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第3話 彼がくれたもの
ヒスイがここに通ってくれるようになり、一週間ほど経過した。
ヒスイが来てくれるのは、いつも太陽が昇る時間だった。日によっては、夜中にもう一度。時間は限られているようで、人の目を避けてなんとかしてくれているのか、ほかに任されている仕事が別にあるのか。なんらかの理由があるようだった。
「アクア、生きている?」
彼の声かけはいつも同じだ。
私はいつも穴の傍で過ごすようになり、いつでも返事ができる。
「ああ、生きてる。ヒスイのおかげで」
「今日はいろいろ持ってこれた」
空洞を持つ茎のなかに水を詰めたものが何本か。小さな布の包みが2つ。そのなかには、乾燥させたフルーツとナッツ、ぶどうパンとバターまで入っていた。さらに、また林檎がひとつ、ふたつと差し入れられる。
「これは……ヒスイのぶんではないのか。いいパンだ」
「週に1度だけもらえる。僕はあまり食べないから、いい」
「しかし」
「りんごがたくさんあるから、だいじょうぶ。アクアも、りんごを食べてね」
それは、最初にくれたのと同じ、林檎。種類は違うようだが、林檎だった。
断る余地はない。私は「ありがとう」とそれを受け取り、齧りついた。
喉が潤う。食欲が沸く。
「おいしい?」
「ああ。とても美味しかった。林檎がたくさんあるのはどうしてだろう?」
「りんごの畑がたくさんある。昼はそこで働いている」
「そうか、ありがとう」
「それに……少しだけ魔力を込めている」
「──え?」
ヒスイは「いままで恥ずかしくて言えなかったけど」と続けた。
「僕の魔力はとても弱い。ほんの少しだけだから、なにもならないかもしれないけど」
……それは、無駄なことだ。ヒスイの魔力が強かろうと、その事実は変わらない。
一度底をついてしまった魔力は、二度と回復しない。どんなに強大な魔力を持つ者であろうと、そのルールは変わらない。命が立ち消えるのとは別の意味の、もう一つの死。
けれど、彼の気持ちはありがたかった。無駄だとも思ってほしくなかった。
「そうか……ありがとう。とても嬉しいよ。でも、普通の林檎で十分なんだ。毒が入っていてもいいくらい」
「毒は入ってないよ」
「……知ってるよ。君からもらえるものならなんでもいいってこと」
「やだよ。死なないで」
「ふふ。死なないよ」
「死なないで。アクアの仲間は、アクアを探してる」
息が詰まる。まさか彼からそのような言葉が出てくると思わなかったからだ。
「…………」
「『おうさま』のことを探してる。必ず、ここに連れてくるから。アクアは待ってて」
涙が流れ出る。
私も、まだ彼らを待っているのだ。まだ生きたいと思っているのだ。
それを、思い知る。
「どうして、そんなことが」
私はヒスイになんの説明もしていない。
それに、敵側にそのような情報があるとしても、ヒスイが知る理由は?
「ご主人のところに来た人が、言ってた」
「ご主人……君が仕えているひとか」
「うん。ご主人はビワイエの言葉を知らないから、わからなかったと思う」
彼らは自分を探してくれている。そして、そばに来ているかもしれない。
希望の光が差し込んむ。
しかし、それと同じくらい強い、影の存在。
ヒスイに危険が及ぶかもしれないことに、身の毛がよだつ。
それに、ご主人。ヒスイの立場を明確に知れないのが腹立たしい。
「……その、ご主人からひどい扱いをうけていないか」
「うん? うん。食べ物をくれる。見張りの人みたいに叩かないよ」
「そうか……教えてくれてありがとう。でも、お願いだ、ヒスイ。危険なことはしないで」
この行為自体が、とても危険なことであることなのだ。
「うん。しない。しないよ」
「約束してくれるか。誰かをここに呼ぼうとしなくていい。あなただけでいい」
「…………わかった。また来るのは、いい?」
「見張りの人は?」
「朝は寝てる。本当は寝たらだめみたいだけど、寝てるよ。ふたりとも」
もう来ないほうがいい。そう言うべきなのだろう。
けれど、耐えがたかった。
「来てくれてもいい。けれど、注意して。本当に怖いことが起きるかもしれない」
「アクアに?」
「ヒスイにだよ。見張りの人がいつも寝ているとは限らない。寝たふりかもしれない」
「うん。気を付ける。ありがとう」
遠くで聞こえていた小鳥の囀りが、大きく聞こえる。完全に太陽が昇ったのだ。
ヒスイが去る時間。
「じゃあね、アクア」
青年が去ろうとしたとき、私は「……すまない、もう一度あなたの手を」と願い出た。
「……でも、もう食べ物はなにもない」
「違う。あなたの手に触れたい」
「僕の手?」
「ああ。食べ物はいっぱいもらった。もうなにもなくていいんだ」
ヒスイはしばらく考えたあと、私の願い通りにまた手を差し込んでくれた。
華奢な指。筋張った腕。とても十分な食事を得られているようには思えないが、傷はない。それだけでもほっとした。
その手を私は両手で包み込み、口付けをした。
それしか感謝の伝えようがない。私はこの男の存在で生かされ、私の心はこの男の存在で生き返ったのだ。
ヒスイは黙っていた。
私が彼の手を離すまで、なにも言わずに待っていてくれた。
壁の向こうは見えないが、その表情は見える気がした。
外からは鶏の鳴き声が聴こえた。
革命が始まったその朝と同じように。
自分の身体に異変を感じたのは、その夜のことだ。
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