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第11話 別離
「上野さん、希佳の母親の事あんな約束していいんですか?」
流石に誓うまで言ってのけたからには何かあるのだろうとは踏んではいるが、あまりの強い言葉が気にはなっていた。
「実は日本人女性を3名、軍で保護しているんだよ」
「え?」
「その3人のうちの1人が母上の可能性がある」
まあ可能性でしかないが…と冷めたお茶を啜って、期待はさせないようにしたつもりだとも告げた。
「さっき奉天で離れたと言っていただろう。その近辺で保護された女性たちだ。可能性は高い」
しかし父親は北京まで連れて行かれている。
母親とて、どこか遠くに…という可能性も低くはない。
「アヘン漬けにされていてね、やはり身体をいいように弄ばれていたんだよ…。売られたんじゃない、中国兵の慰み者になっていたんだ…」
売られている方がまだ店に守られる分…安全なのだ。
「愁一君は、なぜ私がここまで高い可能性を示唆してるか疑問に思うだろう?」
それはそうだ。希佳にもかなり強く言っていたからには…というのもあるが今の話では到底疑わしい。
「その女性の1人がね、思いついたように時々『コウイチ』と呟くそうなんだよ。最初希佳君が『紘一』と名乗った時に、ああ…と思ったんだ」
愁一は『なるほど』と呟き。
「それは…確かに…」
「こう言っては何だが、珍しい名前ではないから確証はない。治療を施しているが、もう少し意識がはっきりしたら名前が言えそうだ。その時苗字か『コウイチ』君の字などがわかれば、はっきりと母上だと確認できる。その段になったら紘一くんの所へお連れしようと思うよ」
あそこまで強気になっていた意味はわかった。しかし…だ。
「3人とも精神的には…無事なんですか」
慰み者になっていた女性を愁一は見たことがあった。
大抵が現実を忘れるためなのか、精神を病んでいる場合が多い。
「アヘンのおかげ…と言いたくはないが、陵辱されていた記憶はあまりなさそうなんだよ。まあ少々乱暴されたという意識はあるらしいが、まだアヘンが完全に抜けていないからなんともな」
愁一は自分でもアヘンを売り捌いている以上、これについては何も言える立場にはない。
が、自分が売ってるのは既に中毒になっている者に対してだ。
言い訳にしかならないが、そうでない奴には『自分は』売っていないから。
「取り敢えずは紘一くんにはまだ言わないでおいてくれ」
「わかりました…」
丁度話が終わった時に、紘一が小さな風呂敷を抱えて戻ってきた。
【本当に少ないんだな】
その風呂敷でさえ脇に抱えられるほどである。
着ているのは、ここで働いて買ったシャツとズボン。その上に毛糸で編まれたコートを着ていた。
【元々余りなかったですし】
それはそうだ。荷物も放り出して、トイレで拾われたまま来たのだから。
【まあ…その格好なら租界外を歩いてもギリギリ金持ちの中国人に見えるだろ】
と、立ち上がり、愁一はポケットから出版社の名前入りの封筒を出した。
【これを持って行け、お前の稼ぎと俺からの餞別だ】
紘一の手に渡し、
【船賃はかからないが、向こうへ行ってから汽車やらに乗るのにも必要だろ】
中を確認して紘一は驚いた。10元が銀貨で入っている。ひと家族が半年ちょっと暮らせる金額だ
【こんなに頂くわけには…】
【お前の稼ぎが半分だ。小遣いとしてちょっとは貰ってただろうが、お前は5元稼いでたんだよ。半月という短い期間に頑張ったな】
【でもあと5元は…】
【餞別だって言っただろ、元気でな。頑張って勉強しろよ】
頭を撫でてやって、笑顔でぎゅうっと抱きしめた。
【ここでのことは忘れろ。たった半月のことだ。前だけ見て進んでいけばいい。命は大事に。戦争には絶対に行くな、いいな。足を折ってでも行くな】
愁一の肩で紘一は頷く。
【向こうで愁一さんの記事が載った本、絶対買いますから】
意外な言葉が返ってきて苦笑して体を離すと、『おう、頼むわ』とまた笑ってから背中を押して上野の前に立たせた。
【よろしくお願いします】
【うん、ちゃんと御祖父母の所まで送り届けるよ。艦は横須賀港に着くから、そう遠くもない】
