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第5話 楊 鋭泰(ヤン・ルェイタイ)
「鋭泰 か、事情があって遅れてる。店に呼んでおいて悪いが1時間で持ってくるよう言ったから、待てるなら待っててくれ」
食べることをやめずにそう言い放つが戻した目はもう鋭泰を見ない。
「うまくいってなさそうだな」
「別に金がないわけじゃねえ。うちの経理がしっかり者なだけだ」
豪奢なチャンパオを着た鋭泰は、丸テーブルの泰然の向かいに腰掛けた。
「値切っておいて文句か。90元だって十分まけた金額だったのに。まあ経理がしっかりしてるのは悪いことじゃない」
と、別段気にしてはいなさそうである。
それから1人ついてきたお付きの豪雷 から器を受け取った。
「ご馳走になってもいいかな」
「こっちから呼んだんだ。好きに食え」
盛ってもらったワンタンを食べ始める鋭泰を泰然は呆れたようにみて
「青幇てのは過保護なんだな。そのくらい自分で盛れ」
「自主的にしてくれるもんでつい私も甘えちゃうんだよな。うん、あとは自分でできるからお前下がってていい」
そう言われて豪雷 は、逆に泰然をじろっと睨んでから部屋を出た。
なんもしねえよ別に、と内心思いながら海老ワンタンを口に入れる。
「今日のチャンパオは、一段とお綺麗で」
確かに濃い緑色の光沢のあるシルク地に、柄が華やかな色合いで全部刺繍で施されている。
一見しても高価な装いだ。これから偉いさんと会食やパーティーに行くと言っても通用する。
紅蘭 の個室の雰囲気にはなかなか合う。
「儲けてんな」
「おかげさまでね」
しれっといつものポーカーフェイスで言ってくる|鋭泰《ルェイタイ》に舌を鳴らし、泰然は椅子に寄りかかった。
「食いたいものがあったら言ってくれ。こっちの招待だし」
鋭泰は一口だけ食べた器をテーブルに置き
「料理は十分だよありがとう。まあ、1時間で来なくても一旦引き上げるさ。今日中なら別段問題はないからね。でも一応それまでは待たせてもらおうかな。受け取れれば今日の私の仕事が一つ終わるし」
タバコを取り出し咥えたまではいいが、いつも火が出てくるので鋭泰は火を持っていなかった。
「しょうがねえなあ」
泰然はマッチを放り投げる。
「元々いい家の出でもないんだろうに」
小籠包もなかなかいける…と再び食事を再開する泰然に、マッチを灰皿に入れた鋭泰は煙の向こうで片眉を上げた。
「確かに私の出自は誇れたものではないが、お前みたいに豚のようには食わんな…」
少々冷ややかな声で言われて、泰然は苦笑する。
「怒んなよ、悪かった。まあ俺は普段ろくなもん食ってねえからさ、こういう時にでも食わねえとやってけないんだよ。お前もそんな食細くてよくやってるな。だから顔色悪いんだぞ」
一口で食べるのをやめてしまった器を見て、それなりに心配そうに言ってやる。
色白なのか病的なのか、鋭泰の顔色はいつ会っても悪いから。
「そこそこは食べるけどね。まあ必要最低限でいいとは思ってる。所で、噂で聞いたんだが、関東軍が満州を国として建てようとしてると言うのは本当なのか」
横を向いて煙を吐きながら、いきなりきな臭い話題を出してくる。
「いきなりだな。それになんでそんなこと俺が知ってると思うんだよ。そういう噂は聞いてるけど、詳しいことなんか俺が知るわけがねえだろ」
泰然はレンゲを取ってたまごスープをひきよせた。
「日本軍が満州の戦いとは別に怪しい動きをしている。少し前から元清王朝の関係者と接触してると言う情報が入ったんだ。愛新覚羅家は満州族だからな。色々推測は立つだろ?」
泰然は卵スープを口にしながら目だけを向ける。
「そんな事情通なら、お前のほうが判ってるんじゃねえの?」
「本当に知らないのか。お前が海軍の上野と親しいのは上がってる。だから知ってると思って今日はそれも聞きに来たんだ」
泰然は卵スープを飲む手を一瞬とめた。
自分の素性をこいつはどこまで知っているのか…答え方を模索する。
「知り合いってもそんな深い話する仲じゃない。相手は軍人だ。間違ったって民間人にこぼすわけがないだろ。第一、上野さんが何やってるかなんて俺は知らないしな」
当たり障りのない言葉を選んだつもりだ。嘘も言ってない。
しかしそれを見抜こうとしてくる鋭泰 の目はいつもながら好きになれない。
豚みたいだと言われたのでそのように食べてやっていたが、泰然は漸く身を起こした。
「鋭泰 もなんでそんなことに引っかかってんだ?満州が国になろうとなんの関係もねえだろ」
「私にはないが、組織としては大いに関係ある。満州は、今は事実上日本が支配している…というかもっと深く支配しようとしてるみたいだが、まだ私たちの仕事の隙はある。が、日本統治領になれば話は違う」
ーまあ、そういうこともあるかーと短く相槌を打ったが、
「俺にはそれも知ったこっちゃねえけどな」
