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第12話 愁一 1

 希佳と上野が日本へ行ってから10日ほどが経ち、11月も2週目になろうとしていた。  その間に希佳…いや紘一から店宛に手紙が届いている。  無事に祖父母の家に着き、学校にも行く準備が整ったとのことだった。  住所も書いてくれてはいたが、自分とはもう関わらない方がいいと判断し、愁一は手紙を大事に保管するだけに留めることにする。  なんであんな小僧に親身になっちまったかな、などと自問すれば帰ってくる自答は『お前と境遇が似ているからだろ』と言うことしかなかった。  自分は望んでこんな店に入ったけどな…。  昔の記憶を辿り窓から通りを見下ろす。  愁一は、2歳ごろに満州は長春に居を移し、父親は満州鉄道員として生活を支えていた。  その頃の中国は辛亥革命において清朝が倒されたあと、新政府として『中華民国』が成立していた。  日本は、中華民国に資金の援助をする軍関係や民間人も多く、今ほど敵対視されてはいなかったためそれなりに安心して暮らしていけた時代である。  しかし満蒙思想という、『満蒙(満州・モンゴル)は日本の生命線』と関東軍が言い出してから情勢が少しずつ変わっていった。  愁一の父親は、その満蒙思想の日本軍に加担を始めたために中華民国当局より目をつけられたのである。  母親は日本で知り合った中国人で、その母の両親と共に住むと言う理由で渡ってきたと言う一面もあり、目はつけられていたもののあまり手は出されなかった。  祖父母の家は繊維工場を営んでいて、そこそこ裕福な家だったため愁一の父親の収入など当てにせずというスタンスで、3人で家を借りて住んでいた。  なので、愁一も14歳くらいまでは日本人学校へ通いながら勉強に励む普通の家庭の子として育った。  1921年 3月 長春 「母さん、学校からのお知らせだって。そしてお弁当ありがとう」  学校から帰った愁一は、母親に藁半紙と弁当箱を渡しに台所へやってきた。 「あ、ああ、おかえり愁一」  そこには父もいて、何か深刻な話をしているようだった。 【あれ、父さん帰ってたんだ。おかえり…どうしたの?】  2人ともが深刻な顔をしていたのを見て愁一も首を傾げて聞いてみるが、 【いや、ちょっと会社でね色々あってさ】  父親はそう言ってお茶を濁し、居間の方へ行ってしまう。 「母さん?」  夕飯の準備をしていた母も、みるからに無理な笑みを浮かべて 「なんでもないのよ、今日は日本の料理にしたの。美味しくできるといいわね。それにしても愁一は、中国語上手になったね。もう普通に話せるじゃない」  などと言って、流しへ向かってしまった。  当時の日本人学校は、『満州へ来たからには中国語を話せるように』という日本国の決定により、小学校入学時から中国語も教えられたのである。  愁一も母親と細かい話もしたいし、ここで暮らすのならと懸命に勉強し、母親と会話する中で中国語は徐々に上達していった。  日本語は父親との会話で覚えてきたのと、父親はいつか日本へ帰る気持ちもあったのか、知り合いやその伝で日本語の本等を愁一に与え続け、愁一は文字が読めるようになった頃から日本の童話や物語、雑誌等に触れて日本語と現在の文筆業に至る素地を形成していった。  なので3人家族で暮らしていた愁一は、中国語はほぼ話せない父親と片言の日本語を話す母親とも、なんの齟齬もなく暮らしていた。 【父さんも中国語、少しは話せる方がいいよ】  と、12歳の頃だったか言ったことがあり、父親も愁一になら教わろうかなといって少しずつは愁一に習ったり、妻との会話で話せるようにはなっていった。  しかし中国人と結婚して中国に住んでいるというのに、父親はどこか『日本人だ』という矜持を持っていたらしく、覚えは芳しくはなかった。  そして父と母が台所で話していた次の日、そんな父親は居なくなった。  朝愁一が学校へ行く前にはもういなくなっていて、夜になっても帰らずにいたため愁一は心配したが母は何事もないように振る舞っている。 「母さん、父さんどうしたんだよ。仕事で遅いにしてももう夜中だよ」  と、追求したら 「抗日運動が激しくなってきたでしょう…。