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五章『第七話 お前は分かってない②』

  「……っ、すっ……⁉︎ っ、は、はぁ⁉︎」  自分でも何を言ってるのか分からないような声が、口から飛び出た。  混乱で、上手く頭なんて回らない。  そんな俺を見下ろしながら、燐はどこか満足げに、ふ、と笑った。 「これで、ちゃんと伝わったよな?」 「……っ」  その顔が、あんまりにも嬉しそうで。しかも、変に子供っぽくて。言葉に詰まってしまう。  あどけないのに、どこか悪戯っぽく笑う、悪い顔。長い付き合いの中でも、見たことのない顔。  そんな燐の表情に、胸がきゅうぅ、と切なく鳴る。  ――――なんだよ、その顔。そんな顔、反則過ぎるだろ。  顔が熱い。心臓も、まだずっと煩いままだ。それなのに、燐はそんな俺の反応なんか気にした様子もなく、淡々と続けてくる。 「とまあ、話は逸れたけど。これで分かっただろ、俺が本気だって」 「ぅ、……」  ここまで言われて、まだ惚けられるほど、俺も鈍くはない。……いやまぁ、さっきまで散々勘違いはしてたけど。  でも、今度こそ分かってしまった。 『――――お前が好きだ』  どこまでも真っ直ぐな、低い声に。 『あぁ……可愛いな、千草』  どろりとした、隠しきれていない執着の眼を向けられて。  流石にもう、気付いていないふりなんて、出来るわけない。  ――――なんだよ、その目。……そんな目、知らない。見たことない。  じっ、と俺を捉えて離さない甘ったるい視線に、気恥ずかしくなって。ぎゅっと口を引き結ぶ。すると、そんな俺の様子を見下ろしながら、燐が少しだけ表情を緩めた。 「……良かった」  ぽつりと落ちたその声は、まるで心の底から安心したみたいに、優しくて。それに、胸の奥が、変にくすぐったくなる。  ――――何が、良かった、だよ。こっちは、全然よくない。  心臓は落ち着かないし、頭の中ぐちゃぐちゃだし。さっきからずっと、お前に振り回されっぱなしで。まったく気持ちが休まらない。  ――――それなのに。  そんな、ようやく手に入れたものを、大事に噛み締めているみたいな。そんな顔をされたら……文句なんて、言えるわけないじゃないか。  すり、と頬を撫でる指がひどく甘くて。びくりと体が震える。 「っ」  燐が、どれだけ本気なのか。  どれだけ、自分を想ってくれていたのか。  燐の全てが……俺に、これでもかと知らせてくる。 「……千草」 「――っ」  そう、燐に名前を呼ばれただけで、心臓が跳ねる。  何度も呼ばれた、名前。  同じな筈なのに、違うものに聞こえるのだから……おかしな話だ。  ――――なんだよ、その声。甘すぎる……っ。 「っ、や、めろ……っ、見んな……っ」 「なんで。見たい」 「〜〜〜っ」  隠すな、なんて言葉で命令するくせに。その言葉すら砂糖菓子並みに甘くて、呼吸が止まる。  燐の『好き』が、どこまでも真っ直ぐに降り注いでくるから。胸の奥がじんわりと熱くなって、苦しくて。……嬉しいと同時に――――怖くなる。  脳裏に過る、昔の記憶。温かくて、大切で。ずっと、そこにあると信じて疑わなかったもの。……なのに、それは、あっけないくらい一瞬でなくなってしまった。 『……にいちゃ、おとーさんとおかーさんは?』 『……、……ごめん空。父さんと母さんは、もう……』  幼い空を抱き締めて、二人で泣いたあの日。俺と空を守ろうとしてくれた、あの背中を。忘れたことは一度もない。  絶対なんて、この世にはない。  それを知っているから。だから、もう二度とあんな風に失いたくなくて。  躊躇してしまう。手を、伸ばせない。 「――――千草」 「っ!」  その時。不意に名前を呼ばれて、びくりと肩が跳ねた。  無意識に落ちていた視線を、咄嗟に上げる。――――すると。  真っ直ぐ俺を見る、あの赤い瞳と、目が合った。 「……燐?」  強くて、けど、優しい眼。昔から知ってる、時々向けられていた……あの、温かい眼差し。  燐の纏う、さっきまでとは違う空気に。思わず首を傾げていると、燐は少しだけ、困ったように笑った。 「……ごめんな」 「……え?」  