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第27話 暗殺者

「それでさっきのお坊様襲撃の話だが…君だから言うけれど君の推測通り、あれは関東軍の奸計だ」  想像はしていたし、あの遺体(日本人)も言っていたので驚きはしなかったが、よくもまあ同じことを繰り返して中国かき回してんなあ、程度の怒りは湧いた。 「私が一時的に日本へ帰った時に、満洲国建国の話は陸軍と海軍の間でも話し合いは紛糾したんだよ。九・一八のきっかけとなった柳条湖の様な愚策はやめるべきだとも言ったんだがね…関東軍は本当に聞く耳を持たなくてね…」  それまでも色々あったんだけれど…と上野は呆れたように壁に寄りかかる。 「坊さんの襲撃には、直接関与はしなかったにしろ星宇も関わっちまいましてね…それであいつ殺る羽目になったんですよ…」  再び遺体へと顎をしゃくった。 「なるほどね…間接的にでも君たちにも影響が出てしまっていたのは謝る…私の力不足だな…あの日本人にもな…」  そう下手に出てこられても戸惑う。 「お坊様の襲撃は、満洲国建国の目眩しの一環として行われたものなんだ」  目眩し…?愁一は上野の横顔を見上げた。 「今普通に話してはいるが、満洲国建国などと言うのは一般には知られていることではないだろう?しかし徐々に流れ出ていてね、中共や国民党なども少々ざわついてきてるんだよ」  当たり前のように耳にしていたから失念していたが、確かに自分の耳に入れてきたのは情報通の青幇幹部の鋭泰しかいない。  それで目眩しとは… 「以前、店で君と離れる時に言った言葉を覚えているかな」  愁一は一瞬考えて、 「そういえば、何か大きなことが起こるから生き延びろ…というやつですか…?」 「そう…私的にはもっと早く起こると思っていたからああ言ったけれど、いままでなんとか引き延ばせていたんだ。しかしもう限界でね…。今回のお坊様の一件をきっかけに、近々上海で本当に大きなことが起こるから…今度こそ生き延びることを考えてくれ」  当事者の軍人から聞かされることほど信憑性のあるものはない。 「その混乱に乗じて、関東軍は満洲国建国を宣言するだろう。それが目眩しという意味さ」  コートのポケットからタバコを取り出した上野は、一本口に咥えた。 「大きな騒動が起これば、うっすら聞こえていた『満洲国建国』なんてものはやらないと思うだろ?」  何が起こるかはわからないが、それでも本当に汚い思考で行動してるんだな関東軍は…と愁一も思わざるを得ない。 「実際満洲を立国すること自体は、さっき話した通り私は是としているんだよ。そして我々としてはそれで一つの終わりとしたかったんだ。満州を国として建てて、そこで暮らしていける人がいればいいとね…。そこを足がかりにしての中国進出は望んでいなかったんだが…」  タバコを咥えてマッチを擦った時、その灯りで見えた上野の表情は少し辛そうな…諦めたような…そんな感じに見えた。  最終的に上手くはいっていないのが伝わってくる。 「そこも関東軍ですかね…」  愁一はとりあえず銃をベルトの腰に差して、自分のタバコを取り出し上野の火の残りでタバコをつけた。  愁一の問いには、声で答えはなかったが鼻で笑ったような息が返ってくる。  その応えに愁一は『まあ…全て上手くいくなんてことは…ないだろうな…。いくら上野さん(この人)だとしても…』などと、路地裏から見える細い空にタバコの煙を吐いた。雨はこやみになっていた。  きっと満洲国は自分が思っていた通り、モンゴルまで侵攻する足掛かりになるのだろう。  しかし上野は、そうならないように動いていたと明言していた。  愁一は何故だかそれに少し安堵した。  そしてもう一つ聞いておきたかったことを思い出す。   