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第16話 仕事&拉致

 後ろを伺うように逃げてゆく男は、行った先が行き止まりなのに気づいて戻ろうと踵を返したが、その目の前に一人の男が立っていた。 「ヒッ!」 「足早いね」  赤茶色の髪をしたその男は、追い詰められた男にゆっくりと歩み寄る。 「お前!俺を…うぁっ」  銃の台尻で頬を横殴りされ地面に倒れ込む男の前に再び立ちはだかって、泰然は、その腹に足を乗せた。  足が速いね、などというのは半分嫌味だ。  アヘン中毒の男は、ふらふらとしていて倒すのも楽である。 「お前アヘン買い溜めて売ったって?お前に売ってる売人が激おこよ」  腹に乗せた足はジワジワと力が込められる。 「自分が買ったもの自分が…ぐうぅっ」  言い訳などは聞かない。 「どの業界にもルールや仁義ってものがあるだろ」  ますます踏み込んだ足は、肋骨をも圧迫する。  踏まれた男も起き上がる気力もなく、吐きそうなほどに踏み込まれて苦しそうな声が漏れ始めた。 「アヘンはな、売人契約っつーものがあるんだよ」(架空設定)   この男に売っていた売人も横流しというあらぬ疑いをかけられて、危うく拷問沙汰になりかけ、それで腹を立てている。 「楽して稼いだらだめだよなあ」  泰然は笑いながらリボルバーの撃鉄をあげ、男の胸ぐらを掴んだ。  半身起こさせて、その銃口を男の額へ充てる。 「じゅ…銃声で人がくる…ぞ」 「銃声なんざしょっちゅう聞こえる街だ。誰もそんな即座に反応しやしねえよ」  グリッと銃口を捻った。 「まあでも、その方があんたが見つけてもらうの早まるだろうから。派手に音立てようぜ」  泰然は歯を見せて晴れやかな笑顔を男に向けると 「永远地再见了永」(永遠にさようなら)  そう言って引き金を引いた。   三清会の許久明の消し込みも星宇はなんの問題もなくこなした。  遺体が黄浦江へ浮かんだ時には犯人の手がかりなどは数ミリも残っていない、流石だ。  しかし…その許久明という人物が、暗殺対象になった経緯というのが関東軍と連絡を取り合っていたスパイ容疑だったらしい。  今回その許を殺ったのは誰だと関東軍がにわかに騒ぎ出したようだが、関東軍にしても青幇と関わっていたことは公にしたくない事実なので、あまり追及は激しくなさそうだ。 「大事にならんでよかったな」  最初から気にしてもいなさそうに、イワノフは売り物の焼き芋を口にしながら店の棚の後ろに座っている愁一に話しかけた。 「まあ…スパイなんてよくある話だな、くらいだよ。このご時世、中国共産党と国民党、そして関東軍の、どっかの引っ掛かりだとは思ってたし」  やはり芋をもらって食べながらだ。 「そう思って引き受けるのもあんたらしいな」 「何事も金だろ?」  棚の端から丸を作った指を出して、見えないところでほくそ笑む。 「違いねえ」  イワノフは焼けた芋を台の上に乗せて、通りの人へ香りでアピールを続けた。 「で、星宇はどうしてる?それなりには大人しくしてんのか?」 「いやあ?ふっつうに客とってるぜ。日本人も来るし中国人も来るあの店でな」 「あいつも根性座ってるな」 「仮に裏で犯人探してるにしたって、この時期関東軍の皆さんも男や女買ってる暇はねえだろ。店が1番安全だって」  『忙しそうだし、あの人ら』と、愁一は鼻で笑う。 「まさか、許を殺ったのが日本人だって噂流されて、国民党と上海(ここ)でどんぱち始まらねえだろうな」  若い母親に『1角(イージャオ)です〜』と芋を数本売り捌いた直後にイワノフも笑った。 「そりゃ、ただの仕返しだ。そうなりゃなったでおもしれえけど」  今の話が、案外洒落にならないことになるのを知るのはもう少し後のことだが、そのときでもこの二人は気にはしないだろう。  芋を食い尽くし、別に隠れることも無い所から這い出た愁一は1角を渡して 「ご馳走さん」  と、自分の店へと帰って行った。 「何しにきたんだ?」  その声に反応して愁一は戻ってきて 「土産忘れた。何本か貰ってくわ」 「星宇か?」  何本かを紙袋に入れてくれる。 「ああ、最近俺が外行くと土産があると思ってるからな。まあいいんだけど」 「過保護だねぇ」  イワノフは多めに入れた紙袋を手渡し『1角でいいよ。過保護に免じて』などとますます悪い顔で笑った。 「お、悪いな。雨降らなきゃいいけど」  ケチなイワノフがまけてくれるなんて!と、意趣返しに大袈裟に言って空を見る愁一に、 「1元とったっていいんだよ?こっちは」  と手を出しかける。 「まあ、降ったら降ったで寒くて芋売れるぜ。じゃあな」  悪びれもなく手を振って愁一は戻っていく。 「なんなんよ」  イワノフも苦笑して、焼けた芋を上の台に乗せてますます芋の香りを振りまいていた。  12月に入り、租界の外では関東軍がどうの中国共産党がどうのと聞こえてくるが、租界の中は至って平和に日常が繰り返されていた。  愁一はあまりに寒い今年の冬に辟易し、泰然(仕事)用のコートも誂えようと|外灘《バンド》へと向かっている。  