46 / 47
五章『第七話 お前は分かってない②』
「……っ、すっ……⁉︎ っ、は、はぁ⁉︎」
自分でも何を言ってるのか分からないような声が、口から飛び出た。
混乱で、上手く頭なんて回らない。
そんな俺を見下ろしながら、燐はどこか満足げに、ふ、と笑った。
「これで、ちゃんと伝わったよな?」
「……っ」
その顔が、あんまりにも嬉しそうで。しかも、変に子供っぽくて。言葉に詰まってしまう。
あどけないのに、どこか悪戯っぽく笑う、悪い顔。長い付き合いの中でも、見たことのない顔。
そんな燐の表情に、胸がきゅうぅ、と切なく鳴る。
――――なんだよ、その顔。そんな顔、反則過ぎるだろ。
顔が熱い。心臓も、まだずっと煩いままだ。それなのに、燐はそんな俺の反応なんか気にした様子もなく、淡々と続けてくる。
「とまあ、話は逸れたけど。これで分かっただろ、俺が本気だって」
「ぅ、……」
ここまで言われて、まだ惚けられるほど、俺も鈍くはない。……いやまぁ、さっきまで散々勘違いはしてたけど。
でも、今度こそ分かってしまった。
『――――お前が好きだ』
どこまでも真っ直ぐな、低い声に。
『あぁ……可愛いな、千草』
どろりとした、隠しきれていない執着の眼を向けられて。
流石にもう、気付いていないふりなんて、出来るわけない。
――――なんだよ、その目。……そんな目、知らない。見たことない。
じっ、と俺を捉えて離さない甘ったるい視線に、気恥ずかしくなって。ぎゅっと口を引き結ぶ。すると、そんな俺の様子を見下ろしながら、燐が少しだけ表情を緩めた。
「……良かった」
ぽつりと落ちたその声は、まるで心の底から安心したみたいに、優しくて。それに、胸の奥が、変にくすぐったくなる。
――――何が、良かった、だよ。こっちは、全然よくない。
心臓は落ち着かないし、頭の中ぐちゃぐちゃだし。さっきからずっと、お前に振り回されっぱなしで。まったく気持ちが休まらない。
――――それなのに。
そんな、ようやく手に入れたものを、大事に噛み締めているみたいな。そんな顔をされたら……文句なんて、言えるわけないじゃないか。
すり、と頬を撫でる指がひどく甘くて。びくりと体が震える。
「っ」
燐が、どれだけ本気なのか。
どれだけ、自分を想ってくれていたのか。
燐の全てが……俺に、これでもかと知らせてくる。
「……千草」
「――っ」
そう、燐に名前を呼ばれただけで、心臓が跳ねる。
何度も呼ばれた、名前。
同じな筈なのに、違うものに聞こえるのだから……おかしな話だ。
――――なんだよ、その声。甘すぎる……っ。
「っ、や、めろ……っ、見んな……っ」
「なんで。見たい」
「〜〜〜っ」
隠すな、なんて言葉で命令するくせに。その言葉すら砂糖菓子並みに甘くて、呼吸が止まる。
燐の『好き』が、どこまでも真っ直ぐに降り注いでくるから。胸の奥がじんわりと熱くなって、苦しくて。……嬉しいと同時に――――怖くなる。
脳裏に過る、昔の記憶。温かくて、大切で。ずっと、そこにあると信じて疑わなかったもの。……なのに、それは、あっけないくらい一瞬でなくなってしまった。
『……にいちゃ、おとーさんとおかーさんは?』
『……、……ごめん空。父さんと母さんは、もう……』
幼い空を抱き締めて、二人で泣いたあの日。俺と空を守ろうとしてくれた、あの背中を。忘れたことは一度もない。
絶対なんて、この世にはない。
それを知っているから。だから、もう二度とあんな風に失いたくなくて。
躊躇してしまう。手を、伸ばせない。
「――――千草」
「っ!」
その時。不意に名前を呼ばれて、びくりと肩が跳ねた。
無意識に落ちていた視線を、咄嗟に上げる。――――すると。
真っ直ぐ俺を見る、あの赤い瞳と、目が合った。
「……燐?」
強くて、けど、優しい眼。昔から知ってる、時々向けられていた……あの、温かい眼差し。
燐の纏う、さっきまでとは違う空気に。思わず首を傾げていると、燐は少しだけ、困ったように笑った。
「……ごめんな」
「……え?」
突然の謝罪。それに、ぱちくりと目を瞬かせていると、燐は、困らせるつもりはなかったんだと、ぽつり、呟いた。
「こんなこと言った後でなんだけどさ。……無理に今、返事をしようとはしなくていいから」
そうして告げられた、これまた予想外すぎる言葉に。俺は耳を疑った。
――――いや……なんで?
