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第26話 再会
「久しぶりだね」
以前と同じ様に濃いグレーのコートに白いマフラーを綺麗に襟にしまいこみ、ハットを被った上野が、また以前と同じようににこやかに近づこうとしてきた。
愁一は2歩下がり
「近づかないでください。来たら撃ちます」
銃は構えるが、どうも強気に話せなくて敬語にはなってしまう。
しかし今の上野をどこか信用することができずに牽制する。
たった今、自分がここで日本人を殺すことになった一件にしても、アヘンが関東軍に流れている件にしても、全て上野が関わっているとしたら全くもって信用できない人間だ。
上野は目の前に横たわる、まだ首から赤いものを流しているものを見おろして、
「この人、星宇くんを追い込もうとでもした?」
ピリピリしていそうな泰然…いや、愁一を少しでも解放しようとそんなことも言ってみるが、愁一はじっと動かず銃口を上野に向けている。
上野は苦笑して両手を上げた。
「随分警戒されてしまった様だね。私が君に危害を加えるとでも思うのかい?」
相変わらず飄々としやがってこのおっさんは!とも思うが、何一つ変わっていない姿を嬉しく感じてしまうのは否めなかった。
会わなくなってまだ2ヶ月ちょっとくらいではあったが。
「私について色々気付いてしまったこともあるみたいだけれど、民間人に手を出すほど落ちぶれちゃいないよ」
「組織的に落ちぶれた認識はあるってことですね」
上野はハットを上げて愁一を見つめた。
「私の何を知った?」
冗談であげた手は早々に下げて、上野はタバコを取り出し火をつける。
「実際には何も…ですよ。ただ入ってくる情報を総合して思いつくことが、あまりにロクでもないことだらけなんでね…。それにあなたが関わってるのか、と想像するくらいです」
上野のタバコの匂いが届いてきて、『懐かしく感じるものだな』と、愁一は思う。
「はは、ロクでもないことか。確かにね。確かにロクでもないことしてるかもだな」
上野は見知らぬ亡骸の血だまりにつけたばかりのタバコを投げ捨て、|死体《それ》をうまく避けながら愁一に近づいて来た。
「近づかないでと言いましたよ」
3歩下がりながら、愁一は両手で銃を構える。
「君が、何かあれば躊躇なく銃を撃てる人間だということはわかってるけど、私は君に何もしないし、なんで私を恐れているのか知りたいだけなんだよ」
恐れているわけではないが…。
「じゃあ答え合わせしてくださいよ。今起こっている事案に、あなたがどれだけ関わっているのか。内容によっては信用できないだけですよ」
上野は愁一の牽制をも構わずゆっくりと近づいてきて、ジリジリと数センチずつ下がってゆく愁一に正面から対峙し、両手で握っている銃に手をかけ
「取り敢えず…これを下ろしてみようか」
静かにその手を下げた。
シリンダーを抑えるわけでもなく、いつでも撃って良いと言うスタンスは保ちつつ…だ。
愁一はされた通りに銃を下ろし、上野の逆の手から差し出されたタバコに目を落とす。
「一息いれよう。仕事終わりに急に悪かった」
タバコを取り出して口元へ持って来られて、愁一は慌ててそれを左手で受け取った。
上野も自分でもう一本加えて火をつけてから、その火を愁一へ向けてきたので愁一も咥えて火をつけた。
銃は未 だ右手に握られていたが、それが安心ならそうしていなさいという余裕が、愁一には少し悔しい。
肺まで煙を吸い込み、そして吐き出す。
いつも上野から掠めて吸っていた日々を思い出し、タバコを吸うという当たり前の行動が、少し体の力を抜けさせてくれた。
「ここまできたなら、君の質問には答えられるだけ答えたいとは思うけれど?」
誰もいない深夜の路地裏で、1mほどの距離で向かい合って話しているものだから、そんなに大きな声で話している訳ではない。
だからと言って軍の行っている事を、本当に話してくれようとしているのか、それは怪しかった。
「あんた…命狙われてますよ」
直球で、先ずは知らせなければいけない事を告げる。
「青幇だろ?君と別れる事になったのもそうだったじゃない」
「変な言い方すんなよ」
嫌な言い回しに、思わずタメ口が出てしまった。
それに上野はあははと笑って『事実だよ』とタバコをふかした。
「楊鋭泰だろう?」
その言葉で目線を上野に戻す。
「知ってんですね」
「そのくらいはね。職業柄」
上野は煙に目を細めた。
勘や多分だったことが、本人の口から聞かせてもらって確証に変わる。 やはり上野は特務の人間だった。
「鋭泰 、俺にあんたの暗殺を依頼してきましたよ」
それに上野はふっと笑みをこぼす。
「君にはあまり無い『隙』を狙ってきたねえ」
自信家か?と愁一も思わず笑いがこみ上げる。
「俺の隙ってあんたなんですかね」
「さあねえ。私には何とも」
上野は振り向いて、また血だまりにタバコを投げ捨てた。
