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第21話 暗殺依頼 是か否か

 そう言ったサングラスの上から覗いた蒼い目が、感情を刺してくる。  息が詰まった。  上野さんを…殺す?俺が?  言葉にできない苦しい感情が湧いた。  それは一瞬と呼ぶにも短い時間だったと思う。 「それは…受けらんねえかな」  平静な声が出せてホッとした。  そしてじっと目を外さずにいた愁一を見て鋭泰は起き上がり、また両手を肩へ乗せる。 「何故?どんな依頼も受けるんじゃなかったか?なかなか評判がいいんだよ君たち…、腕が立つと」  『たち』と言うからには星宇のことも知っていそうだ。  どこまで知っているのか。少々青幇を舐めていたな……。いや、青幇というよりこの鋭泰を…ということか…。  だが今湧いた感情もそうだが、自分に上野は殺せないと思う。  私情が絡みすぎている。 「お前が無理ならば、ほかの仲間にやらせたらいいじゃないか…私は上野がこの世からいなくなればいいんだから…100元※出すよ」  愁一の眉が動く。  イワノフが飛びつきそうな額だが、問題は金額ではない。 「随分な大金だな。お前にとって上野さんは、そこまでして消す価値がある人なのか?」  鋭泰は肩に置いた手に力を込めた。 「十分あるね…目障りなんだよ、あいつのことが…」  肩に置かれた手に少しずつ力がこもってくる。 「あいつのせいで私の組織が今狂ってきている。あいつがいなくなれば、私の組織は目を覚まして日本に加担するようなことはなくなるんだ」  肩を握り込まれて、痛みに顔を歪ませた愁一だったが言っていることが理解できないでいた。  青幇が日本に…加担?軍なのか日本国になのかそれもわからない。 「どういうことなんだ?青幇は日本に下ったのか?」  そう問うと 「そんな訳がないだろう。我が組織は最大にして孤高だ」  愁一は頭を巡らせるが、どうしてもこの狂気が思考を妨げる。  上野暗殺などは自分には勿論できることではないのだが、しかしこの鋭泰の反応は…。  ここは一旦引いたほうがいいかもしれない。愁一はそう判断する。 「なあ鋭泰。この話は一応仲間とも相談してくるよ。俺自身は無理だけど、お前が言うように仲間ならわからんからな」  鋭泰の表情が明るくなった。 「じゃあ」 「引き受けると断言はしないぞ。でも仲間次第では…って言うことにしておいてくれ」  肩に加わった力が取れ、鋭泰が愁一の脇に跪く。 「3日だ。3日待ってやる。まあ断ったとしてもお前たちに危害は加えないから安心してくれ。他に頼むだけだから」  そう言って立ち上がり席に戻りながら 「君達が馴染みのよしみで丁寧に上野をやるか。全く知らない誰かに雑に上野をやらせるか…。この2択しかないからね」  『何があっても上野さんは排除する気なんだな…』と言うのは伝わった。  そんな間にドアが開いて、こんな話がなければ待望だった蒸した上海蟹が運ばれてきた。  さっきからどうもタイミングよく食事がくると思ってたら、やはり鋭泰がボタンで呼んでいたらしい。  鋭泰が席についた途端にやってきた上海蟹は瞬時に部屋の香りを制し、ターンテーブルに置かれた山盛りの量に圧倒される。  上野暗殺の2択を迫られ、一瞬蟹を諦めて今度こそ帰ろうかと思ってはいたが、そこも読まれてしまっていたらしく先手を打たれてしまった。 「お待ちかねの上海蟹だよ。たくさん食べて欲しくて多めに注文しておいたから食べてくれ。雄も雌も取り揃えてる」  上海蟹は、雄の方が味噌が多くて好まれるが、雌の卵も捨て難くてどちらも人気ではあった。  自分で割って食べるのも醍醐味ではあったが、ここではチャイナドレスの女性がすべて捌いてくれて、目の前に新しく置かれた皿に食べやすくしておいてくれる。  目の前に出されたら食べないわけにもいかない。  二人は無言で蟹を味わった。  蟹を食べるときは無口になりがちなのは万国共通なのだろうか。 「君は黒酢は付けないんだな」  呼びかけ方が『君』に戻って、最初は慣れなかったが愁一は安心する。言うだけ言って、気が落ち着いたか。 「黒酢は好みだろうな。付けても美味いけど、蟹の味がいいから何も付けなくても美味いよ」  黄色い卵を啜って堪能する。  戻ってから色々話し合わなければならないことは、多少気にはなったけれど、まあ…蟹が食えてよかったとしよう。  