と、卵スープを飲み干した。
鋭泰 はまあそうだろうな、と手近なポットから茉莉花茶を注いで口にする。
茉莉花茶の香りが、どの料理の香りよりも強く泰然へと届いた時に外が騒がしくなりハオレイが大声で止めている声がした。
「泰然 に用があるんだよ。お前らのことなんだから入れろって」
あの声は星宇だ。
鋭泰はドアへ歩いて行き、ドアを開けた。
「ハオレイ、泰然の仲間だ。星宇 入れ」
開かれたドアから、大きな紙袋と皮のバッグを抱えた星宇が現れる。
「もー!あいつ俺のこともそろそろ認知してて欲しいよ。一々呼び止められたんじゃめんどくさいけど」
鋭泰 に文句を言って、星宇は泰然へと歩み寄った。
「すまないな。あいつは物覚えが悪いんだ、大目に見てやってくれ。今回でいい加減覚えただろう」
鋭泰はドアを閉めて、怒っている星宇に笑いかける。
「そう願うよ。泰然これ、力行 から渡しといてって言われてきた」
星宇は紙袋とバッグを泰然の足元に置いた。
「なんだ、結局星宇 が行ったのか」
足元の荷物を指で確認して、『お疲れだな』と労う。
「リーハンの奴、焼き芋屋に強く出られないからって俺んとこに駆け込んできたんだよ。俺は焼き芋屋 にしがらみも何もないんでね、脅したらすぐに出してくれた」
星宇 に脅された焼き芋屋も気の毒だな、と同情しながら泰然は立ち上がり、バッグと紙袋をドアの前の鋭泰のところへ持ってゆく。
「リーハンが飛び出してから20分ほどしか経ってないが、流石お前の仲間は仕事が早いな。豪雷 !」
鋭泰は部屋の外のハオレイを呼んだ。
「用意したブツを」
ハオレイは、持っていた革のバッグから長方形の包みを取り出し鋭泰へ渡した。
「失礼ながら確認させてもらうよ」
鋭泰は包みを手にしたままハオレイにバッグを開けさせ、まず紙幣を確認し、それから銀貨の真偽も確認させる。
ハオレイが鋭泰を見上げて頷くと
「交渉成立だ。多少値切られたが泰然 はいつもきっちり仕事するから信用している。銀貨での準備も礼を言う。また頼むよ」
そばに立つ泰然に包みを手渡すと、バッグと紙袋をハオレイに持たせて鋭泰は部屋を出て行った。
「ハオレイ 今度会った時に俺のこと覚えてなかったらぶん殴ろ」
テーブルについて、星宇はもう鶏の焼き物を貪っている。
「まあ、よくやってくれたな星宇。でもあまり焼き芋屋 をびびらせるなよ」
想定外の仕事の駄賃だと星宇 に3枚の上海元を渡し泰然もまた椅子へ座った。
「シエシエ」
いつものチャンパオとは違い、カンフー着を身に纏った星宇は店にいる時とは全く違う雰囲気だ。
「焼き芋屋に向かう途中でさ〜、工部局の奴に声かけられて物陰に引っ張り込まれてやられそうになっちゃったんだよね。こっちは急いでるって言うのにさ。あまりにしつこいからそいつ殺っちゃったんだけど…いいよな」
店にいる時は明るく賑やかな娼妓ではあるのだが、一歩外に出て泰然の仲間として働く星宇は、人を殺めるのに全く抵抗のない、泰然のグループでは汚れ役を引き受ける殺し屋であった。
そんな事情を知っている焼き芋屋は、星宇に脅されてどんな気分だったか察しはつくと、先の泰然は同情したのだ。
「まあ、手を出す方が悪いんだからいいんじゃないか?」
「だよねー。で、愁一はもう店に戻る?俺、これ食いたいんだけど」
テーブルにはまだまだ揚げ物や炒め物等が残っており、星宇はそれを器に盛っている。
「外でそう呼ぶなって。カツラ被ってる意味がねえ。料理は俺もまだ食うよ。こんなに用意したのに鋭泰 食わねえからさ」
泰然は茶色い髪を撫でて、ズレを気にして頭を抑えた。
「いつも思うけど、なんで変装なんてしてんの?」
「まあ、メリハリってとこもあるし、俺があの店の安堂愁一だってばれたくねえんだよ。あそこは俺の居場所なんでな」
今となっては何の感慨もない中国の家を出てから、自力で手に入れた自分の『居場所』だ。
何をしたって揺るがす気はない。
実際のところ、「夜蝶楼」は愁一の持ち物だ。
守るために店のものには自分がオーナーだとは知らせていない。ただ小説家の「安堂愁一」という男を住まわせてやってくれと『オーナー』に言われたと女将たちは生活を共にしている。
星宇はーふうんーと曖昧な返事をして、再び食事を再開した。
それからは星宇の誘ってきた工部局の奴の話と、なぜ力行 が今ここにいないかの話を聞くことにした。
しかし…だ。自分が上野と繋がっている…懇意だと言うことをなぜ鋭泰が知っているのかが、泰然の胸をざわつかせる。
「居場所」と同時に、上野の立っている場所の危うさもそのざわつきを増長させていた。
そしてリーハンはというと、星宇に助けを求めたあと、星宇がやっちゃった工部局の人間を始末する仕事をさせられているということだった。
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