「上野さん、もうひとつ聞きたいことがあるんですよ。今の話で大体検討はついたんですけど、関東軍が買い漁っていたアヘン…」  そう言いかけたとき…後ろから走ってくるような足音が、愁一にも聞こえた。  それに咄嗟に振り向きかけた瞬間に、愁一の身体は上野によって横に突き飛ばされる。  声を上げる間に転がされ、『一体なんだ』と体勢を整えた瞬間に愁一の目に入ってきたものは、一人の小汚い男を腹に抱えている上野だった。 「上野さん!」  『さっきの足音のやつか!』と走り寄ると、思ったよりも小柄な男は小さな声でずっと何かを呟きながら上野に抱きつき離れない。 「何をしてる!離せ!離れろ!」  あまりに密着しすぎていて、髪を掴んで引き剥がそうとしてもなぜかその男はびくともしないで上野にしがみついていた。  愁一は、この男は自分を狙ってきたのだと思った。  様々な人を消し込んできた身としては、恨みの一つや二つや三つ…は、あるだろう。  だからそれで上野に迷惑はかけたくはなかった。 「俺だろう狙いは!離れろ!」  男を少々乱暴にでも離そうと、抱きついている腕を引き剥がすため手首を掴んで捻ろうとした時、上野の口から苦しそうな声が漏れる。  その声に愁一は動きを止めて手の方を見ると、男の手はナイフを握っており、そのナイフは上野の脇腹に根元まで刺さっていた。 「お前っ!何やってんだ!」  ナイフがこれ以上動かないように手首をより強く押さえ、できれば手だけを外したくて捻りあげようとするが、男は痛みをものともせずに頑なに手を離さない。 「こいつっ!離せっ」  力を込めて手首から先が赤くなるほどに締め上げたとき、先ほどから男が呟いている言葉が耳に入ってきた。 「100元……100元……」  瞬間に間違いに気づいた。俺じゃない!  これは…俺が狙いではなく…  『鋭泰(あいつ)か!』  これは鋭泰の仕掛けた上野暗殺だ。  男はもう一度刺そうと思ったのか、痛いであろう手首は全く気にせずにものすごい力で、押さえていた愁一の手ごとナイフを抜き、また背中に突き立てようとしてきた。 「っくうっ…」  刃が抜かれた時の上野の苦悶の声と 「ちっ!」  愁一の舌打ちが重なる。  愁一は、小柄な男の手首を掴んだまま捻りあげて上野から引き剥がすと、強引に地面に組み伏せた。  ナイフは叩き落とし、両腕を背中でまとめて膝で押さえ込む。 「答えろ!楊鋭泰か!あいつに言われてやったのか!?」  銃口を後頭部に押し当てるが、男は 「100元……100元……」  しか言わず、捻られた腕の痛みも感じていなさそうだ。  愁一は瞬時に絶望的な気分になった。  『アヘン中毒者…っ』  猛烈に怒りが湧いて、愁一は銃の撃鉄を起こした。  自分の代わりが、この見るからに食い詰めたアヘン中毒の乞食なのか…。  そんな奴で上野さんを狙ったっていうのか…。  引き金にかかった指に力が籠る。 「愁一!銃はダメだ!今ここで銃を撃ったら」  腹を押さえて片膝を着いていた上野が、止めに入ろうと膝を一歩出してきた後に痛みにうずくまってしまったのを見て、愁一はさらに激昂する。 「こんな…こんな男がっっ!!」  愁一は引き金を引いた。  ガウンッと銃声が路地に響き、足下の男の頭から地面に血しぶきが飛び散る。  『俺が引き受けてれば!こんなつまらねえ男になんて!』  腹が収まらない愁一は何度も何度もその男の頭を撃ち続け、狭い路地に銃声が反響してゥワンゥワンしていた。  怒りに任せ打ち続けている愁一は、弾がなくなっても引き金を引き続け、反響音が収まった路地にカラ撃ちの音が虚しく響く。  そしてそれは、やっとの思いで近づいてきた上野に止められた。 「もういい…ありがとう」  愁一の銃を持つ手を抑えて、今度は銃を手から外してそばに置く。  