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第17話 夜蝶楼の年末
12月も31日になり、中国では特にこの次の日に正月は祝わないがここは日本租界だ。
休みは中国に倣うにしても、新年を迎えるという準備はある意味中国人にも楽しまれるために行われる。
餅つき、鏡餅、中国風な飾りも多い店の前に門松を置くなど一種文化の違和感交流のような様相を呈する。
「夜の0時丁度にこれ鳴らすんだ」
一仕事を終えた星宇が、楽しそうにダイナマイトほどの爆竹がねじれて配置された巨大な束を見上げていた。
「またうるせえ日が来たわ」
毎回耳をつんざくような、轟音と言ってもいい音が各所から鳴り響くのが愁一はあまり好きではなかった。
「日本風に厳かに新年つーもんを迎えられないのかねえ」
愁一はそう愚痴りながら、玄関先で星宇に爆竹を店先に飾れと言われ、木の踏み台に乗ってそれを庇に引っ掛けている。
タバコを癖で口にしてから、目の前のダイナマイト級の爆竹をみて吸うのをやめた。
「今火ぃつけたら暴発するよ」
星宇がそれも面白いか、と笑いながら踏み台を支えていた。
「こんなのが耳元で鳴るのはごめんだ」
『よっ』と声を出して踏み台から飛び降りた愁一は通りに目を配る。
日本で言う正月を迎えるにあたって通りも人が増え、中には通常見かけないような服装の人間も明らかに増えていた。
「日本人多くねえか?」
帰国勧告が出ている最中、正月くらいはと言って日本租界にでもきたのか、やたら日本人が目についた。
女性よりも男性が多く、今見る限りではシャツにズボンを身につけその上から厚手の上着を羽織っている、どう見ても日本人の格好だ。
「中国人が少ないんじゃないかな」
星宇が踏み台を玄関脇に片付けながらやはり通りを眺める。
「中国人は、今それどころじゃねえか」
星宇が片付けた踏み台に座り、爆竹から距離をとって、愁一はタバコに火をつけた。
「ああ…国民党と共産党で潰し合いしてるんだっけ」
星宇にしてみたら、同胞の中国人がお互いの潰し合いをするなんて馬鹿らしいと思える。
しかし、そんなことになってるのも自業自得なんだろうと感慨は何もなかった。
「|星宇《おまえ》も稼ぎどきだな」
タバコの煙が爆竹にまとわりついて庇から流れてゆく。
「正月期間は手当ても上がるからね、頑張るわ」
『世の中金だよね』
などと、イワノフの受け売りみたいにいって、ニカっと笑って見せた。
その時
「そうそう、世の中金持ってる奴が勝ちなんだよ」
と突然イワノフが現れる。
「びっくりした!急に現れん…な」
星宇は最初大声を上げたが、イワノフの手の中のものを見てトーンが下がった。
「日本人が多くて芋よく売れるんだよ〜美味いのが手に入ったから分けにきた」
星宇の手に乗せて、やはりニカっと笑うイワノフだが急に熱い芋を手に乗せられ星宇は大慌てでそれを愁一に押し付ける。
「あちっ!ふざけんな」
とは言いながら、組んだ足の上にそのまま置いて、一本取り出して見せた。
「珍しいな、焼き芋屋がここまで来るのは」
芋を半分にして一方を星宇に渡しながら、愁一は咀嚼しながらイワノフを見る。確かに甘くて美味い。
「お裾分けに…っていうかな」
イワノフは愁一の脇へと移動して
「関東軍のお偉方が租界に入ってきてるみたいだぞ。お前も気をつけな」
さりげなく芋を袋から出してイワノフも齧り付いた。
「ああ、そうじゃないかなとは思ってたわ。今夜店は予約でいっぱいだ。普段ないからな、こんなこと。まあお偉いさんはこんな場末にはこないだろうけど」
なるほどね、とイワノフが店の中を覗き込むと下働きの男女が色々抱えてあっちこっちと走り回っている。
一方通りは、旅行客のような出立ちと反面妙にこなれた男たちが歩いている。
「その辺歩いてるのも、平服着た軍人ってことか。呑気なもんだな、関東軍も」
とイワノフはぼんやりと通りを眺めた。
「ほんとだよなあ…」
タバコを地面に捨てて草履でにじり消した愁一は
「上行くか?」
部屋で詳しい話でも、と誘ったがイワノフは人に任せてるからと帰っていった。
この男の言う『人に任せてるから帰る』は信用できないからと言う意味なので、それは仕方ない、と愁一は1人で部屋へ戻る。
|星宇《シンユー》はお呼びがかかり、2回戦目に行ってしまっていた。
この日ばかりは部屋に誰もいないから、愁一も執筆に専念できる。
今は中国の正月『春節』に向けての日本の雑誌の記事を書いている。
何を書いても上海のいいとこをアピールしなきゃなので、いい加減うんざりしていた。
しかし今回は満州も視野に入れていると編集に聞き、前に鋭泰が言っていた満洲国の話を思い出した。
そんな事本当にやるのかねえ…と思考にふけっていた時に、星宇がやってきた。
「爆竹やろうぜ!どこよりも早く鳴らしたい!」
結構集中していたのか、いつの間にか11時45分になっている。
星宇は既にカンフー着に着替えていて
「早く下いこうぜ!他所に鳴らされたら興醒め!」
二回戦こなしているのに、随分元気だ。
「お前元気だねえ」