あれだけ、真っ直ぐ宣言しておいて。なんで今更、そんなことを言うのか。
訳が分からなくて、何度も瞬きしていると。そんな俺を見て、燐は眉尻を下げ、小さく笑った。
「元々、まだ言うつもりはなかったんだ」
この想いを、と。ぽつりと、声が落ちる。
「ただ……今回のことで、嫌でも考えたからさ」
「か、考え……って?」
俺が問えば、燐は――――少しだけ苦しそうに、表情を歪めた。
「……お前が、血だらけで倒れてる姿がさ。……ずっと、頭から離れないんだ」
「……っ!」
目を細めて言う、その声音が。あんまりにも痛そうで……胸が、ずきりと痛んだ。
「……そ、れは……」
ごめんと、言いかけた言葉は、けれど燐によって遮られる。
「別に、責めてるわけじゃない。俺も同じ状況なら、多分、同じことをしてただろうし」
そう言って、燐はただ、と小さく息を吐く。
「分かったんだよ」
続けて、くしゃりと、眉尻を下げて。力なく、燐は笑った。
「俺、やっぱお前がいない世界じゃ、一秒も生きていけねぇの」
「――――なっ⁉︎」
その言葉に。その顔に。ぶわりと、急速に顔に熱が籠った。耳が、驚くほどに熱い。
「っ、なんだよ、それ……っ!」
声が震える。大げさすぎだって、なんとかそう返しても、燐は冗談めかすこともなく、ただ静かに笑っている。
「嘘じゃねぇよ。……本気で、そう思ってる」
「ぅ、……」
どこまでも、優しい顔。誰よりも大事だと、そう言わんばかりの瞳に、言葉が出ない。
そんな顔して、なんてこと言うんだ、お前は。
向けられる想いの強さが、あまりにも大きすぎて。堪えきれず、心の中で悪態をついてしまう。
「……だから、せめて気持ちだけでも伝えときたかったんだ」
困らせて悪い、なんて。燐はまた笑う。
なんで、お前が謝るんだ。なんでそんな、引くみたいな言い方するんだよ。
「せめて、って……」
そこまで、想ってくれてるくせに、――――なんで。
返事を急かされたら、困るのは自分だっていうのに。どうしても、止められなかった。
「なんで、返事はいらないなんて……」
気付けば、零れ出た言葉。一度出たら、もう、止められない。
「だって燐、俺の気持ち……前から気付いてたんだろ?」
「ん? ああ、そりゃあ……」
途端、燐の目が、柔らかく緩む。
「お前、分かりやすいからなぁ」
「……なんか腹立つな、それ」
くつくつと楽しそうに笑うその姿に、思わずむすっとしてしまうけれど。俺を見つめる目が、ずっと優しいままだったから。怒るに怒れない。
「……気付いた時はさ、本気で嬉しかったんだよ。俺と同じなんだって、浮かれてさ……」
でも、と。そこで、燐は言葉を切った。
「それだけじゃ、駄目だったから」
「は? 駄目、って……」
それ、どういう意味だよ、と。そう聞こうとした、その時だった。
「――――怖いんだろ。失うのが」
断言された、その言葉に。息を呑む。
「――――え」
「……なんつー顔してんだ」
そんな俺を見て、燐は苦く笑った。
呆れるように。けれど、優しく。
「何年一緒にいると思ってんだ。……分かるよ、それくらい」
ずっと、見てきたから。
その言葉に、喉が詰まる。引き攣ったみたいに、上手く声が出ない。
「さっきも言ったろ?」
静かに、燐は続ける。
「お前はさ、昔っから世話焼きで、困ってる奴は放っておけないくせに……自分のことになると、急に一歩引くんだよ。バレてないと思ってたのか?」
誰からも逃げるみたいに。傷付かないよう、線を引く。
そう、燐は静かに語った。
「本当は、人一倍寂しがり屋のくせにさ。肝心なところは、絶対触れさせない。……最初こそ、腹が立ったもんだよ」
「そ、んなこと……」
「ある」
悪足掻きに零した言葉も、すぐに燐に防がれて、ぅぐ、と口を噤む。
そんな俺を見て……燐は、ふ、と目を細めた。
「でも。……そんな千草を、俺は好きになった。……傍にいてやりたいって、思ったんだ」
「……っ」
