26 / 27

最終話:トモイ「オメガじゃない僕を」

【6月17日 13:00・港】 サンデリアナ号からの下船は上の階から順に行われ、僕らは最後の方だった。 揺れない船とはいえ一週間も乗っていると、地面に降りたとき、足元がふわふわする。 いわゆるこれが「陸酔い」という現象なのだろう。 降りた巨大な船を振り返り、僕の胸はいっぱいになる。 船の中でカイリと15年ぶりに再会し、肌を合わせることができた。 もう二度と会えないかもしれないけれど、僕はきっと一生あの人のことを好きでいると思う。 (ありがとう、サンデリアナ号) 港には大型バスが何台も到着しており、新横浜駅行きや、東京駅行き、羽田空港行きと、多数の行先を選択することができた。 僕もアラタも東京駅行きバスに乗る予定だったが、彼は「ちょっと付き合ってくれる?」と、バス乗り場とは違う方向へ歩いて行く。 「ねぇ、どこ行くの?アラタ」 僕らはスーツケースを転がし、一般車の駐車場へと辿り着く。 「俺、ユウシさんに雇われてたって言っただろ?依頼された仕事内容は、トモイを見守ることだけだったはずなのに、随分と思いもよらない業務が生じたから、文句の一つも言ってやろうと思ってさ」 「え?文句って……」 駐車場には、黒塗りのハイヤーが一台停まっていた。 そしてそこには、スーツが良く似合う二人の男が立っている。 思わず足を止めてしまった僕の耳元で、アラタが囁いた。 「トモイ、カイリさんに自分の気持ちを伝えたほうがいい。彼のものになりたくなくても、カイリさんの傍には居たいんだろ?」 「アラタ……」 ユウシも、カイリに声を掛ける。 「カイリ様、私、アラタと話をつけてきますので、少々お待ちいただけますか?」 ちょっと白々しかった。 僕もカイリも、これがユウシとアラタの親切なのだろうと気がつく程に。 — 「少し歩こう」 カイリは、僕を誘い、停泊するサンデリアナ号へと近づいていく。 僕はスーツケースをハイヤーの傍に置いたまま、彼を追った。 「トモイ、身体の具合はどうですか?」 「ご心配ありがとうございます。とても元気です」 「そうか、よかった。安心した」 会話は長くは続かない。 僕が「運命の番」の話を断ったのだから、当たり前だ。 「……僕、この前もチラッとお伝えしましたけど、ソーセージ工場で営業の仕事をしているんです」 カイリは興味が無いかもしれないが、自分のことを彼に話したかった。 「あの事故のあと、工場を経営している橋爪夫妻を頼って東京へ出てきて、たくさん面倒を見てもらったから。今は恩返しできるように、少しでも多くの人にソーセージを広めて、食べてもらいたいんです」 「美味いのか?」 「はい!とっても。すごくこだわって作られたソーセージで、もちろん安心安全なんですけど、味付けのハーブやソルトも厳選されていて、味にも自信があるんです」 僕はソーセージのことになると、早口になってしまう。 「そうか。食べてみたいな。私が負けたソーセージを……」 僕は別に、ソーセージとカイリを天秤にかけて、ソーセージを選んだわけではない。 (今こそ自分の気持ちを、ちゃんとカイリさんに伝えなくては) 「あ、あの!」 緊張でボリュームが調整できず、大きな声を出してしまう。 一歩前を歩いていたカイリが立ち止まり、僕を振り返った。 「今の僕には抑制剤が効いていて、もうオメガとしての要素は無くなってしまいました。ジャスミンの花の匂いも、少しも香っていません。で、でも、僕は、僕は、カイリさんが大好きです!」 カイリの目が驚いたように、見開かれる。 「オメガではない僕を、ごく平凡な僕を、愛してもらうことはできますか?」 カイリの澄ました表情がクシャリと歪んで、僕に歩み寄る。 そして両手を伸ばし、強く強く抱きしめてくれた。 「あぁ、もちろんだ。オメガじゃなくても、ジャスミンの花の匂いがしなくても、いいに決まっている……。これからはトモイが頑張る姿を、私にも応援させてほしい」 僕はその言葉に、胸が熱くなる。 カイリのベッドの上に、彼の匂いがするものを集め巣を作ったときも、彼に抱かれ深く繋がったときも、満たされたと感じた。 でも、今はあのときよりも、もっとずっと身体の奥底から幸せというものが湧いてくる。 (15年前の雪の日が、今日この瞬間に繋がっているんだ) パチパチパチ。 拍手の音が聞こえた。 音のほうを見れば、ユウシとアラタが二人して、手を叩いている。 カイリは酷く恥ずかしそうに彼らから顔を逸らし、感慨深げに巨大なサンデリアナ号を見上げた。 — 「工場まで送って行こう」 そう言ってカイリはハイヤーの後部座席に乗り込む。 スーツケースは運転手さんがトランクに仕舞ってくれた。 僕がカイリの隣に座ったあと、ドアの向こうでユウシが事務的に告げる。 「私も流石に疲れましたので、本日はこのまま休ませていただきます」 深々とお辞儀をした二人に見送られ、港を出発した。 ハイヤーの中で、カイリは僕の手をそっと握ってくれる。 苛烈で性的な行為では無い、やさしく温かな接触だ。 「15年間、どうやって育ったのか、今度はもっとじっくり聞かせてほしい。私の15年も、君に話すから聞いてくれるか?」 「はい」 「今じゃなくていい。私たちには、これからたくさんの時間があるはずだから」 僕はコクリと頷きながら、ギュッと手を握り返した。 工場へ到着すると、駐車された黒いハイヤーにびっくりした橋爪社長夫妻が、事務所から出てきてくれた。 「おかえりなさい、トモイ」 奥さんは涙を堪えながら、微笑んでくれる。 オサムの会社が不正会計発覚で大変なことになったのは、もう皆が知っているのだろう。 あの暴君に悩まされることは、二度とないはずだ。 「あ、貴方は、城井財団の!」 橋爪社長はとても驚いた顔をしていたが、もしかすると、こういう結末を望んでいたのかもしれない。 「よかった。豪華客船に乗ったことがトモイにとって吉となって、本当に、本当によかった……」 そう言って涙ぐむ。 「橋爪社長……。ごめんなさい。僕は自分が犠牲となってオサムのところへ行けば、全てが丸く収まると考えていました。でもその決断が、社長と奥さんを苦しめてたんですよね……」 カイリが僕に近づき、やさしく肩に手を置いてくれる。 「ご安心ください。これからは私が、トモイの力になります。彼が自分の場所で頑張れるように」 社長夫妻は、状況がよく理解できないのだろう。 ポカンとしてカイリの言葉を聞いていた。 「あっ、そうだ!カイリさんにソーセージを食べてもらいたいから、作りたてを工場からもらってきますね!」 僕はそう言って、工場へ続く渡り廊下へ駆け出す。 背後からは社長夫妻が、涙ながらにカイリに感謝の言葉を述べている声が聞こえてきて、僕も泣いてしまいそうだった。 (完) ※ユウシとアラタのエッチなSSをご用意しましたので、続けてお読みくださいませ。

ともだちにシェアしよう!