灰皿扱いだ。
「ま、お察しの通り受けませんでしたけどね」
愁一は足元にタバコを落とし、靴の裏で踏み消す。
その後鋭泰が他所に依頼をしたのかどうかまではわからないが、上野はいまこうして目の前に立っている。まさか…と思いつい足元を見ると、
「幽霊じゃないぞ」
と今度は歯を見せて笑ってきた。
「ああ、いや。あいつ俺が断ったら次が上野を狙うだけって言ってたわりに何も無いなと思ってたんで」
上野は大袈裟に肩をすくめて
「ここまではなんの気配もなかったね」
とおちゃらけて見せた。
「まあ…無事で何よりでしたよ。今回…坊さんを襲撃した一件は、どうやら関東軍が関わっていると、さっきのあいつが言ってたんですけどね…ほんとすか?」
先程から蔑ろにされている日本人の遺体を、顎をしゃくって愁一は指し示す。
それに上野は答えずに、不意に
「愁一くんは…『満洲国』って耳にしてるかい?」
と聞いてきた。
愁一がずっと懸念事項として頭の隅にあった言葉が上野から聞こえてくる。
話をはぐらかされたのか、それともこれから答えが出てくるのか…、愁一はしばらく話に付き合うことにする。
「それ。それがずっとつきまとってくるんですよ。鋭泰がよく言ってくる。これなんなんですか。まさか満州を…」
コートのポケットに両手を入れて、上野は
「関東軍は、満州を国として立ち上げその国を丸ごと日本の支配国にしようとしているんだよ。それが満州国の実態さ」
「中国本土に日本を作るってことすか…」
流石に呆れて口もあく。
「有り体に言うとね。でも、満州は元々清国が治めていたのは知っているだろう?満州族の彼らは、中国に接収されるのを嫌がっててね」
話をしている間にしとしとと雨が降り始め、上野は愁一を壁際へと連れて行った。
多少は違うだろう。
壁に寄りかかり向かい合って話す。愁一は通りに背を向け左腕を、上野は右腕を壁に沿わせた。
「日本に治めてくれ、と言ってきた訳では無いけれど嫌がっている訳でもない。今では日本人もたくさん住んでるし、意外とうまくいっているんだよ」
だからって…と愁一は思う。
満州も抗日の勢力が強いことは肌で知っている。
うまくいっているなんて言うのはどんな日本目線なんだ。
大体そんな事になったらあの関東軍だ。支配国どころか満州が傀儡国になるのは目に見えている。
良いように中国を支配して行こうという橋頭堡なのではという懸念しかない。
「俺は昔満州にいたんですよ…。俺の親父は…満蒙思想に感化されてその活動に行きました。家族捨ててね」
三、四年ほどの付き合いだが、愁一が自分の過去を部分的にでも上野に話しのは初めてだった。
「それに半分日本人だからって理由で、酷い抗日にも身をもって遭いましたからね…だから上手くいってるなんてのは、俺には通用しませんよ」
少し過去を思い出したのか、引き攣った笑みを浮かべていた。
「そうだったんだな…。君も大変な思いをしてきたんだね」
上野は持っていたタバコを勧めたが、愁一はそれを断り上野も吸わずにポケットへと収める。
「そんな目にあっていたら、私の話は嘘っぽく聞こえるだろうけれど、まんざら嘘でもないんだよ。私たちもきちんと筋を通している。満州族の人たちはちゃんと話し合いに臨んでくれたし、対話をしてきたつもりだ」
筋を通すってなんだ…と思う。
どんな筋があるっていうのか。
「その話し合いの中で、国に仕立てる時の上に立つ人間を選ぶ段があってね、そこは満州族から選ぶことを条件にしたんだ。彼らの要望を取り入れたんだよ。彼らの『希望』とする人材をね」
そんなのはただの欺瞞じゃないのか?
満州族の人が望んでいる上に立つ人間なんていうものは、もう元々の清朝の皇帝しか…
「え…?まさか…」
「わかった様だね。清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀氏を国の代表に据える事が決まっている」
愁一が呆けた顔をしても仕方がない。
欺瞞だとしても壮大過ぎる…目眩がしそうだった
「それをずっと進めてきたのが…」
「そう私だ」
今まで推測でしかなかったことがきっちりと型にはまるように確証となり、愁一の力が一気に抜けた。
「あんたが忙しかった訳が、やっとわかりましたよ…」
もう笑うしかなかった。
鋭泰が言っていた『上野 が優秀すぎるから』という言葉を思い出し、そりゃあそうだろうなと、色白の顔を思い出す。
関東軍が旧清朝関係者と…とも言っていたのも鋭泰だったしな…。
しかし…、満洲国の立ち上げや、それに付随する交渉。そしてきっと関東軍との折衝もあっただろう。
それの全てを上野が仕切っていたとしたら、それは鋭泰の嫉妬の対象となってもおかしくはない。
鋭泰自身も、青幇 の中でこうありたかったのだろう。それは本当に推測でしかなかったが…。
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