それは、とびきり甘くて、優しい声だった。優しすぎて、苦しくなるくらいの。
心臓が、どくどくと脈打ってる。きゅうっ、と締め付けられて、胸が苦しい。――――なのに。不思議と、それが嫌じゃない。
「だから、返事はまだ保留でいい」
ひどく優しい顔で、燐はそう呟く。
「無理に、答えを出させたくないから。……ただ、今は俺の気持ちだけ、知っててくれれば。それで十分」
「……燐」
とにかく、お前を困らせたくないんだ。そう言って笑う燐に、切なく胸が軋んだ。
どこまでも俺に甘く、優しいその心根に。なんなんだよこの男はと、口が悪くなる。
――――ああくそ、……好きだ。
一度認めてしまったら、溢れて止められなくて。燐の一挙一動に、どんどん好きが積み重なっていく。これ以上、振り回さないでほしいと思うのに……それを、嬉しいと思う自分がいることも、気付いてるから。そわそわと落ち着かない。
そんな中。
「ああ、でも」
「へ……?」
その言葉と同時に、燐がぐ、と顔を寄せてきたものだから、びくりと肩が跳ねた。
――――っ⁉︎ ちっ、近……っ⁉︎
さっきよりも縮まった燐との距離に、反射的に目を閉じる。それでもなお、近付く体温に。ぎゅう、と指先に力が籠る。
――――ちょっ、ま……っ! まさか、キっキス……っ⁉︎
それは、まだ心の準備が……っ!
そう思った、次の瞬間。
こつん、と。額に、柔らかい熱が、触れた。
――――…………え?
「……俺は、お前を置いて死なない」
ついで、低い声が、すぐ近くで響く。
「何があっても。絶対に」
約束する、と。そう告げたその声に、俺は息を呑んだ。
優しい、けれど芯の強い、真っ直ぐな声。……俺が、何よりも信頼できる、燐の声。
その声を聞くだけで、胸がぎゅっ、と締め付けられる。
「っ……」
咄嗟に、目を開けて顔を上げたけれど。気付けば燐は、もう離れていて。いつもみたいに、にかっと笑っていた。
「だから、それまでは今まで通り、隣にいさせてくれ」
な、と、燐は真っ直ぐな赤い眼を向ける。
「それで、お前が心の底から安心できた時にさ。返事、聞かせて」
「……、っ……」
そう言って、燐はあー、と息を吐きながら身体を起こした。
「やっと言えた……。これ言うだけで、何年かけてんだよなぁ、俺」
照れくさそうに、頭を掻きながら。それでも、その顔はとても晴れやかなものだった。
「……急に悪かったな」
その様子を見て、気付く。
ああ、本当に燐は、今これ以上を求めるつもりはないんだって。
「っ、――――」
それはただ、俺を困らせないように。ちゃんと、待つ気でいるから。
……そう、分かってるのに。
「――――っ、ま、待って!」
気付いたら、身体が勝手に動いていた。
離れようとする燐の腕を、咄嗟に掴んでしまう。
「っ……! ……千草?」
本気で驚いたみたいに、丸く見開いた赤い瞳。キョトンとした顔で、俺の名前を呼ぶ。
その目は、俺の意図が分からないといった色をしていた。
……それもそうだよな。
怖がってるのは、全部俺で。燐は、そんな俺を待つって言ってくれていて。それなのに、それを分かってて、燐を引き止めてる。
本当、なんて勝手なんだろう。
――――でも。だとしても。
「っ、……燐!」
色んな感情が、胸の中でぐちゃぐちゃになってて。上手く言葉にできなくて、燐の名前だけが口から零れ落ちる。
本当は、言いたいことがいっぱいあった。
ありがとうも。
嬉しいも。
――――好きも。
「……っ、燐っ」
本当に、いっぱいあるのに。なのに、上手く言葉に出来なくて。結局、名前しか呼べない。
それなのに。
「……ん?」
そんな俺を見て、燐は。ただ優しく、微笑んでくれた。急かすことなく、いつもみたいに、続きを待ってくれる。
その姿に、無性に胸が、切なく締め付けられて……。
――――燐に、応えたい。
そう、思ったら。気付けば、俺は燐の襟元へと、手を伸ばしていた。
ともだちにシェアしよう!

