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第19話 招待
日が明け、日本風の正月が展開されている日本租界だったが、夜蝶楼も正月は昼店も開けている。
昨日の少尉の行いのせいなのか軍人の気配が全く消えてしまった。
それほどでもなかった人々にまで抗日感情を植え付けてしまった可能性を考えての、軍からのお達しなのだろう。
毎年例外なく遊びに来ていた上海陸戦隊の馴染みまで、今日は顔を出さなかった。
「ひでえ営業妨害だな、あの少尉とやらは」
それでも閑古鳥が鳴くほどでもなくそれなりに忙しくしてはいたが、その玄関先の今でいうフロント風な中に座って店番をしている愁一は、去年の売り上げを見ながらため息をつく。
「請求でもしてやろうかな」
ペンを鼻の下に挟んで面白くねえなあ〜と呟いていると、荷物を持った人足が入ってきた。
「いらっしゃい〜…あ、荷物っすか?」
「はい〜。安堂愁一さん宛にです〜」
妙に語尾が長い人足は、丁寧に風呂敷に包まれた箱をそのまま受付台に置く。
「俺に?」
「あ、ご本人なんですね〜。じゃあここにお名前を〜」
懐から出してきた紙に名前を書いて渡してやる。
「では確かに〜毎度あり〜」
と、事務的に帰っていってしまった。
事務的で十分なんだが、自分に荷物が届くなどということはこれまでにないことで、愁一は訝しむ。
箱開けたらドカン、なんてことないだろうな…
恐る恐る風呂敷を解き、箱を目の前にして顎をさすって暫し思案。
箱は重箱だった。
おせち料理なども今日は注文してないし、していたとしても自分宛になど来るわけがない。
「なんだ…?ほんとに」
覚悟を決めて、お重の1番上の蓋をそっと開けてみる。
「は…」
中には艶やかな粒あんと、しっとりしたこし餡のおはぎがびっしりと入っていた。
「これ…は…おはぎ…?」
つい口に出して言ってしまうほど、びっしり入っているし美味そうではあるけれど、特に懐かしいと思うほどではないものだった。
食ったことないし。
「なんだ?」
おはぎの重箱が何段かあるのかと思い、それを持ち上げてみるとその下にはフランス菓子『ガレット』の箱。以前上野がくれた菓子の絵が描かれたパッケージだ。
それを見て一瞬で送り主を察した。
「上野…さんか?」
その箱の上に置かれていたメモ用紙を取り上げると、日本語で
【訳があってそちらに伺えないから、人に頼んで届けてもらうことにしたよ。随分前だがおはぎの話をした時に、食べたことないと言っていたから艦の食事係に作ってもらった。ガレットは星宇くんに渡してやってくれないか。彼の喜ぶ顔を想像している。ではまた、会える日まで。ー兄よりー】
兄って…と軽く笑ってしまう締め言葉ではあった。
しかしそれよりも愁一は、上野が戻ってきたという事実が、何か起こりそうな予感を感じ、胸がざわついた。
密かに流入している日本人。
以前から鋭泰が言っている、自分にもほのかに聞こえている満州で起こり得る事象。
時勢くらいは読み切らなくてはと思う。
正月も4日めになると随分と日常が戻ってきて、愁一もまた部屋で過ごす時間が増えてきた。
例のおはぎは、女将と遣り手姐さんがことの外喜んで、愁一は一つだけいただいてあとはみんなでどうぞと振る舞った。
軍艦の食堂の人が作ったと認識しているが、あんこも甘過ぎず中の米ももっちりしていて中々美味かったなと思い出す。
租界の外では、相変わらず抗日運動や関東軍との角突き合わせた感じで国民党も沸き立っている。
今度の執筆の依頼は、満州・上海の住みやすさを書いて欲しいという滞在記のようなもの。
「滞在って言ったって…俺日本から移住してきたわけじゃないしなあ」
流石に書くのを躊躇われる内容だ。
それに今の空気感で、上海及び満州への旅行やらには来ないほうがいいとしか言えないし。