突然の謝罪。それに、ぱちくりと目を瞬かせていると、燐は、困らせるつもりはなかったんだと、ぽつり、呟いた。 「こんなこと言った後でなんだけどさ。……無理に今、返事をしようとはしなくていいから」  そうして告げられた、これまた予想外すぎる言葉に。俺は耳を疑った。  ――――いや……なんで?  あれだけ、真っ直ぐ宣言しておいて。なんで今更、そんなことを言うのか。  訳が分からなくて、何度も瞬きしていると。そんな俺を見て、燐は眉尻を下げ、小さく笑った。 「元々、まだ言うつもりはなかったんだ」  この想いを、と。ぽつりと、声が落ちる。 「ただ……今回のことで、嫌でも考えたからさ」 「か、考え……って?」  俺が問えば、燐は――――少しだけ苦しそうに、表情を歪めた。 「……お前が、血だらけで倒れてる姿がさ。……ずっと、頭から離れないんだ」 「……っ!」  目を細めて言う、その声音が。あんまりにも痛そうで……胸が、ずきりと痛んだ。 「……そ、れは……」  ごめんと、言いかけた言葉は、けれど燐によって遮られる。 「別に、責めてるわけじゃない。俺も同じ状況なら、多分、同じことをしてただろうし」  そう言って、燐はただ、と小さく息を吐く。 「分かったんだよ」  続けて、くしゃりと、眉尻を下げて。力なく、燐は笑った。 「俺、やっぱお前がいない世界じゃ、一秒も生きていけねぇの」 「――――なっ⁉︎」  その言葉に。その顔に。ぶわりと、急速に顔に熱が籠った。耳が、驚くほどに熱い。 「っ、なんだよ、それ……っ!」  声が震える。大げさすぎだって、なんとかそう返しても、燐は冗談めかすこともなく、ただ静かに笑っている。 「嘘じゃねぇよ。……本気で、そう思ってる」 「ぅ、……」  どこまでも、優しい顔。誰よりも大事だと、そう言わんばかりの瞳に、言葉が出ない。  そんな顔して、なんてこと言うんだ、お前は。  向けられる想いの強さが、あまりにも大きすぎて。堪えきれず、心の中で悪態をついてしまう。 「……だから、せめて気持ちだけでも伝えときたかったんだ」  困らせて悪い、なんて。燐はまた笑う。  なんで、お前が謝るんだ。なんでそんな、引くみたいな言い方するんだよ。 「せめて、って……」  そこまで、想ってくれてるくせに、――――なんで。  返事を急かされたら、困るのは自分だっていうのに。どうしても、止められなかった。 「なんで、返事はいらないなんて……」  気付けば、零れ出た言葉。一度出たら、もう、止められない。 「だって燐、俺の気持ち……前から気付いてたんだろ?」 「ん? ああ、そりゃあ……」  途端、燐の目が、柔らかく緩む。 「お前、分かりやすいからなぁ」 「……なんか腹立つな、それ」  くつくつと楽しそうに笑うその姿に、思わずむすっとしてしまうけれど。俺を見つめる目が、ずっと優しいままだったから。怒るに怒れない。 「……気付いた時はさ、本気で嬉しかったんだよ。俺と同じなんだって、浮かれてさ……」  でも、と。そこで、燐は言葉を切った。 「それだけじゃ、駄目だったから」 「は? 駄目、って……」  それ、どういう意味だよ、と。そう聞こうとした、その時だった。 「――――怖いんだろ。失うのが」  断言された、その言葉に。息を呑む。 「――――え」 「……なんつー顔してんだ」  そんな俺を見て、燐は苦く笑った。  呆れるように。けれど、優しく。 「何年一緒にいると思ってんだ。……分かるよ、それくらい」  ずっと、見てきたから。  その言葉に、喉が詰まる。引き攣ったみたいに、上手く声が出ない。 「さっきも言ったろ?」  静かに、燐は続ける。 「お前はさ、昔っから世話焼きで、困ってる奴は放っておけないくせに……自分のことになると、急に一歩引くんだよ。バレてないと思ってたのか?」  誰からも逃げるみたいに。傷付かないよう、線を引く。  そう、燐は静かに語った。 「本当は、人一倍寂しがり屋のくせにさ。肝心なところは、絶対触れさせない。……最初こそ、腹が立ったもんだよ」 「そ、んなこと……」 「ある」  悪足掻きに零した言葉も、すぐに燐に防がれて、ぅぐ、と口を噤む。  そんな俺を見て……燐は、ふ、と目を細めた。 「でも。