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最終話:トモイ「オメガじゃない僕を」
【6月17日 13:00・港】
サンデリアナ号からの下船は上の階から順に行われ、僕らは最後の方だった。
揺れない船とはいえ一週間も乗っていると、地面に降りたとき、足元がふわふわする。
いわゆるこれが「陸酔い」という現象なのだろう。
降りた巨大な船を振り返り、僕の胸はいっぱいになる。
船の中でカイリと15年ぶりに再会し、肌を合わせることができた。
もう二度と会えないかもしれないけれど、僕はきっと一生あの人のことを好きでいると思う。
(ありがとう、サンデリアナ号)
港には大型バスが何台も到着しており、新横浜駅行きや、東京駅行き、羽田空港行きと、多数の行先を選択することができた。
僕もアラタも東京駅行きバスに乗る予定だったが、彼は「ちょっと付き合ってくれる?」と、バス乗り場とは違う方向へ歩いて行く。
「ねぇ、どこ行くの?アラタ」
僕らはスーツケースを転がし、一般車の駐車場へと辿り着く。
「俺、ユウシさんに雇われてたって言っただろ?依頼された仕事内容は、トモイを見守ることだけだったはずなのに、随分と思いもよらない業務が生じたから、文句の一つも言ってやろうと思ってさ」
「え?文句って……」
駐車場には、黒塗りのハイヤーが一台停まっていた。
そしてそこには、スーツが良く似合う二人の男が立っている。
思わず足を止めてしまった僕の耳元で、アラタが囁いた。
「トモイ、カイリさんに自分の気持ちを伝えたほうがいい。彼のものになりたくなくても、カイリさんの傍には居たいんだろ?」
「アラタ……」
ユウシも、カイリに声を掛ける。
「カイリ様、私、アラタと話をつけてきますので、少々お待ちいただけますか?」
ちょっと白々しかった。
僕もカイリも、これがユウシとアラタの親切なのだろうと気がつく程に。
—
「少し歩こう」
カイリは、僕を誘い、停泊するサンデリアナ号へと近づいていく。
僕はスーツケースをハイヤーの傍に置いたまま、彼を追った。
「トモイ、身体の具合はどうですか?」
「ご心配ありがとうございます。とても元気です」
「そうか、よかった。安心した」
会話は長くは続かない。
僕が「運命の番」の話を断ったのだから、当たり前だ。
「……僕、この前もチラッとお伝えしましたけど、ソーセージ工場で営業の仕事をしているんです」
カイリは興味が無いかもしれないが、自分のことを彼に話したかった。
「あの事故のあと、工場を経営している橋爪夫妻を頼って東京へ出てきて、たくさん面倒を見てもらったから。今は恩返しできるように、少しでも多くの人にソーセージを広めて、食べてもらいたいんです」
「美味いのか?」
「はい!とっても。すごくこだわって作られたソーセージで、もちろん安心安全なんですけど、味付けのハーブやソルトも厳選されていて、味にも自信があるんです」
僕はソーセージのことになると、早口になってしまう。
「そうか。食べてみたいな。私が負けたソーセージを……」
僕は別に、ソーセージとカイリを天秤にかけて、ソーセージを選んだわけではない。
(今こそ自分の気持ちを、ちゃんとカイリさんに伝えなくては)
「あ、あの!」
緊張でボリュームが調整できず、大きな声を出してしまう。
一歩前を歩いていたカイリが立ち止まり、僕を振り返った。
「今の僕には抑制剤が効いていて、もうオメガとしての要素は無くなってしまいました。ジャスミンの花の匂いも、少しも香っていません。で、でも、僕は、僕は、カイリさんが大好きです!」
カイリの目が驚いたように、見開かれる。
「オメガではない僕を、ごく平凡な僕を、愛してもらうことはできますか?」
カイリの澄ました表情がクシャリと歪んで、僕に歩み寄る。
そして両手を伸ばし、強く強く抱きしめてくれた。
「あぁ、もちろんだ。オメガじゃなくても、ジャスミンの花の匂いがしなくても、いいに決まっている……。これからはトモイが頑張る姿を、私にも応援させてほしい」
僕はその言葉に、胸が熱くなる。
カイリのベッドの上に、彼の匂いがするものを集め巣を作ったときも、彼に抱かれ深く繋がったときも、満たされたと感じた。
でも、今はあのときよりも、もっとずっと身体の奥底から幸せというものが湧いてくる。
(15年前の雪の日が、今日この瞬間に繋がっているんだ)
パチパチパチ。
拍手の音が聞こえた。
音のほうを見れば、ユウシとアラタが二人して、手を叩いている。
カイリは酷く恥ずかしそうに彼らから顔を逸らし、感慨深げに巨大なサンデリアナ号を見上げた。
—
「工場まで送って行こう」
そう言ってカイリはハイヤーの後部座席に乗り込む。
スーツケースは運転手さんがトランクに仕舞ってくれた。
僕がカイリの隣に座ったあと、ドアの向こうでユウシが事務的に告げる。
「私も流石に疲れましたので、本日はこのまま休ませていただきます」
深々とお辞儀をした二人に見送られ、港を出発した。
ハイヤーの中で、カイリは僕の手をそっと握ってくれる。
苛烈で性的な行為では無い、やさしく温かな接触だ。
「15年間、どうやって育ったのか、今度はもっとじっくり聞かせてほしい。私の15年も、君に話すから聞いてくれるか?」
「はい」
「今じゃなくていい。私たちには、これからたくさんの時間があるはずだから」
僕はコクリと頷きながら、ギュッと手を握り返した。
工場へ到着すると、駐車された黒いハイヤーにびっくりした橋爪社長夫妻が、事務所から出てきてくれた。
「おかえりなさい、トモイ」
奥さんは涙を堪えながら、微笑んでくれる。
オサムの会社が不正会計発覚で大変なことになったのは、もう皆が知っているのだろう。
あの暴君に悩まされることは、二度とないはずだ。
「あ、貴方は、城井財団の!」
橋爪社長はとても驚いた顔をしていたが、もしかすると、こういう結末を望んでいたのかもしれない。
「よかった。豪華客船に乗ったことがトモイにとって吉となって、本当に、本当によかった……」
そう言って涙ぐむ。
「橋爪社長……。ごめんなさい。僕は自分が犠牲となってオサムのところへ行けば、全てが丸く収まると考えていました。でもその決断が、社長と奥さんを苦しめてたんですよね……」
カイリが僕に近づき、やさしく肩に手を置いてくれる。
「ご安心ください。これからは私が、トモイの力になります。彼が自分の場所で頑張れるように」
社長夫妻は、状況がよく理解できないのだろう。
ポカンとしてカイリの言葉を聞いていた。
「あっ、そうだ!カイリさんにソーセージを食べてもらいたいから、作りたてを工場からもらってきますね!」
僕はそう言って、工場へ続く渡り廊下へ駆け出す。
背後からは社長夫妻が、涙ながらにカイリに感謝の言葉を述べている声が聞こえてきて、僕も泣いてしまいそうだった。
(完)
※ユウシとアラタのエッチなSSをご用意しましたので、続けてお読みくださいませ。
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