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No.10:アラタ「トモイが語る事情」
【6月13日 16:00・カフェバー】
「暇だなぁ」
午後になって合流した俺とトモイは、カフェのソファに向き合って座り、美味いコーヒーゼリーを食べている。
「うん。でも、こういうまったりした時間もありがたいよ。豪華客船に乗ってるんだって実感できる」
「確かに」
海上は小雨が降っていて、デッキには出られない。
航行中、一度くらいは海に夕陽が沈むところを眺めてみたいものだが、望みは薄いだろう。
乗船して三日目の今日は、丸一日かけて、城井カイリとの名刺交換会が行われている。
それ以外にも終日、全セミナー講師との出入り自由な親睦会が開催されているが、トモイはそちらには興味がないらしい。
でも、名刺交換会のことは楽しみなようで「あー、緊張する」と、朝から何度か口にしていた。
(いくら雲の上の人とはいえ、名刺交換するくらいで俺は緊張しないけどな)
俺たちの整理番号は900番台後半で、順番が回ってくるのはおそらくは21時過ぎだろう。
だから、俺はトモイを連れまわし、船内探検中だ。
昨晩は、おかしな男に水をかけられ少し風邪っぽかった俺も、一晩寝たらだいぶよくなった……気がする。
身体は通常より少し熱を帯びている気がするのだが、不調という感じではない。
やはり、ずっと船に乗っているというのは、船酔いとまではいかなくても、体調に変化が起きるものなのかもしれない。
トモイにも、体調を尋ねたけれど、ニコニコとしながら「大丈夫だよ」と言うばかり。
まぁ、俺と同程度の「異変」であれば、報告するほどではないだろう。
—
日本食レストランで軽く夕食を食べたあとは、船内のジムへ移動し、ランニングマシンを使ってウォーキングすることにした。
ジムは空いていて、二人並んでマシンを使い、ガラスの向こうの暗くなった海を見ながら歩く。
周りに人もいなかったから、俺はトモイに聞きたかったことを尋ねた。
「なぁ、岩戸オサムと知り合いなの?」
「え?」
「昨晩、水をかけてきた奴、水原レイヤだっけ?あの男が言ってただろ「オサム様を返せ」って」
「あぁ、うん」
「ごめん、いいんだ。言いたくなかったら言わなくても」
「いや、うーん。聞いてくれる?」
トモイは自分の気持ちを整理するかのように、暗い海に目を向けたまま淡々と喋りだした。
車に轢かれそうな猫を助けたら、岩戸オサムと縁が出来てしまったこと。
そんなタイミングで、急にソーセージ工場の経営が傾いたこと。
オサムが親切に手を差し伸べてくれたこと。
しかしどうやらそれは罠で、工場はさらなる窮地に陥ったこと。
トモイがオサムの会社に移籍し、CMやポスターへ顔を出すことを条件に、工場は救われることになった、と。
しかもそれは、この船を降りた翌日からの話らしい。
「どうして僕なんかを……って不思議だよね。結局さ、金持ちの道楽なのかなって思ってるんだ。昨日水をかけてきたレイヤを捨てて、僕をしばらくの間そばに置いてさ、飽きたらまた捨てるつもりなんだ」
「なんだよそれ」
(不憫なトモイ……。しかし、どうしてそんな彼が、ユウシの監視対象なのだろう?)
「でも、捨てられるっていうのは救いだよね。きっと僕のことなんてすぐに飽きるだろうから。そしたら工場のソーセージを使ったホットドッグのキッチンカーとか、やりたいな」
トモイは五日後のことは考えたくないのだろう。
随分と先を想像し、夢を語る。
「そんなの受け入れるべきじゃないぞ」
「うん……。だけど僕、両親を15年前に事故で亡くしてて、ソーセージ工場の橋爪社長に面倒見てもらったんだ。だからさ、せめてもの恩返しをしたいんだよね」
(噂には聞いたことがあったが、岩戸オサムはやっぱりどうしようもない男だったようだ。そんな男の毒牙にトモイがかかるなんて。……許せない)
自分の中のジャーナリズムや正義感みたいなものが、ムクムクと沸き上がったけれど、今このどこにも寄港しない船の中で、俺にしてやれることは残念ながら、ない。
ランニングマシンを終え、今度はトモイの希望で、ジャグジーに入った。
「それにしても名刺交換会、緊張するなー」
またもやそう呟くトモイに、俺は自分のことを話し始める。
話したくなかっただろうことを打ち明けてもらった、対価のような気持ちで。
「俺はさ、両親とも健在で地元でピンピンしている」
「それはなによりだよ」
「うん。でも、大学生のときにゲイだってカミングアウトしたら勘当されちゃって、それっきり会ってない。まぁ、年の離れた弟と妹がいて、そいつらを通して互いの近況は把握してるんだけどさ」
「ゲイって……男の人が好きってこと?」
「そう。トモイはそういうの抵抗ある人?」
抵抗もなにも、オサムのところへ行くということは、そういう関係も迫られると承知しているのだろうが。
「いや、別に嫌悪感はないよ。でも、友達にゲイだって言われたの初めてで、ちょっとびっくりはしてる」
「まぁ、そうだよな。トモイは、彼女とかいないのか?」
「うーん。僕はそういうのは全然……。あのさ、僕、初恋の人がいて、その人のことがずっと忘れられないんだ」
「へー、一途なんだな」
俺たちはジャグジーを出て、シャワーを浴び、着替えをする。
トモイは、名刺交換会のためなのか、念入りに髪型を整えていた。
そんな細かいところを気にしなくても、乗客の中でトップ10には入る美貌なのに。
ドライヤーのスイッチを切ったトモイが俺に問う。
「その初恋の人って、男の人なんだ。15年前、両親を亡くした事故の現場で僕を助けてくれた人。その人の存在がずっと生きる支えになっている」
「そっか。事故のあとも、会ったりしてるのか?」
「ううん。全く会ってない。でも、もうすぐ会える」
「オサムのところで?」
トモイは「違う」と首を振る。
そのとき、脱衣所のモニターから、整理番号900番台の人を船内図書館へ呼び出す案内が流れた。
トモイはもう一度ドライヤーのスイッチを入れ、前髪を整え始めた。
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