洋風のカフェや服屋が並ぶ道をお気に入りの服屋へ向かいながら、帰りに何を土産に買って行こうかなどと菓子屋を眺めていると、脇に黒塗りのフォードが横付けされてきた。 ーん?ーと思っている間に、中からイカつい運転手が降りてきて強引に愁一は腕を掴まれる。 「なんだよ!痛えぞ!あ、お前ハオレイじゃねえか」  愁一の腕を掴んだ男は、紅蘭(ホウラン)でのアヘン取引時に鋭泰(ルェイタイ)に付き従っていた男だ。  だとするとこの車の中にいるのは…。  しっかり握られている腕の痛みに顔を歪めながら車の中を見てみると、相変わらず顔色の悪い鋭泰(ルェイタイ)がにこやかに手を振ってきた。  愁一は諦めて、ハオレイの腕を振り解き、長いコートを捌きながら自らフォードに乗り込む。 「高級車ですね!いいですね」  隣に座ってふんぞりかえり、ータバコイイデスカ〜ーなどと目一杯嫌味を込めて話してやる。  しかも!カツラもつけていないのに拉致られたことが、少々腹立たしい。 「相変わらずブーブーうるさいねその口は」  紅蘭でガツガツ食べる泰然(愁一)にブタみたいだと言ったのが、本人は気に入ったようだ。 「まだ言ってんのかよ。情報は更新しろって」  返事も聞かずにタバコを咥えた愁一は、横から出てきた火を見る。 「この間貰ったマッチがまだ残ってたんでね」  愁一がタバコに火をつけた残火をフッと吹いて、鋭泰はドア脇の灰皿にマッチの残骸を押し込んだ。 「隠せてるとは思ってなかったけど、愁一()ってわかってんのはほっといてほしかったわ」  思い切り吸って思い切り煙を吐きながら、体を下へズリ下げてゆく。  勢いのある煙は天井を這って、ハオレイの整った髪をかすめてフロントガラスまで流れて行った。  外は大勢的に見えないし、愁一も外からは見られない。  青幇の鋭泰は良くも悪くも顔が広まっている。  そんなやつと一緒に車に乗って仲間だと思われたら迷惑だ。  車は走り出し、外灘(バンド)を出てフランス租界へ向かっていく。 「流すだけだから」  と鋭泰が言う通り、どこにも止まる気配もなく車はただ走り続けていた。 「何の用なんだ?こんな強引なデートは」  愁一側のドアの灰皿を教わり、そこへ灰を叩く。 「ひとつ聞きたいことがあっただけだよ」  鋭泰もタバコに火をつけて、窓を細く開けた。 「たった一個聞きたいだけなら、こんな…」 「上野は今どこにいる」  愁一の言葉を遮って、前を向いたまま鋭泰は聞いてきた。  煙が、細く開いた窓から流れ出る。 ーなるほど、そういうことねー  愁一も鋭泰を見ずに思考した。  紅蘭(ホンラン)でも上野にこだわっていたことを思い出す。 「上野さん?さあ、知らねえ。11月頭頃かな、日本に帰るっつって戻ったようだけど。青幇(あんた)とか共産党さんや国民党さんに狙われてたみたいだったからな」  鋭泰がゆっくり愁一を見る。 「お前のとこに上野を狙ったやつ行かなかったか」 「さあ?知らねえな」  ヂーフェイのことだとはすぐわかったが、そんなことはうなずけるわけがないし、店まで知っているのかとうんざりした。 「そんな騒ぎは俺は知らねえし、大体俺は店の子の管理なんてしてねえからな。誰が入って誰が出ていったなんて知らないんだよ」  自分を見る鋭泰の、いつもの嘘を見抜こうとする目を真っ向から受け止めて、口元を歪めて笑ってもやる。 「そうか…送り込んだやつが連絡絶って久しくてね、どうしてるかなと…お前なら知ってると思ったが…それは悪かった」  ヂーフェイは中国軍…つまり中国共産党から来たと言っていた。 『嘘だったのか…なんだよ青幇の手先じゃねえかよ』  そう思って内心舌を打ったが、最期の最期まで本当のことを言わなかったのはそれなりに立派だったんだなと、今は褒めておいてやろうと思った。  まあ長く青幇に飼われていたら、忠誠心もかなりだろう。 「用は済んだか?」  愁一の身体はかなりズレ込んでいるので、今どのあたりを走っているのかすら見えなかった。 「さっきのところまで送ってくれよ。服買いに来たんだ」 「わかった。ハオレイ、外灘まで」 「はい」  車はすぐに角を曲がり、割とすぐに元いた場所までついて結構近場を回っていたんだと気づく。 「こんな目に遭うのはごめんだからな。もうやんなよ」  愁一はドアを出ながらそう言って、少し強めにドアを閉めた。  鋭泰(ルェイタイ)は身体をずらして今まで愁一がいたところの窓を開ける。 「今度は正式に、食事でも誘うよ」  顔色の悪い、それなりに整った顔で微笑まれ薄ら寒くなる。 「お前とメシなんてごめんだよ。また今度アヘン注文するから、その時にでも会おうぜ。じゃあな」  長いコートを翻して、愁一は車を離れた。  隠し通せたとは思っていない。  しかし、自分がやった証拠もない以上ヂーフェイの話を長引かせることは危うかった。  ーあいつこええんだよなあー  鋭泰の視線を背中に感じながら、愁一は手近な店へと足を踏み入れた。

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