「新年はやっぱ爆竹だからね!ほら!行くよ」
もう腕を引っ張られる勢いで立たせられ、あのうるさい爆音を聞かされるのか…とうんざりして引っ張られていく。
玄関に出ると、さすが大晦日でいつもはこの時間静かな通りも人が多かった。
腕時計を見ながら、夕方置かれた踏み台に座り時を待つ。
歩いている人々は、この地の者なら面白がって待っているだろうが、昨日今日やってきた者たちはきっと、あの爆音に驚き戸惑うだろう。
星宇が愁一の腕時計を覗き込み、
「もう59分に鳴らしちゃって良いかな、良いかな」
とワクワクした目で見てくるので『好きにしな』とマッチを渡し、愁一は玄関の中に下がって上がり框に腰かけ直した。
うるさい以外は、この空気感は好きだった。
日本での正月を味わったことは2歳までだったので全く記憶はない。
長春で親子3人で暮らしていた時は、父親の意向で静かな年末を迎えていたのは覚えている。
まあ近隣の中国人が爆竹を鳴らしてはいたものの…だ。多分それがあったから、今でも爆竹は苦手なのだと思っている。
正月料理なども勿論なかったが、ここにきて女将や遣り手が日本の正月を再現してくれて、おせち料理や餅なども出てくる正月は半分入っている日本人の血が喜ぶような気もした。
女将が気を遣って持ってきてくれた日本酒を玄関で飲みながらそんなことを考えている間に、いきなり爆竹の爆音が店の前で鳴り始めた。
ブドウのように吊るされた爆竹の一本一本が、下から爆ぜていく様は見ていて爽快ではあるが、脳に直接響くような爆音は何回聞いても慣れはしない。
火薬の爆ぜた煙の中で星宇がゲラゲラと笑うのが見えるが、大声で笑っているだろうその声すら3mくらいしか離れていないのに聞こえない。
それを機に通りのあちこちで鳴り始め、観光で来たものは耳を塞いでしゃがみこみ、慣れた者たちはやはり笑って走り去ってゆく。
激しい轟音ではあったが、まあそれはそれで笑っていられるほど楽しいことであった。
そして今年は、意外なことが起こったのである。
玄関で爆音を聞いて『耳痛えな〜』と星宇と笑い合っている時に、店の奥から5人ほどの男が股引き姿で服を持って走って来て、
「敵襲か!どこだ!」
とその場で慌てて服を着始めたのだ。火薬の匂いで、玄関まで来ても疑いを晴らすものはいない。
それを見た愁一は思い切り酒を吹き出してしまい、星宇は客の元へ走り、
「ちがうちがう、ばくちくね。これこれ」
と店の中に飾ってあった爆竹の束を指さしていた。
「おおみそか、ちゅごくこれならす。そいうもの。おへやもどてね、あんしんして」
星宇が説明してる最中にも、その者たちの相方の娼妓も現れ『大丈夫ですよ』と腕を取って部屋へと|誘《いざな》ってゆく。
「おもしれえ!軍人炙り出したわ」
涙が出るほど笑って、愁一は今この店に軍人が5人いることが確認できた。
「知らなかったんだね。『敵襲か!』って。まあびっくりはするだろうけどさ」
確かにこのでかい爆竹のことを知らないでいきなり鳴らされれば、銃撃の音に聞こえなくもない。
初めて聞いた軍人なら今のようになったっておかしくはないだろう。
「今までだってこんな時期に軍人いただろうになあ」
それゆえに、今年はこの地に初めて降り立った者達が多いんだなとも伺えた。
「…なんか起こりそうな雰囲気だねえ」
おちょこの酒をクイっと飲み干して、それを持って部屋へ戻ろうと立ち上がる。
「愁一、俺遊びに行ってくるな」
|星宇《シンユー》は、夜中が賑やかなこの日が好きで、大晦日はいつも朝までどこかで遊び呆けてくるのだ。
「ああ、港行くんだろ気をつけて行けよ。リーハンいたら誘ってやれ」
そう言って懐紙に包んだ2元銀貨を放り投げて
「お年玉だ。2人で使え」
と廊下を歩いていく。
「謝謝〜じゃ、いってくる」
星宇は嬉しそうに銀貨を握りしめて、夜の街へと飛び出していった。
部屋で特にやることもなかったが、届けられた女将さんのおせちをつまみに、以前書いた記事の載った雑誌を読み始める。
読んで気づいたが、やはり満州を推す記事は多かった。
「正月を機に空気が変わるようなことがなければいいんだけど…」
いつ作ったのか、良く煮しめられた煮物を口にしながら先日の鋭泰が上野を探していることを思い出す。
「上野さん…なんか絡んでんのかな。命守るために日本戻ったんだろうに」
嫌な空気が澱み始めてきた上海や満州に、不穏な気分にならざるを得なくなった時に、何故だか上野の優しい顔が思い起こされた。
そう言えば、上野が日本へ帰る時に『あと少ししたら、ちょっとした騒ぎが日本でも|上海《ここ》でも起こるかもしれない』と言ってた気がする。
それが今の自分の嫌な勘と一致しなければいいけどな、と思うがそれより
「もし戻ってるならここにくれば良いのに」
と思ってしまう。
しかし鋭泰たち青幇や、中国共産党が忍び隠れているような上海には戻れるわけないか、とも思い一人苦笑した。
少しだけ会いたくなった。
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