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第20話 好蟹楼にて 2

「愁一、お前日本人とのハーフと聞いてるが」  鋭泰は、もう愁一の日本名を隠さずに言うようになっている。  愁一はそれにも内心舌を打っていた。  先に作っていいよ、と調味料を回して鋭泰は紹興酒を注文する。 「そうだよ。でも2歳からこっちからだから日本の記憶なんてないな」  手元の器にネギ醤油や酢を混ぜ入れて、ターンテーブルを回してやる。 「私はね、実はフランス人とのハーフなんだ」  意外なことを聞かされ、思い当たることがあり顔を見た。  鋭泰はいつでも黒い…いわゆるマフィアグラスと呼ばれる丸いサングラスをしかけている。  今も室内なのに付けていて、それを見慣れているせいか気にはならなかったが確かに変だ。  それは多分…。 「なんだ、顔色悪いと思ってたのは白人の血だったんだな」 「言ってくれる」  鋭泰は苦笑して、サングラスを外した。 「気になってただろう?今」  案の定見透かされたが、それが気にならないほど鋭泰の目に惹きつけられる。  瞳が蒼いような緑のような実に綺麗な色なのだ。 「綺麗な色だな」  顔立ちは比較的東洋人なのだが、目がその色だから逆にエキゾチックな雰囲気を醸す。 「これがコンプレックスでね。この目の色はフランス人の血の証になってて実に不愉快だ」  再びサングラスを付けて、器にソースを作り先ずは海老の揚げ物を口にした。 「俺みたいな東洋人ハーフと違って、かっこいいと思っちまうけど」  先に口にしていた愁一は、海老に弾力があり実に美味いと嬉しそうに噛みしめる。 「そう言う人は多いな。フランスいいなあとね」  自分も現にそう言ってしまったが、鋭泰のその言い方だと思い出したくない過去でもあるようだ。 「フランス人は、露骨な差別主義者でね…」  愁一はどっかで聞いた話だなと鼻を鳴らして料理を終わらせる。 「だいたい察しはついた。言わなくてもいいぞ」  エビチリが届きそれが各々の前にサーバーされる間、鋭泰は黙っていたが、給仕が部屋を出ると 「大した家柄でもないと聞いているが、母の家族は中国人の子を宿した母を 暴力で制裁した。子を流すような暴力だ」  堰を切ったように話し始めた。 「母が腹の中の私を守って暴力を一身で受けたことも、母の家族(あいつら)は気に入らなかったらしく、家を追い出し、そしてフランス租界からも追い出したんだそうだよ」  一応は止めたが、誰かに話したかったのだろう。  愁一は、聞いてやることにした。 「父の事は、母は何も言わなかった。どこの誰とも私は知らない。それからは母は、元々歌手だったこともあり外灘の店で歌って私を育ててくれた。美しく優しい母だった。」  語りに聞き入ってしまい食べるのを忘れていたが、エビチリの立ち上る香りに気付いて愁一は箸を持った。  適度な甘み、酸味、そして辛味が程よくてやはり小さく『うま…』と言ってしまう。 「美味いなこれは」  鋭泰も、淡々と話す中でこの美味さがわかるようで愁一も軽い安堵を覚えた。 「しかし母は、歌っている店で母のファンというのだろうか…そんな男に何度も殴られて脳に障害を負ってしまったんだ。その時わたしは10歳だったよ。手術が行われ、三日後くらいに顔が腫れ上がった母と対面させられたが、その時はもう私がわからなかった」  理不尽すらまかり通ってしまう時代だ。  租界ではよくあることではあると思うことしかできない。 「その男は母を独占したくて、醜くなれば自分の元へ居てくれるだろうという身勝手な犯行だったんだ。だから私も身勝手にその男に復讐しようと思った」  どうやらその男はフランス人で、母親の暴力事件も列強の強権において事情聴取のみで解放されたと鋭泰は言った。  鋭泰の箸を持つ手が震えていて、愁一は水を口にしながらそれを冷静に見つめる。  鋭泰は、箸をおいて椅子へ寄りかかり、一息入れて話を続ける。 「母は死んじゃいないんだ。