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No.4:オサム「腸が煮えくり返る」

【6月11日 17:00・赤いスポーツカーの車内】 「クソッ」 目の前で信号が赤に変わっただけで、腹が立ってムカムカし、ハンドルを叩く。 この怒りの原因は、明白だ。 俺が見つけた貴重なオメガが、財閥の御曹司かなんだか知らないが、経済界でもデカい顔をしている城井カイリの船に乗り、目の前で出航していったのだから。 トモイの勤め先の工場にスパイとして送り込んでいた男から、今日の昼になって「豪華客船に乗るようです」と連絡が来た。 詳細を聞けば、城井カイリが主催する「異業種交流セミナークルーズ」という胡散臭い船らしい。 ジムでのトレーニングを中断し、慌てて横浜まで車を走らせてきたのに、結局、乗船を止めることはできず、腸が煮えくり返っている。 — その昔、世界の水道水にオメガ抑制剤が混入されるようになる前。 アルファは、オメガから一人を選び「運命の番」として寵愛していたらしい。 古い資料によれば、それは大層甘美な行為だったという。 しかし現代では、オメガという第二の性は表に出てこない、タブーだ。 トモイだって、自分がオメガだということに、未だ気が付いていないだろう。 俺がオメガであるトモイを知ったのだって、本当に偶然だった……。 あれは、3カ月前のこと。 秘書が打ち合わせに遅れてきた。 交通事故に遭遇し、足から血を流した被害者男性を救護し、救急車が到着するまで付き添ったのだと、言い訳を並べる。 「それがどうした」と怒鳴りつけようとしたが、秘書からは嗅いだこともないような匂いが微かに漂っていた。 「オマエ、おかしな匂いがするな」 「匂いですか?いいえ、全く心当たりはございません」 そう言って、冷や汗を拭こうと彼が取り出したハンカチには、救護のときにつけたのか、少量の血液が滲んでいた。 「それを貸せ」 「え?」 ハンカチを鼻に近づけると、血の匂いに混じってジャスミンの花のような香りが僅かにする。 その匂いは、なぜか俺の身体を熱くさせた。 (この滾るような気持ちはなんだ?) もしかするとこれが、オメガの匂い……。 今まで一度も嗅いだことがなくても、直感がそう告げていた。 抑制剤を摂取していても、血液からはオメガの匂いを消すことができない、と聞いたことがある。 しかし、その匂いを嗅ぎ取れるのはアルファだけ。 もし医者や救急隊員、警察がアルファで、それを嗅ぎ取ったとしても守秘義務があるため、記録は残されない。 オメガであるということは、それだけセンシティブなことだから。 「搬送先は分かるか?怪我人の見舞に行こう」 そう言って立ち上がった俺を、秘書は大層驚いた顔で見つめた。 恩人を装い訪れた病院では、俺の知名度が役に立ち、すぐに面会できた。 なんでも、道路に飛び出し轢かれる寸前だった猫を助け、車と接触したのだという。 トモイの怪我は、足を数針縫うだけで済んだらしい。 しかし、過去に大きな事故に遭った経験があるらしく、その傷との兼ね合いで1日だけ入院することになったのだと説明された。 俺が驚いたのは、そんなことより、彼の美しさだ。 少し儚げで、美貌という言葉がぴったりの男だった。 既に出血の止まっている彼からは、あのジャスミンのような匂いは全くしていない。 それでも「この男が欲しい」と本能が言っていた。 (なんとかして、俺のものにしてしまいたい) 「これも何かの縁です。私で力になれることがあれば、おっしゃってください」 病室には、彼の親代わりだという勤め先の橋爪社長夫妻が付き添っていた。 社長のほうは、俺が誰なのか顔を見ただけで分かったようだ。 名刺交換をしただけで「お目に掛かれて光栄です」と、感激していた。 — そこからの俺は強引だった。 彼らが営むソーセージ工場と取引している各社に手を回し、圧力をかけた。 それにより数社が契約を解除することとなり、工場の資金繰りはあっという間に厳しくなる。 そして、困り果てた彼らに、「力になりましょう」と手を差し伸べたのだ。 もちろん無償で。 そして喜ぶ彼らを尻目に、次の困難「外資からの買収話」、つまり乗っ取りを仕立て上げた。 更なる窮地の工場に、俺はもう一度、救いの手を差し伸べる。 今度は、条件付きで……。 その条件こそが「青山トモイ」だった。 「ソーセージ工場を買収させないよう一役買いましょう。その代わり、君を私直属の役職につけ、我がグループに迎え入れたい」 「そんな、滅相もない。ぼ、僕はそのような知識も能力もない人間です」 そう、へりくだったトモイに俺は言う。 「だったら君を我がグループの広告塔として、CMやポスターに起用するのはどうだろう!」 彼はもっと有り得ないという困り顔で拒んだが、俺は素晴らしいアイデアだと心が躍った。 (世の中に見せびらかしてやるのだ。これが俺の可愛がっている男だと。いずれタイミングを見てオメガだと公表するのも一興だ。より注目を集めるだろう) 確かに俺には、綺麗な男を囲いたがる性癖がある。 そのことが世間で悪い噂になりつつあることも、承知している。 しかし、あの夫妻は過剰にそれを拒絶した。 おそらく、夫妻が恐れていることは、俺に囲われることよりも、CMやポスターにトモイが起用され、彼が世間の目にさらされることだ。 つまり、あの夫妻は知っているのではないか。 トモイが稀少なオメガであると。 翌日、トモイはソーセージ工場のため、夫妻のため、健気にもその身を俺に捧げることを選んだ。 「僕にできることをします。だから工場を助けてください」 彼の泣きはらした目が、美しさを助長していた。 船が横浜の港に戻ってくるだろう日の翌日6月18日は、彼の初仕事、ポスター撮影日なのだ。 (こんなタイミングで、俺と同じアルファである城井カイリの船に乗るなど、言語道断だ!) 同じ船に乗ったくらいで、カイリが「トモイはオメガだ」と気が付く可能性は低い。 しかし、嫌な予感がする。 油断はできない。 だから俺は、秘書に命令を下した。 「あの船サンデリアナ号のクルーズに、怪しいところがないか調べつくせ」

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