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第35話 嘘。
重怠い身体を引きずる思いでマンション帰り玄関のドアを開けるとリビングダイニングの明かりが灯っていた。
「……」
満月が帰ってる。
どう接したらいいか困りながらも『ただいま』とだけ声をかける美月に、満月ははにかむ笑顔で言った。
「美月さん、おかえりなさい」
いつもなら美月から軽く抱擁しに行くのだが、太陽の臭いがついている今満月の近くに行くのも怖かった。
満月が歩み寄ろうとした瞬間、美月が無意識に一歩後ずさる行為に違和感を感じた。
今はそんな気分ではないのだろうか、と、満月も距離を保った。
「アフタヌーンティーどうでしたか?」
「あぁ……、うん。久しぶりだったから、美味しかったよ」
理佐は催淫剤の効果はなかった、きっとディーポットではなくティーカップに薬を垂らしたのだろう、そう思うと紅茶が美味しかったとはとてもじゃないが言えない。
「美月さんとデートなんて、その初恋の人が羨ましいです」
屈託なく羨ましそうに笑う満月を見て、美月は罪悪感と自己嫌悪で押し潰されそうになりながら、美月は嘘を付いた。
「アフタヌーンティー前に少し大きな案件で神経を削りすぎた。……画面を見すぎて頭痛が酷いんだ」
渇いた喉から、絞り出した嘘はひどく空々しく響いた。
嘘をつくと美月のプライドは剥げ落ち、中から惨めな少年の自分が顔を出す。
こんな嘘を満月につきたくない、と、美月は心の中で悲鳴を上げた。
だがそんな美月には気付かない満月は、確かにパソコンに向っている最中数字の羅列を見ているし、そんな画面を観っぱなしなら相当疲れているだろう、と、そう思った。
「美月さん、大丈夫ですか?」
純粋に心配してくれている満月は美月の表情を覗くと、伏せ目の奥の瞳が揺れていた。
満月の心配そうな瞳を見つめ返すことができず、美月はわざとらしく額を抑え、視界を遮った。
「今日は風呂に入ってそのまま休む」
満月は美月の様子がおかしいことに気付いたが、疲れている彼を深く追求することはやめておこうと思い、満月は微笑んだ。
「わかりました。……おやすみなさい」
そのまま美月はリビングダイニングをあとにし、風呂場に直行した。
太陽に蹂躙された身体を洗わなくては、満月に触れたくても触れられない。
だが、それよりも満月に嘘をついた美月は更に罪悪感と自己嫌悪で心が押し潰され、その場にしゃがみ込んだ。
美月の美しい瞳から、涙が溢れ流れ出す。
満月を裏切ってしまった、その事実が心を締め付け、蝕んでいく。
「ごめん、……満月」
こうしていても仕方がない、薬の影響とそして行為事後の痛みに耐えながら、肌が腫れるくらい丹念に身体を洗いはじめた。
しかし強すぎる水圧で流しても、皮膚の奥まで浸透した屈辱が、消えずに疼いているようだった。
腫れ上がった肌の痛みだけが、唯一自分を今に繋ぎ止めてくれる気がして、美月はさらに強くスポンジを押し付けた。
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