後遺症でいまも病院にいるよ。月に一度くらいで会いに行ってるが、毎回『你好』だよ」  苦笑しながら紹興酒を注いで、一つをターンテーブルで愁一へと送ってくる。  受け取った愁一は、杯をあげて小さなそれを飲み干した。  テーブルを回して愁一のグラスにもう一杯。 「それでな、やっとの思いで探し出したんだが年齢的な体格差はどうにもならなくてね…殴り倒すことは無理だったんだよ。だからね……刺してやった」  そう言った瞬間の鋭泰の顔は晴れやかだった。 「背は高い男だったが痩せ型でね…何度も背中や腹を刺したら運良く馬乗りになれたよ。だからね…」  手で箸を握りなおして、何度かテーブルをコツコツと5回叩く。  どう刺したのかがよく伝わった。 「それを…青幇の幹部に見られていて、その日のうちにその人に引き取られた」  そこからは、箸を持ち直しエビチリを猛然と食べ始める。 「世話になったんだ、青幇には。刺したことも咎もなくしてくれたし、私を引き取った人は大ボスにも顔が通る人で、その人の言うことならなんでもやった。世話になる以上やらない仕事があってはいけなかったからね」  咀嚼して飲み込んでは話を紡ぎ、愁一はなんでそんなに自分に聞かせてくるのかを疑問に感じ始めていた。  最初は誰かに聞いて欲しいんだなとは思っていたが、少し狂気を感じる。 「私は青幇(組織)にそれからの人生を捧げて来たんだよ、泰然(タイラン)」  急に仕事の名前で呼ばれて、嫌な気配が背筋を走った。  鋭泰はナプキンで口を拭い、紹興酒を一杯空けるとナプキンを椅子において立ち上がった。  それに警戒心を抱き愁一も立ち上がりかけたが、鋭泰が手のひらで制して来たことで動けなくなった。  鋭泰は愁一の後ろに立ち両肩に手を置く。 「私には組織しかないんだ。そこが生きる場所であり死んでゆく場所なんだよ」  肩に置かれた手が胸の方へと下がって来て、まるで後ろから抱きしめられる形になった。  愁一の耳元に鋭泰の口が寄せられていて、今まで感じたことのない恐怖とおぞましさが愁一を支配した。  おぞましさだけならば、自分の過去にこんな男はいくらでもいた。が問題はこの狂気である。  殺されることはないとはなぜか確信できるのだが、この狂気の気配がどうにも思考を妨げる。  それでも愁一には冷静を保つだけの胆力があった。 「泰然…仕事を一つ引き受けてくれないか」  愁一は黙ってナプキンで口をぬぐい、身を椅子へ寄りかからせた。  狂気に従う。 「もしもお前が上野とこういうのでなければの話なんだが…」  鋭泰の手が胸を這い、腰まで入ったチャンパオのスリットの中から何も付けていない肌をまさぐられた。 「お前こっちの人なのか。知らなくて悪かった」  されるがままにして、愁一は頬の脇の顔に目だけを向ける。 「いや?私は女性が好みだよ。ただ君が、上野とこういう関係なのかなと思って、探りをね」  腹を撫でている手は胸に上がって来て、突起に触れてきた。  こうされるのもすでに何年ぶりかなので、愁一にはそう言った感情は何も起こってはこない。 「上野さんと俺が?まさか、そんなことあるわけがない」  しかしそう言われて、上野が希佳と共に日本へ向かうときに『次に会うときには愁一くんを…』と言う上野の言葉を声ごと思い出し、その上『それを(まじな)いに…』とも自分も言ったことも思い出して気恥ずかしくなった。  その指が上野の指だと勘違いする前に、チャンパオの上からその手を制する。 「本当に?」  またしても耳元で問われ、触られるよりもそっちのほうが苦手だ。 「本当だよ。俺はあの人のことは兄貴としか思ってないし」 「ふうん…」  また何かを見透かすようなそんな短い返答をして、鋭泰は服の中から手を抜くとその手で愁一の顎を捉える。 「じゃあ…」  鋭泰は少し顔を離して愁一を自分へ向けると 「上野を殺してくれ」

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