そこからはほぼ無言で蟹を食べ、デザートは本当に他愛もない話でやり過ごした。  帰る段になり、鋭泰は店の入り口まで送りに来た。  店を出る時に、最初に案内してくれた老紳士が何やら温かい箱を手渡してくれ、何かと思ったらさっき味わった芳醇な香りがする。 「蒸した上海蟹だ。帰ったらみなさんでどうぞ」  鋭泰がそう言って、『それじゃあ』と手をふる。  老紳士がドアを開けてくれて、外に出ると店の前にはハオレイが待つフォードが停っていた。  すっかり夜になっており、一月の空気が肌を刺す。 「美味かった、ごちそうさま。土産まで感謝する」  白い息を吐きながらそう言って、愁一はステップを降りてハオレイが開けてくれたドアへと潜り込む。 「3日だからね」  腹も満ちて、いい気分で…とまではいかないがそこそこ気分良く帰れると思ったところでそう言われ、和んでいた中に一滴のカンフル剤をぶち込まれた気がした。 「へいへい。期待しないで待っててくれ」  そう言った直後に、『頼むわ』とハオレイに告げフォードは静かに動き出した。  (※ 100元は、今でいうと150万〜200万ほど。当時は大金)  ジュルジュルと、先ほどの食事とは段違いに賑やかな音を立てながら、高価な上海蟹の残骸が新聞紙の上に山積みになってゆく。  まだほんのり温かい上海蟹の香りが、狭い焼き芋屋の奥の部屋に充満していた。 「いやあ〜悪いね泰然。こんな高価なもの」  焼き芋屋のイワノフが、卵を啜ってニコニコと壁に寄りかかる泰然へ微笑んだ。 「それにしてもお前、最初誰かわからなかったぜ」  リーハンも力任せに蟹をちぎり、みんなが食べやすいようにしてくれている。  蟹は10杯も入っていて、3人が食べるには十分過ぎる量だ。  泰然は送ってもらった車を港に寄せてもらい、まずリーハンを呼びに行った。  3日と期限を区切られた以上、帰りにでも話し合いを始めないとと思い、まずリーハンに声をかけ、一緒にイワノフの焼き芋屋へ向かった。 「どこの金持ちの坊ちゃんかと思ったよ」  リーハンの住むところは人足達の言わば『寮』の様なところで、二階建てのコンクリートの建物の中は、まだ夜の8時9時には遊びに行ったり帰ってきたりの人足達の出入りも多い時間帯だ。  泰然もついそんな格好で行ったものだから、好奇の目で見られて後悔したものだ。  リーハンは思い出しても面白いと笑っている。 「あんな店に誘われるこっちの身にもなれってんだよな!服から選ばせやがって、鋭泰のやつ」  無駄な出費したわ、と泰然は憤る。  レストランで十分に上海蟹を味わってきたからと貰って来たものは仲間にふるまい、自分は一歩引いて壁に寄りかかって眉を顰めていた。  蟹なんて、こんな風に食べた方が美味いに決まってる。  堅苦しいマナーなんか必要はない。  マナーについて聞かれた時に誤魔化したのは、娼妓であった時に特に気に入られた軍人に躾けられたからだった。  自分に見合うようにと勝手に躾をしてきた男で、マナーもその男が叩き込んできたものだ。なんならフレンチもこなせる。  だから、自分が昔娼妓だったことや、躾けられたなんてことは口が裂けたって鋭泰には言えるわけがなかったのだ。  だから、こんなふうに食べる仲間が愛おしく感じる。 「で?上野さんと言う人を殺れって言う依頼を鋭泰(ルェイタイ)から受けたって?」  イワノフが口に入った蟹の甲羅の欠片を指でつまんで新聞に捨てながら、壁の泰然へ顔を向けた。  この4人の中で、上野と面識があるのは泰然と星宇だけだ。  イワノフもリーハンも上野のことは知らない。  もっともリーハンは大晦日のあの通訳だと伝えたので、本人自体は知っていることになるが、顔も覚えてないらしい。 「受けちゃいねえよ。一応相談してくるって言っただけだ」  どうにもできなくてそう言うしかなかったあの場を思い出す。 「上野さんは一体何をしてるんだろうねえ」  蟹の慣例で黙って貪り食っていた星宇が、やっと満足したのか話し始めた。 「俺も以前からそれは考えてるんだがさっぱりだ。その情報をまず集めてもらおうって言うのもあって焼き芋屋(ここ)にきたんだけど、なんか知ってるか?」  イワノフは蟹の味噌を箸でついばみながら、ああ…と、少々うんざりした声をあげた。

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