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No.5:トモイ「今は平穏な船内」

【6月12日 08:00・サンデリアナ号船内】 12歳の頃の夢を見ていた。 『大丈夫、大丈夫だよ。俺が一緒にいるから。こうしてずっと手を繋いでいてあげるから』 夢の中の僕は、寒さに震えながらコクリと頷く。 血に汚れた暖かい手が、僕の右手をしっかりと掴んでくれる。 その人の体温を頼りに、真っ白な雪と、真っ赤な血で彩られた悲惨な現場を見なくて済むよう、きつく目を閉じた。 繋いでいる手とは反対の手で、その人は僕の背中を撫で続けてくれる。 雪の中に放り出され寒いはずの身体が、少しずつ温まっていく。 こんな酷い状況の中で、どうしてか僕はその温もりに安堵し、体重を預けた。 — 目が覚めると、見慣れない大きな窓が見えた。 さらに窓の向こうには、一面の海が広がっている。 (そうか、ここは海の上……) 大きく伸びをし、久しぶりによく眠れたと、気持ちのいい目覚めを実感する。 この三カ月間、勤め先のソーセージ工場には、様々な困難が襲い掛かった。 途中でオサムに嵌められたのだと判明したが、すでに術中にハマっていて、どうにもならなかった。 現在、全ての憂いが去ったわけではないが、あとは自分が背負い込めば解決するだろう。 僕が日本一だと思っているソーセージの味を、守ることもできる。 そんな心配の種と物理的に距離を置いたことで、昨晩は安眠できたのかもしれない。 「おはよう、トモイ」 「あぁ、おはよう、アラタ」 彼は僕より早くに起きていたようで、すでにチノパンとポロシャツに着替え、バルコニーで写真を撮っていた。 「よく眠れた?外は雨だけど、俺は揺れも雨音も気にならなかったな」 「うん。僕も。すごくよく寝た」 「体調はどう?辛いところや、痛いところはない?いつもと違う違和感とかない?」 僕は思わず笑ってしまう。 「なんだよー」 「だって、アラタ、修学旅行に同伴してる保険医の先生みたい」 彼自身も変な質問をしたと気が付いたのか、「確かに」と笑う。 「でも、少しでも何か気になることがあったら隠さずに言えよ」 もしかしたら、アラタには小さな兄弟でもいるのかもしれない。 この旅が続けば、彼のそんなプライベートな部分も話題に上るくらい仲良くなれるだろう。 — 参加するセミナーや講習会は、アラタが選んで、アラタが予約してくれた。 「希望があったら言えよ」 そう言ってくれたけれど、ソーセージ工場の営業に戻れそうもない今の僕は、何かを学ぶという意欲が乏しくなっている。 最初に受けたセミナーは、ライターだというアラタの得意ジャンル、車業界の先行きに関するものだった。 少しも知らない業界の話だからこそ、分からないなりに面白く感じる。 アラタにとっては、興味深い話だったようで、手を挙げて質問までしていた。 次は「仕事とAI」という誰もが直面しているような話題のトークショーに参加する。 こちらは参加人数が多く、会場となったシアターは満席だった。 そのあとは、イタリアンレストランでビュッフェ形式のランチ。 焼きたてのピザが美味しかった。 朝食だってお腹いっぱい食べたのに、この船を降りる頃には、体重が増加していそうだ。 次の講座まで時間があったから、海の見えるカフェで、ジェラートアイスを頬張ったりもした。 「あのさ、アラタ。このマンゴーのジェラート、一口食べてみて」 「え?くれるの?サンキュ!」 「どう?」 「どうって美味いよ。俺の抹茶ミルクも食べてみろよ、こっちも美味いから」 「うん。美味しい。でもさ、なんていうのかな、舌に変な甘さが残らない?朝食のときも、昼食のときも感じたんだよね」 「そうか?俺は全然。トモイは、さすが食品関係の仕事してるだけあるな」 アラタは全く気にならないみたいで「もう一口ちょうだい」と、プラスチックのスプーンをマンゴージェラートに突っ込んでくる。 「気になることがあったら言えよ」、そう言われたから伝えたけれど、こういうことではなかったみたいだ。 僕はもともと舌が敏感な方だ。 亡くなった母が「お父さんと違って、トモちゃんはお醤油のメーカーを変えただけで気がついてくれる」などと、よく言っていた。 豪華客船で提供される食事には、僕にとって食べ慣れない調味料が使われている、ということなのだろう。 (それにしても、母親の言葉を思い出すなんて、今朝見た夢のせいだろうか) 「おい、トモイ。後ろ、見てみろよ」 「え?」 声を潜めたアラタに促され背後を振り返ると、姿勢のいい背の高い男が、何人ものお伴を連れ歩いていた。 「うわぁ、城井カイリだ!」 本物を見れたという喜びで、心臓がバクバクと跳ねる。 「本当にこの船に乗ってるんだねー」 「そりゃ、乗ってるだろ。主催者なんだし」 でも、昨晩のウェルカムパーティでの挨拶も乾杯も、モニター越しだった。 「格好いいなぁ。背が高いからスーツも似合ってるし、賢そうだし、憧れちゃうよね」 「憧れちゃうって、そりゃ雲の上に住んでるみたいな人だからな。あれこそアルファって感じだよ」 (15年前の事故現場で僕に寄り添ってくれた人は、おそらく城井カイリだ。でも、誰かに直接聞いたわけじゃない。後になって過去の新聞記事を読み、あの人がカイリだったのだと判明した。それからは、カイリがテレビや雑誌に出ていると、ついつい見てしまう。橋爪社長夫妻はそんな僕の行動を知っていて、この船に乗せてくれたのだろう。オサムのところへ行かせるお詫びとして……) アラタはカイリにあまり興味がないのか、ジェラートに興味を戻してしまったけれど、僕はその姿が見えなくなるまで、眺め続けた。

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