……そんな千草を、俺は好きになった。……傍にいてやりたいって、思ったんだ」 「……っ」  それは、とびきり甘くて、優しい声だった。優しすぎて、苦しくなるくらいの。  心臓が、どくどくと脈打ってる。きゅうっ、と締め付けられて、胸が苦しい。――――なのに。不思議と、それが嫌じゃない。 「だから、返事はまだ保留でいい」  ひどく優しい顔で、燐はそう呟く。 「無理に、答えを出させたくないから。……ただ、今は俺の気持ちだけ、知っててくれれば。それで十分」 「……燐」  とにかく、お前を困らせたくないんだ。そう言って笑う燐に、切なく胸が軋んだ。    どこまでも俺に甘く、優しいその心根に。なんなんだよこの男はと、口が悪くなる。  ――――ああくそ、……好きだ。  一度認めてしまったら、溢れて止められなくて。燐の一挙一動に、どんどん好きが積み重なっていく。これ以上、振り回さないでほしいと思うのに……それを、嬉しいと思う自分がいることも、気付いてるから。そわそわと落ち着かない。  そんな中。 「ああ、でも」 「へ……?」  その言葉と同時に、燐がぐ、と顔を寄せてきたものだから、びくりと肩が跳ねた。  ――――っ⁉︎ ちっ、近……っ⁉︎  さっきよりも縮まった燐との距離に、反射的に目を閉じる。それでもなお、近付く体温に。ぎゅう、と指先に力が籠る。  ――――ちょっ、ま……っ! まさか、キっキス……っ⁉︎  それは、まだ心の準備が……っ!  そう思った、次の瞬間。  こつん、と。額に、柔らかい熱が、触れた。  ――――…………え? 「……俺は、お前を置いて死なない」  ついで、低い声が、すぐ近くで響く。  「何があっても。絶対に」  約束する、と。そう告げたその声に、俺は息を呑んだ。  優しい、けれど芯の強い、真っ直ぐな声。……俺が、何よりも信頼できる、燐の声。  その声を聞くだけで、胸がぎゅっ、と締め付けられる。 「っ……」  咄嗟に、目を開けて顔を上げたけれど。気付けば燐は、もう離れていて。いつもみたいに、にかっと笑っていた。 「だから、それまでは今まで通り、隣にいさせてくれ」  な、と、燐は真っ直ぐな赤い眼を向ける。 「それで、お前が心の底から安心できた時にさ。返事、聞かせて」 「……、っ……」  そう言って、燐はあー、と息を吐きながら身体を起こした。 「やっと言えた……。これ言うだけで、何年かけてんだよなぁ、俺」  照れくさそうに、頭を掻きながら。それでも、その顔はとても晴れやかなものだった。 「……急に悪かったな」  その様子を見て、気付く。  ああ、本当に燐は、今これ以上を求めるつもりはないんだって。 「っ、――――」  それはただ、俺を困らせないように。ちゃんと、待つ気でいるから。  ……そう、分かってるのに。 「――――っ、ま、待って!」  気付いたら、身体が勝手に動いていた。  離れようとする燐の腕を、咄嗟に掴んでしまう。 「っ……! ……千草?」  本気で驚いたみたいに、丸く見開いた赤い瞳。キョトンとした顔で、俺の名前を呼ぶ。  その目は、俺の意図が分からないといった色をしていた。  ……それもそうだよな。  怖がってるのは、全部俺で。燐は、そんな俺を待つって言ってくれていて。それなのに、それを分かってて、燐を引き止めてる。  本当、なんて勝手なんだろう。  ――――でも。だとしても。 「っ、……燐!」  色んな感情が、胸の中でぐちゃぐちゃになってて。上手く言葉にできなくて、燐の名前だけが口から零れ落ちる。  本当は、言いたいことがいっぱいあった。  ありがとうも。  嬉しいも。  ――――好きも。 「……っ、燐っ」  本当に、いっぱいあるのに。なのに、上手く言葉に出来なくて。結局、名前しか呼べない。  それなのに。 「……ん?」  そんな俺を見て、燐は。ただ優しく、微笑んでくれた。急かすことなく、いつもみたいに、続きを待ってくれる。  その姿に、無性に胸が、切なく締め付けられて……。  ――――燐に、応えたい。  そう、思ったら。気付けば、俺は燐の襟元へと、手を伸ばしていた。

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