おじいちゃんやおばあちゃん…それとおじさんやおばさんがお父さんのことを…いやがってしまって…」  それで1週間前に、昼食をとりに来ていた父親がいる時に全員で家にやってきて、 「明日にでも出ていけ」 「娘を返せ、離婚だ!」  と捲し立てていったらしかった。  明日は急すぎると言うことで昨日まで夫婦で話し合い、父親は1人で出ていくことになった。  『なんで自分に相談してくれなかった』と聞けば、半分でも中国人だからここに残そうと相談して決めたと言う。  祖父母も娘の血を引いていれば、無碍にはしないだろうと。  父が満州権益の活動家なのはうっすら知っていた愁一は、その活動をするために父親は自分を置いていったんだなと察した。  しかし、半分中国人とは言ってもその半分が日本人という事が、父を追い出した祖父母や親類は気に入らないらしく、父が消えてから祖父母の家に同居となった時にはもう、愁一のいる場所はなかった。 「日本人だから可愛げがない」 「半分でも日本人なのは気持ちが悪い」 「日本人は食わなくても生きていけるんだろう?」  などと言いたい放題のことを言われ、工場を営んでいた祖父の一族は食事もある程度は充実していたが、愁一が食卓を一緒にすることはなく、母が持ってきてくれるのは包子(パオズ)(肉まん)一つとか小籠包2つとかだったりと、14歳の愁一におよそ足りるものではなかった。  しかも日が経つに連れ暴力も加わり、 「こうすれば日本人の血が消えるんだ」  と言って棒で背中を何度も叩かれたり 「水をかけたら忌まわしい血が流れ出るんだ」  と学校から帰って来るなり、バケツに汲んであった掃除に使った水をかけられたりもした。  『半分中国人』だからと父親に置いて行かれた愁一が『半分日本人』だからと責められる。  これは両親の大誤算であった。  血を憎んで言葉で責められるのはまだ我慢ができた。  しかし執拗で陰湿な折檻を受けて愁一は心の奥底で、中国人の根の醜悪さを恨む事を覚えてしまう。  そしてある日母親が2人に当てられた部屋へやってきて 「愁一、これを」  正座して対面している愁一の前に、日本の郵便貯金の通帳を置いた。  中国でも安定してお金の管理ができるものだ。 「え?これ…?」 「あなた名義の通帳よ。これを持ってお父さんの所へ行きなさい」  その言葉はあまりにもショックだった。  父親が逃げたからこんな生活になっているというのにか?という思いが湧き立つ。 「貴方が大事だから…お父さんと相談してここに残したの。でもここでは貴方は幸せじゃない。お母さんは貴方を庇いきれないのよ」  涙を流す母親を前に、愁一は呆然とした。  中国人の親族意識は強い。  そこに自分は入れていないことは勿論実感してはいたが、実の母親にまでこう言われたら…どうしたらいいんだろうか…。  自分のことを大切と言うなら『一緒にここを出よう』ではないのか…不信感が募ってゆく。 「ずっと細々とだけど、貴方の将来のために貯めていたお金。お爺ちゃんが狙い始めたから、これをもってお父さんの所へ行ってちょうだい。それが1番安全なの」  父親のいる場所なのであろう、住所を書いたメモを通帳の上に置かれたが、中国当局と争っている父親のどこが安全なのだろう。  そんなことは子供の自分でもわかる。  その場は何も答えずに、通帳だけ受け取り愁一は布団へ入った。  布団の中でこれからのことを考えたが、いいことは思い浮かばない。  このお金で日本へ行けそうだが、行ったところで誰もいない。  向こうの父方の祖父母とは2歳以降会ってはいないし…。  言われた通り父親のところに行ったところで、中共と争うのなんかはゴメンだ。  それに、母の『お父さんの所へ…』と言うのは、自分との縁切りだと判断せざるを得ない。母は…楽になりたいのだろう。子を捨ててまでも。  もうこれ以上考えても何も浮かばなかった。  ともかく、母がそう言って来たのならこの地獄のような家は出ようと決めた。  そして次の日の早朝に通帳と、数冊の本を持って家を出たのである。

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