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第18話 リーハン/そして再び…
久しぶりに酒を飲んで、愁一は部屋でうたた寝をしていた。
美味い酒と美味い料理で気分が悪くなるはずがない。
部屋の外は、今や軍人たちが一つの部屋に集まって宴会でも始めたのか、軍歌や日本で流行っているのだろう歌が聞こえてきている。
この時期だけは料亭のように店を使い、仕出しの料理なども注文して店の内外は賑わっていた。
うたた寝をして一時間ほど経った頃だろうか。
爆竹を鳴らしたのが午前0時で、その後の記憶が曖昧だったが星宇が叫んで部屋へ向かって来ているのだろう声で目が覚めた。
時計を見たら午前2時12分だった。
「愁一来て!港でリーハンが!」
部屋へ飛び込んできた星宇は、寝そべっている愁一の体を揺らして『起きて!港に来て!』と大騒ぎだ。
「なんなんだよ、急に。リーハンがどうしたって?」
普段からボサボサの短髪をかきむしって起き上がった愁一は、用意していたコップ一杯の水を飲み干した。
「喧嘩!リーハンが軍人と喧嘩始めちゃって!」
リーハンは、元々喧嘩が強くて仲間になってもらったやつだ。
気が小さい割に喧嘩っ早いという特性があり、喧嘩は珍しくはなかったが相手が軍人というのは少し気がかりだ。
元々駐在している海軍陸戦隊の面々ならまだマシだが。
「どの部隊かわかるのか?そもそも俺が行ってなんとかなるのかな」
一応起き上がって泰然 用に買ったコートを着、かつらを持って星宇とともに店を出る。
港と言っても黄浦江に作られた場所なので、歩いて10分ほどだ。
かつらをつけた愁一のことは星宇もわかっていて、これからは泰然と呼ぶだろう。
港へ着くと結構な人だかりができていて、今はもう喧嘩自体はおさまっているようだ。
泰然が人混みをかき分けてゆくと、人だかりの中心でリーハンと陸軍の制服を着た男を何人かの軍人が押さえていた。
二人は睨み合っていて、お互いの頬には少しの腫れがある。
その二人の間にかなり上級の陸軍将校らしい人物が立っていた。
その人物が何かを言うと、その傍に立ったもう1人の海軍の制服を着たこれまた階級章が賑やかな将校が通訳をしていた。帽子を目深に被った海軍将校の中国語はかなり上級者のそれに聞こえる。
【うちの兵が君に失礼なことを言ったんだな】
リーハンは通訳をされてそれを聞き、
「そうですよ。こいつが俺のケツを蹴って、支那人の来るところじゃねえって言いやがったんですよ」
それを通訳された陸軍将校は、リーハンと対峙している軍人に目を向け
【君はどこの所属だね】
と重々しく尋ねた。
【自分は、海軍陸戦隊の任を拝命し、本日上海へと赴任してまいりました】
階級章で少佐とわかる人物に敬礼で答える。
「本来の上海陸戦隊の人は、感じ良いやつ多いのによ!お前なんなんだよ。いきなり人を蹴りやがって」
リーハンも相当怒っているらしく、珍しく怒りが収まらない。
そのやりとりを腕を組んで見ていた泰然は、あんな上級将校が間に入ってるなら悪いことにはならないだろうと、リーハンが解放されるまで人混みを離れて待つことにした。
「え、泰然助けないのか?」
星宇が軽く腕を掴むが
「将校さんが直々に裁いているなら平気だろ。向こうで待ってようぜ」
うっすら聞こえた将校の言葉も差別的ではなかったし、うまくまとめてくれそうだと泰然は判断したのである。
川の方へ向かいながらも、目につくのは屋台の群れだ。
「今日 ってこんなに屋台出るもんなんだな…」
大晦日から元旦にかけての夜遊びをしなくなって久しい泰然は、賑やかな港の様子に目を見張った。
「じーさんみたいだな、泰然」
星宇が意地悪な笑みでいうと
「流石にじーさんはねえわ」
などとその頭を軽くこづいて、足は屋台へと向かう。
「小腹減ったな…何食うかな…」
今日に限っては普段見ない屋台も多く、食事までできそうだ。
「俺、包子 〜」
と、星宇は包子の屋台へ一目散に走り、愁一は丁度脇に差し掛かった生煎包 (焼き小籠包)の店に立ち止まった。
川のほとりに座り込み、二人は買ってきたものを食べていた。
「で、結局何がなんなんだ?」
熱々の焼き小籠包を、付属の紙のレンゲで冷まし泰然はことの発端を聞いてみる。
「そうそうひどいんだよあの軍人。ちょっと聞こえてきた日本語でさ、わかったのが『今日来たばかり』って言ってたんだ。なのにいきなりリーハンのケツ蹴ってきてさ、日本語だし早口で詳しくわかんなかったけど、多分『シナジン ココニイルナ』みたいな意味のこと言ってたようだったよ」
ああ、と泰然はため息をついた。日本人らしいなあ…と言う感想しかない。
しかし中国に来ておいて、中国人に『ここに居るな』は確かに余りに酷い言い草だ。
「だから俺も中国語だったけど言い返したら、その間にリーハン飛びかかって行っちゃってさ」
元々喧嘩っ早い性格をしているリーハンが、蹴られた後の星宇の言い返しで何を言われたかも理解し、着火してしまったのだろう。
「気は優しいのに、リーハン 火ぃつくの早えからな」
面白そうに泰然は笑うが、