そう言ってその場になんとか座り込んだ上野は 「早く逃げなさい…近くに抗日の奴等の巣があるんだ…そこの者たちが聞きつける前に…はやく」  怒りで放心している愁一を、男の上から引っ張る上野に我に返った愁一は 「力を入れるな」  そう言って上野の脇に跪いた。まず この現状をなんとかしなければならない。 「それなら尚更あんたを置いていけないだろ。どこか病院に…」 「それはない…行くとしたら艦の…医者に…」  痛みに顔を歪める上野のわき腹からは、思っていた以上の血が流れ出ており、コートは色は見えないがびっしょりと血で濡れている。  愁一は上野のコートを開けて、脱いだ自分の上着を銃創へ強く押し当てた。 「君が寒い…から」 「俺のことなんか気にしてる場合じゃねえだろ。それなら港か?そこにいけば…」  そう言いかけたときに、路地の先の表通りに車が止まった。  愁一はそれを鋭泰だと思い、上野をかばうように通りに向かって立ち上がった…がそれは 「少佐っ!」  と叫んで走ってくる軍関係の人間だった。  大きな体躯の男と、小さい男。この2人も特務なのだろう、制服は着ていない。  多分近くに控えていて、銃声で駆けつけたのだと思われる。  この時初めて、愁一は上野の階級を知った。  2人はそこの状況を一通り眺め、それで大体を理解したのか 「仇をうってくれたのはありがたいが、こちらとしても…」  と、小さい方の男が愁一に言いかけた時に、 「芝原、いい…それはいい」  本来実行犯を捕まえて、何としても目的や、依頼者がいるならその特定をするのも彼らの任務だ。  そこは言われても仕方がなかった。  が、愁一はそれを知っている。 「犯人は…って言うか依頼者は、あんたらも知ってるんだろうけど、青幇のアヘン売買に関わっている楊鋭泰…そいつがこの汚ねえ男の依頼者だ」 「確証は?」   芝原が愁一に向き直る。 「こいつが…」  頭がぐしゃぐしゃになった男の身体を蹴りながら 「100元100元ってずっと言ってた。断りはしたけど、俺も上野さんの暗殺依頼をそいつから受けたんだ。俺への上野さんの暗殺依頼金も100元だったからね。あいつに決まってる。…こんな男には目もくらむような大金だろ」 「私にも大金だ…と言うか買いかぶりすぎだな、私が100元とは」  そんな間に、上野はもう1人の大男によって応急処置を施され背負われていた。  その背中でそんなことを言ってくる。 「少佐、お静かに。あまり喋らないでください」  芝原は冷静に上野を窘めてから愁一に向かい 「わかりました。我々もその辺は調べてみることにします。君も早くここから…」  出なさいという言葉は言わずに、芝原と言われた男と上野を背負ったもう一人の大男の二人組は足早に去ろうとした。 「上野さんは大丈夫だよな!どこに行ったら無事な姿に会えるんだ!」  愁一は叫んだ。あの軽口をきいてるとそれほどダメージは負っていなさそうな気もするが、こんな別れ方は嫌だった。 「軍の施設での診療になるから一般人は会えません」  芝原はそれだけ言って、上野を後部座席に納め走り去って行った。  冷たい言葉だが、上野ほどの階級になれば本来なら普通に会うことも中々ない筈である。  そう考えたら今後の上野の状況は、どこかから聞こえてくるか、今日のように上野から気まぐれに来てくれるのを待つしかないのか…。  どうすりゃいいんだ…そう呟きかけた時だった。  車が去った通りの方から結構な人数の声が聞こえ始める。 「あの車は関東軍か!この路地で…」 「うわっなんかくせえっ!」  数人が路地裏の異変にも気づき始めた。 「ちっ!」  愁一は心配もできねえのかよ!と再び舌を鳴らし、逆側の通りへ抜ける方へ走り出して行った。

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