と息を吐く。
「まったく……本当、私にここまで横柄な態度を取るのなんて、君くらいだよ。そもそも、心配なんて掛けてもらうほど、私は弱くないというのに」
彼への態度に対し、呆れるようにそう言ったつもりなのに。そんな自分の声がやけに柔らかくて、苦笑してしまう。
――――ああ、こまったなぁ。
聞く人が聞けば、きっと隠しきれていない。……けれど、それには気付かぬふりをして。そっと、隣からの言葉を待つ。
その時。ぽつり、声が落ちる。
「……分かってんだよ、そんくらい」
……だから、余計に――――。
「ん?」
あまりに微かな響き。聞き取れなくて、思わず顔を上げて、隣を見上げる。
「藍君、今なんて言ったんだい?」
咄嗟に聞き返すも、何故か藍君は口を閉ざし、視線を逸らした。
「別に」
吐かれる、ぶっきら棒な言葉。
別に、じゃないだろう。そんな顔をしておいて。
彼の様子に、すぐ再度尋ねようと口を開きかけた時。藍君の視線がこちらへと戻った。
「――――お前が何考えてんのかは知らねぇが」
強く、真っ直ぐな目が、私を貫く。
「今回の件はお前だけの責じゃねぇ。皐月班でのミスだ。……だったら、班長の俺の責任だ」
一拍の間を置いた後、藍君は続けた。
「お前だけが抱え込む必要はねぇ。……そこ、履き違えんなよ」
「……な――――、」
不意に、言葉が出なくなる。
はく、と、声もなく口を動かす。見上げた先、ただ真っ直ぐな藍色の瞳が、私を見下ろしていた。
――――ああ、これだ。……これの方が、私には何倍も――――。
「分かったか」
答えない私に痺れを切らしたのか、重ねて問う藍君に、ぐ、と唇を引き結ぶ。
ひりつく喉。カラカラで、いつもの軽口が出てこない。
――――どこまでも真っ直ぐなその藍色に、長い年月、凪いだ感情が乱される。……これだから、この男は性質が悪い。
数秒、言葉を探して――――。結果、出てきたのは、ほんの小さなぼやきだった。
「……三十年も生きてない若造君のくせに、随分な物言いをする」
「あぁ⁉︎」
瞬間、噛みつくように返ってくる声を、するりと躱す。いつしか止まっていた足を動かし、一人、前に出る。
そして、そのまま振り返らず、歩き出す。
「……本当、君のそういうところはずるいよねぇ」
「は? 何が」
背後から、そんな訝しむ声が聞こえたけれど。それには答えず、軽く肩を竦める。
「それにしても、彼ら大丈夫かね」
掘り返されないよう、即座に話を切り替える。
「アザミに、匿名通信……。なかなか面倒なものに首を突っ込んでそうだ」
気になるよねぇと、そう零せば後ろから「は?」と声が飛んできた。
「アザミ、ってあの? ……なんだそれ、初耳だぞ」
あっけらかんとしたその声に、思わず足を止めてしまう。
「……君ねぇ」
振り返り、彼へと視線を向ける。ぱちくりとした目が、何とも可愛らしい。
――――うん、これは本当に知らなかったね。
そういう所は本当疎いなぁと、そんなことを思いながら続ける。
「いいかい藍君。長たるもの、情報は多いに越したことはないよ。まぁ、この件は知っている人間が少ないのも事実だけれど……それにしたって、ねぇ」
軽くため息を吐きながら、そう苦言を落とすと。藍君は腕を組み、何故か堂々とした態度で言い返してきた。
「そういうのは苦手だし、興味もねぇってテメェも知ってんだろ。そもそも、そんな俺を騙して班長にしやがったのは誰だ?」
事も無げに、藍君はそう吐き捨てた。その言葉に、乾いた笑いが零れる。
「あー、はいはい。そうだね、私だね」
笑いながら、軽く流すようそう返事をする。
視線を前へと戻し、歩みを再開する。
「……まったく。思った通り、似てるよ、君たち」
真っ直ぐで、眩しい太陽のような男。こうと決めたら、どこまでも貫き通す信念。……きっと、彼も苦労しているだろうな。
そんなことを思いながら、そう小さく呟くと。
「あ? 何の話だそれ」
すぐ、食ってかかるよう飛んできた声に、小さく息を吐く。
「こちらの話だ。気にするな」
それだけを返して、歩を進める。
これについて説明してやる道理はない。
「さ、早く皐月班に帰って、仕事の続きをするぞ。誰かさんが脳筋なものだから、事務処理が滞ってるんだ」
「うるせぇ、一言余計なんだよテメェはっ!」
わざと嗾けるようそう言えば、予想通りの怒鳴り声が飛んできて耳を塞ぐ。
よし、これで話は一区切りついたな。
「じゃあ、先に戻ってるよ」
ひらひらと手を振って、歩くペースを速める。そうすれば、後ろからは小さく舌打ちの音がひとつ、落とされた。
「……他の班なんか気に掛けてる余裕ねぇんだよ、こっちは」
ほんの微かな、その呟きを。私が聞くことはなかった。
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