「あの軍人も、リーハンよりは小さいけど鍛えられてるだろ。リーハンも殴られてたし、どっちかがどうにかなっちゃったら大変だと思って、泰然呼びに行ったんだよ。笑い事じゃない喧嘩だったんだからな」
『仕事』に於いては冷静に人も殺せるのに、仲間が殴り合いを始めるとこうも怯える星宇もなかなかに微笑ましい。
「お前が殺しに行かなくて良かったわ。偉かったな」
褒めたつもりだが顔が笑ってしまって、泰然は星宇に怒られてしまう。
「あんなゴッツイ喧嘩の中に入るほど、俺はバカじゃないです〜」
『絶対一発は喰らうだろ』と憤然と包子に食いついた。
「確かに、あの二人の喧嘩じゃ俺も止められねえわ」
泰然は、冷めたであろう生煎包 をやっと口に入れて、歯を入れた。『美味いわ…』と感嘆する。
「まあ!そう言うわけでね!きっと俺が泰然呼びに行ってる間に将校さん来たんだろうね」
包子を食べながら、一度例の人混みへと目をやるがまだ人の山は崩れておらず、中は見えない。
泰然もそっちを見るが、遠くから聞こえる中国語のヤジに、日中間の感情の温度差を感じた。
「お、終わったか」
人の山が解けて、中からリーハンが見える。
星宇が手を振って『こっちー』と声をかけると、リーハンも気づいて歩いてきた。
「新参者にコケにされたんじゃあ腹も立つな」
生煎包 の器をリーハンに差し出し『まあ食え』と隣に座るように促す。
「で、どうなったんだ?」
タバコに火をつけて泰然は問う。
「ああ、あいつな明日日本に帰されるらしい」
少し冷めてるとはいえそれでも熱いし、まして生煎包は肉汁溢れる食べ物だ。
殴られた時に口の中を噛んでいたのも忘れて一口で頬張ったリーハンは、熱い上にその傷の痛みも加わりちょっと待てと手を上げて一口を飲み込むまでに顔を歪める。
「さっき見た時より顔腫れてんな。口ん中も切れてんだろ、ゆっくり食え」
と泰然もつられて一緒に歪めていた。
「今日来たのに。もう帰されるわけ?おもろ」
星宇はもう一つ買っていたタンフル(サンザシを薄い飴でコーティングしたお菓子)を咀嚼して、心地よいパリパリ音を響かせていた。
「俺もそれは小気味良かったよ。なんせ言いがかりも甚だしかったからな」
小さな紙レンゲで、リーハンは今度は慎重にそれを息で冷ましながら『ザマァみろだ』と笑う。
「日本人には結構いるよな。中国人下に見るやつ」
泰然はタバコを川へと投げ捨てた。
「港にいると結構それ顕著だよ。しかしあの上級士官はかっこよかったな。きちんと差別なく裁いてくれたわ。俺にもさ…あ、そう言えばこれくれた」
リーハンがポケットから金鎖の懐中時計を出して2人に見せた。
「あの陸軍士官がくれたのか?」
それを手に取って、泰然は時計をあれこれと見始める。
「そうなんだよ。見舞いをって言うから軍人と関わりたくないって断ったら、売れば少しの金になるって言って、くれたんだ」
嬉しそうに言って、リーハンは焼き小籠包を口にした。
「へえ…これ20元は下らないかな」
「え?」
泰然のそんな言葉に、リーハンも星宇も動きを止める。
「ほらここ、18kって。これ本物の金で出来てるみたいだな。多分鎖もな。金は今すげえ高騰してるって聞くし。鍍金 かもだけど。時計の性能もよさそうだし。よくくれたなこんなもの。いいもの貰ったな」
言いながらリーハンに返して、代わりに小籠包を奪い返した。
「へえ〜」
満更でもなさそうに鎖を持って眺めるリーハンをみて、
「俺もあの辺の軍人に蹴られてくるかな」
と星宇が、真面目な顔して言ってくる。
「お前殺しちゃうだろ?」
リーハンにそう言われた星宇は
「俺にも自制心というものはあるんですよ」
と、懐中時計を取ろうとしてリーハンに避けられた。
そんなやりとりをよそに、泰然は新たなタバコをふかしながら先ほどの人だかりが無くなった場所を見る。
そこには見せしめなのか、未だに立たされて2人の将校から説教を喰らっている少尉が見えた。
「抗日が激しくなったら日本帝国軍 はやりにくいだろうからな。そりゃあこっぴどくやられるわな」
口の端を上げて皮肉に笑いながら、泰然は猫のように懐中時計にちょっかいをかけている星宇に、サンザシを一個くれと手を伸ばす。
「そんなようなこと言われてたな。俺に聞こえないようになのか通訳してこなかったけど、俺も少しだけ日本語わかるからな。抗日感情がどうとかって聞こえてた」
言うことはちゃんという将校なんだな、とサンザシの軽快な音を立てながら泰然は、『怒られ少尉』を見つめていた。
「さてと、なんだか新年早々ケチついたけど、焼き芋屋でも襲撃するか」
泰然の提案に2人ものっかり
「女いたら叩き出そうな」
という星宇の言葉には
「いやそこは…」
と残りの2人が牽制し…などと和やかに港を後にした。
しかしその3人の後ろ姿を見送っていた人物がいた。
先ほど通訳をしていた海軍の少佐だ。
【上野君、かの人物は満州か?】
陸軍少佐に問われ、振り向いた海軍将校の制服を着た上野は
【満州近くの租界で待って頂いております。明日朝一番で車で参りましょう】
階級は一緒だが、敬語なのは年齢のせいなのか。
上野はもう一度振り返って、泰然たちの背中を見送った。
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