上野も立ち上がって紘一の肩を両手で掴んだ
【店を出たら、日本語は一言も使うな、いいね。中国人が店からお気に入りを連れ出すと言う体で出ることにする。全部私が話すから頷いてればいい】
紘一は緊張してきた。ここで日本人とバレたらまずいのだ。租界の中ならまだしも、一歩出たらもう日本人は敵だと見る人の方が多い。
【わかりました…】
緊張した面持ちで振り返り
【愁一さん、色々ありがとうございました】
深々と頭を下げ、顔を上げたときには涙が溢れていた。
最初に『教えて』もらい、それからも何かと気にしてくれていた。
愁一は紘一にとって密かに支えになっていたのだ。
【ん、元気でやれ。上海 にも聞こえてくるくらいの政治家になれよ。待ってるからな】
【はい】
今度は紘一が1番の笑みをくれた。
「上野さんもお元気で。もしも戻れたら、またここにきてくださいよ」
「勿論そうさせて貰う。何も今生の別れじゃない。私はまた来るよ」
来た時に外した髭を装着し、中国人らしく「哈哈哈」と笑って
【行こうかの、希佳】
と、紘一の腕をとる。
余りの成り切りぶりに紘一も笑ってしまい、笑いながら
「那就這様吧,老公」(それではそうしましょう、旦那様)
中国語で答えた。
【どえらい言葉覚えたな】
愁一も流石に呆れる。
【星宇さんが、これ言っとけばジジイは機嫌がいいって】
【わしはジジイ扱いか】
杖を振り上げる勢いの上野に、なりきりはやめろと吹き出しそうだ。
【それじゃあ、行くよ。君も命大事に】
握手を求められ、愁一は両手で握りしめた。
今までも来ない時はあったが、これからはいつ戻るかわからない。もしかしたら本当にもう会えないかもしれない。
今生の別れではないと上野はいうが、この時代だ…何が起こったって不思議はない。
「あなたもお気をつけて。命お大事に」
うん、とうなづいて『では』と紘一の手を取って部屋を出てゆく。
「ごゆっくり〜」
外に出て、最後までどこにいるかわからない見張りに対し防御を張りながら、愁一は見送った。
夕闇が迫る中、沈みゆく夕陽に向かって仲睦まじそうな演技をした2人が歩いてゆく。
その後ろ姿に寂寥感というものを初めて感じた。
今までに人を見送ったことがないと気付き、新たな感覚に口の端を上げる。
「なるほどね…」
そう呟いた後、その寂寥感を払拭するように愁一は、柄にもなくいつぞや覚えた呪 いを口ずさんだ。
「あれ?希佳じゃないの?どこ言った?」
急に現れた星宇 が、愁一の肩から歩いていく2人を覗き込んでくる。
「客と食事だってさ。大通りの日本料理屋紹介しといた。相手中国人だしな」
本当のことは中でしか話せないから仕方ない。
愁一は最後に2人を見てから店に戻る。
それに続いた星宇は、中に入ってから
「焼き芋屋が、アヘンもう少し手に入らないかって」
小さな声で言ってきた。
焼き芋屋は、店を商っている都合上アヘンも売り易い。薬だけを買いにくる客も少ないため焼き芋も売れて一石二鳥だと喜んでいる。
「ああ?ついこの間だぞ、もうねえのかよ」
「最近多いみたいだよ客。中毒者増えてんのかな」
俺はやんないけどねえ〜と店に上がって当たり前のように階段を登り、愁一の部屋へ向かう。
階段を昇りながら愁一は考える。
青幇が大量に売り捌いているとしたら、自分にも声がかかるはずだがそこまで切羽詰まった感じはない。
どこで中毒者が増えている…やはり中国軍関係しかないんだよな…と思うしかない。
青幇以上に関わりたくない所だ。
ただでさえ、店が目をつけられているのだ。
しばらく何もできねえな…と部屋へと入って行った。
「ヂーフェイのこともあって、暫く大人しくすることにした。焼き芋屋には売るのも止めておけと伝えておいてくれ」
早速寝転んでいる星宇は『まあそうだよね、イワノフには言っとく』と呟いて、持っていた冊子を畳の上に広げる。
愁一は上野に会うことがなくなった今、仕事も控えるとなるとこの腹のグルグルはどうしたものかと悩むことになってしまった。
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