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第4話 奇跡の林檎

完全な闇に包まれた夜。月も出ていない。 それでも目は闇に慣れるが、狭い範囲だ。 私はとっておいた林檎をいただくことにした。改めて手に取ってみると、確かに「なにか」を感じることができた。魔力を失った自分にはその感知力さえないはずなのだが、やはり異なる。 そもそも、魔力がある者は奴隷などにはされない。彼はなにか違うルートでいまの主人に仕えることになったのではないだろうか。 じっくり、味わうようにしてひとつ食べた。 指先に、かつて感じていた、そして失ったはずの感覚がじんわりと戻っている。 もちろん完全にではない。だが、自分の指先でつくりあげた小さな空間に、光を灯すことができた。それは小指の先ほどの規模だ。だが、闇が不完全な闇になり、これまで見えていなかった周囲が見える。 「魔力が戻っている……?」 一旦完全に干からびた井戸が、あるいは完全にできあがった砂漠が、元に戻るわけはないのに? だが、確かに魔力がなければできないことができている。 「ヒスイのおかげだ……」 ゼロでなければ。ゼロでさえなければ、1にできる。1にできるのなら、100にできる。 私は念じ始めた。 周囲に零れた、自然のものたちが持つ魔力を少しずつ集める。 私の存在がここにあると、味方に伝わるように集中した。 これは、奇跡の林檎だ。 一睡もしないまま夜を過ごし、朝が来た。 おそらくはいつもならヒスイが来てくれる時刻だが、いつもの「おはよう」がない。 突然、遠方に爆発音。なにかが起きたことは間違いなかった。 私の魔力に応える者がいる。弟かもしれない。私の魔力は間違いなく、どこかには届いている。 私はヒスイの無事を祈りながらも、念じることをやめられなかった。 「兄さま! ここにいらっしゃるか!! 兄上!!」 壁と窓の向こうから、弟クレアの叫ぶ声。 「──いる。いる! クレア、間違いなく私だ。アクアだ」 「……ああ……このような場所に」 「平気だ、助かった」 「いますぐにこの窓を壊します、離れてくださいますよう」 このようにして私は開放された。23日間の拘束の終わり。 私はわかっていなかったが、ここは古塔のかなり高い位置にある部屋とも言えないただ広いだけの空間であり、弟と弟が率いる兵は塔の外をぐるりと取り巻く階段を上がってここに辿りついていた。一般的な建物の8~10階ほどの高さに相当する。 ヒスイは毎日、ここを登って通ってくれたのだ。 周囲は森。ところどころに、この塔のようにレンガでできた古い建物があるようだ。いくつかの建物からは煙が上がっているが、それは攻撃によるものなのか、生活によるものなのか判断できない。地平線も見渡せた。 「塔は結界を張られており、外からは見えないように仕込まれていたようです」 「……では、なぜわかった」 「兄上の魔力と、一部、誰かがその結界に穴をあけていたようです。ですから、それを皮切りに突入し、崩壊させることができた」 塔の根元に降りてから、弟はさまざまなことを説明してくれた。私は瓶に注がれた水を飲みながら説明を聞いていたが、そこで息が止まった。 「そんなことができる者など、聞いたことがない。いるとしてもひどく限られているはずだ」 弟に説明するまでもなかったが、この種の結界を壊すのはとても難しい。結界を張るのに利用される力は魔力よりも「呪い」に近く、術者そのものの命を絶やさなければ解けないものも多いはずだった。そこに「穴」をつくるというのは、あり得ない。業火や激流に穴を開けるようなものだ。 「おっしゃる通りです。ずいぶん変わった魔力でした。どうやら、土や石の力を借りていたようで」 「土や石……」 「かなり珍しい類のものかと。どんなに強い魔力を持つ者でも、それらに通じるかといえばそうではありませんから」 土や石、それからおそらくは木、その実にも効力を持つ魔力。 自然物に力を通じることができる、それがヒスイの魔力の特性なのだろう。 弱く、優しいが、確実に伝わるなにかを持つ。 ──それを、私のために使ってくれた、ヒスイ。 「このあたりにいた青年を知らないか!」 私はあわてて弟や、塔の下にいた兵士たちに尋ねた。 「兄上?」 「漆黒の肌、頬には奴隷の化粧だ!」 「奴隷……」 「ああ。しかし、奴隷の扱いなどしてはいけない。私を救ってくれた者なのだ」 弟の属者が「ひとり、怪しい者を捉えておりますが、なにか」と答えた。 「ひどい扱いをしてはいないだろうな?」 「……はい、抵抗もしませんでしたようで。兵に捉えさせております」 私はその者の案内で、兵が集う開けた場所の隅に向かった。 そこにいたのは、少年のような姿の男性。確かにひどい扱いは受けていないようだが、両手は縄で拘束されている。 それは、私が初めてまともに見るヒスイの姿だった。褐色の肌、軽やかなグレイの髪、10代前半の少年と変わらない背丈。ただの布に近い質素な衣服、靴は履いていない。 だが、やはり彼の顔立ちは私の印象通りの「青年」であり、その表情は奴隷とも、捕らえられた者とも思えないほど落ち着いていた。 だから少なくとも私には、ただの美しい青年にしか見えなかった。 「……クレア、ナイフを貸してくれ」 「はい……これを。……兄上?」 「──ヒスイ」 そう呼びかけると、彼は私に気付き、目を細めた。 兵たちが驚きの声を上げるなか、私は彼の縄を切り、手首を解放した。手首には縄の痕が赤くついている。見慣れた掠り傷も。 「おうさま、よかった」 よく知る、彼の声。私は彼の目の前に跪いた。 「あなたの前で、私は王などではない。どうか、私の名を呼んでほしい」 「……でも」 「周りの者は気にしなくてもいい。私だけに話してくれればいいのだ」 彼はさまざまな視線が自分に注がれているのを気にしていたが、やがて。 「──アクア……会いたかった」 その声に、親しみに、私は幾度も幾度も慰められたのだ。 「ああ、ヒスイ。私もだ……ありがとう、私をあの闇から救い出してくれて」 私はあのときと同じように、その手を両手で包み込んで口付けをした。 私を救ったその手に、何度も、繰り返し。 END. 後日談に続く

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