今回は断ろうと決めて立ち上がり、散歩ついでに焼き芋屋とリーハンの様子でも…と思ってコートを撮りに窓へ寄り、ふと通りを見おろして見てギョッとする。
鋭泰のフォードが店の前に横付けされていて、運転席のドア前にハオレイが立っていた。
「あいつら!」
なんでここに!と思う間も無く慌てて階下へ走り、店の玄関まで行くと目の前でフォードが去って行ったところだった。
「はあ?なんなんだよ」
既に店の前からはいなくなった、フォードがあった場所をみつめ舌を打つ。
受付で今日の店の予約確認でもしていたのだろう、女将が洋風の封筒を手にして、
「せんせ。これさっき立派な車で来た人が渡してくれって」
と、愁一へ渡してくる。
「どうも。他になんか言ってなかったすか?」
「え?別に。ただこれを安堂さんにって。ちょっと気色悪い人ですねえ」
ーくそ、名前まで握られたー
「そっすか…なんでしょうねえ…おっかね。今時フォード乗ってる一般人いないっすよね、ああ怖い怖い」
わざとらしく聞こえてしまうとはわかりつつ、そんなことを呟きながらなんとか部屋へ戻り封筒を開く。
『兼ねてよりお約束していた食事の準備が整いましたので、ご招待させていただきます。
1月7日18時より 南京路の『好蟹楼』でお待ちします。
楊 鋭泰 』
「3日後じゃねえか…嫌な予感しかしねえ…」
3日前に上野が上海…かどうかはわからないが中国には戻ってきているらしいことを知った矢先の話だ。
きっとまた上野のことを聞かれるだろう。
自分は中国共産党とも国民党とも、まして関東軍などとも関係ないと思って生きてきているから、上野のことを聞かれてもまったくわからないのが実情だ。
鋭泰がそう聞いてくる理由の当たりをつけるとするならば、やはり『満洲国建設』辺りなのだろうが、例えそうだったとして、自分には何も関係がない。
「いい加減この手の話やめてえんだけどな」
人様の腹の探り合いに巻き込まれるのもごめんだ。
1人呟いて、手紙をくしゃっと握り込む。
「まあでも…高級料理屋で蟹は魅力的だな…」
などと呟きつつ、そんな高級店に来ていく服あったかなと服をかけているハンガーラックへと足を向けた。
鋭泰 がよこすという迎えの車を、夜蝶楼 から少し離れたところに指定して乗り込んだ愁一は、招待された高級料理店の前に立ってため息が出た。
前はよく通るが、およそ庶民には縁のない高級な上海料理レストランだ。
上海蟹が美味しいと評判で、いつかは一度…と思っていたこともあり蟹に釣られてきたものの気後れはする。
今日の出立ちは、なんとか調達した青いシルク織で一部手縫い刺繍の柄が入ったチャンパオに、同色のシルクのズボンを履いてきた。
好蟹楼へ行くと言ったら女将と遣り手が本気を出して髪も整えてくれて、出がけに会った星宇すら自分だと最初気づかなかったほどだ。
「えーーーっ!好蟹楼 に上海蟹食いに行くのか?俺も行きたい〜〜」
という星宇の声がまだ耳に新しい。
店の前で2、3段の階段を登っていると正面のドアが開き、黒のスーツを着た初老の男性が
「お連れ様がお待ちでございます。お部屋までご案内いたしますのでどうぞ」
と頭を下げてドアへ入っていった。
『馴染まねえぞこれ…味わかるかな…』
かなり緊張して男性に続く。
店はもう営業をしていて、店内には4組ほどの客が席についているのが見えた。
すれ違ったボーイは軽く頭を下げ、そのトレイの上の料理からほのかに香るスパイスが鼻腔をくすぐる。
男性に連れられて店の左側から通路へ入ってゆくと、左右に一定の間を置いてドアが並び、赤いカーペットはふかふかしていて革靴の音を立てさせない。
赤い中国風の飾りが下がった壁の照明をいくつか数えてから、男性は
「こちらでございます」
とドアを開け、先に愁一を中へと誘 った。
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